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2018年02月24日

通し稽古をした

通し稽古をした。

練習始まってから、4回目で、だ。すごーい。

脚本が上がった状態で練習開始、どころか、もう何か月も前に脚本は上がっていて、本格練習開始の一月前には顔合わせ兼読み合わせをしていた。

だからこそ可能な、稽古4回目で通し稽古。

小劇場では、練習開始の段階で脚本が上がってない場合がほとんどだ。

何か月も前から脚本が上がっているのはレアケースと言える。

といって俺は筆が早いほうでは全くなく、芭蕉が曽良をくさしたごとくの苦吟派もの書きと、自らを任じている。

そんな人間が何で公演の何か月も前に脚本が上がっているかと言うと、やはりそこは鋼鉄村松にはもう一人脚本演出がいて、小劇場の通常の形態である、主宰が脚本演出をやり一人で公演を全部を回す・・よりも随分負担が軽いからだ。

しかも、ここ1,2年は、劇団の命運がかかった公演は相棒のバブルムラマツに頼り切りで、俺は俺の演劇探しを筆の赴くままに探っていた。

まー、その流れの一環がこの「ボス村松のラジオ」なのであるが。

   ***

俺の脚本を演出してみたいという、日本のラジオ主宰の屋代秀樹に、じゃあ書いてみるよと俺は新作「ボス村松のラジオ」を書き下ろした。

良く書けたという感触はあった。

でも、俺はいつもよく書けたと思ってる。書いた直後は。ボス村松の竜退治だって、ボス村松ドラマスペシャル「じ・だん」だって、ボス村松の兄弟船エピソード1・2・3だって、キャベティーナだって、高橋ギロチンだって、・・・みんなよく書けたと思っていた。

結果は、まあ、ご覧になった方々の心のうちにあるところの、ソレである。

昨日、「ボス村松のラジオ」の通し稽古をした。

なんか、よかった。

このよかったは、いつもとは言えないが、でもそれでも、だいたい悪くない感触を、俺はまあまあいつも感じている。

おおむね。

おおむね、ね。

今回こそは、前までと革新的に違っていればいいなと思う。革新的に素晴らしい。

演出にヤシロを迎えたのは、新しい要素だ。今回こそは、の根拠たりえるところ。

ヤシロは俺の思っていたイメージを、ほとんどつかんだ上で、彼の中で取捨選択して演出しているように見える。

演出として優れているのか、俺と案外、感性が近いのかはわからない。

こう言ってはなんだけど、役者連中の脚本理解はヤシロに到底およばない。

ヤシロはわかってる。

圧倒的にわかってる。

ゆえに、一人よがりが、二人よがりになってる危惧もあるにはあるが。

考え始めると、もう、とめどもなく、どうにもならない。

   ***

今回ヤシロは、俺には全く思いつかなかった演出のアイデアを盛り込んできた。

これには、やられた。

これは俺にとって、決定的ななものだった。上回られたと思った。

まるで、そこに向かって脚本が書かれているようなハマり具合の演出プランだった。

脚本を演出が曲げての新解釈とは、次元が全く違う。

ヤシロ演出に向けて書き下ろすという形で、この脚本が生まれてよかった。

俺が演出じゃなくてよかった。

  ***

昨日、通し稽古をして、自分で演じながら、楽しかった。

ヤシロに演出されての、ヤシロイメージの演技だった。俺のイメージからは曲げた演技だった。

ヤシロに演出された他の役者たちも、いい音をさせていた。これは案外、俺のイメージと合致していた。

通し稽古を終えて、ヤシロは各論の演出をつけたあと、総括して「これは、、名作ですね」と言った。

むろん、稽古場の名作が本番の名作になるとは限らない。

今回は、その期待含みで気持ちのよい練習ができたというにすぎない。

俺はヤシロの名作ですね、という言葉に、よっしゃと思うと同時に、悔しい気持ちも感じた。

俺の作演出ではないからだ。この芝居には俺には思いつかなかったヤシロの決定的なアイデアが盛り込まれている。

俺、心せまーい。ヤシロの演出でよかったと、さっき言ったのと矛盾してるー。

そんなこんなで、ヤシロの中にも「名作ですね」と言った中に、悔しい気持ちがあればいいなと思う。

ヤシロの心の中に、俺にはこの脚本は書けないなという気持ちがあれば、互角でいられる。


小劇場の片隅の、誰も知らない、劇団主宰二人の話。

この芝居を観たいと、席を予約してくれている人、現在24人。

数字は残酷だ。
posted by ボス村松 at 11:08| Comment(0) | 劇団やってます | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする