ぼくは、文章修練の意味と、誰かの目に止まってその誰かがぼくの芝居をみにきてもらえないかなの意味で、このブログを書いている。
案外、文章を書くのが楽しいというのもある。
日々のブログを書くにあたって、俺は今日(あるいは昨日)に、何があったかなと思い返す。
すると、ちょっとした何かぐらいは思い当たる。
それを1を10にしてとは言わないが、3を8ぐらいにしてブログを書く。
3を3のままに書くとするなら、「今日は特に何もない一日でした」ということになるのだろうか。
そもそもが、デクノボーに対する憧れがある。
今日は特に何もない一日でしたを、一年続けるのもカッコいいのかもしれない。
という言葉も、3を8にした言葉だ。一方で1を10にしてないことを誇っている部分もある。
・・なんてのは、ここまで自分の不誠実に対する告白なのであるが、この下駄を履いた半ばウソの8の言葉に、履かせた当人が引っ張られるというのは、ある。
昨日俺はこのブログで、「ここ数日感じている幸福感は、遠くに設定した演劇の希望に照らされてのもので、演劇が近くになると俺は不安に食われる」というようなことを書いた。
その文章を書いた後のバイトで俺は、演劇の実戦はまだ遠いというのに、近いときの演劇をまざまざと想像してしまい、不安に苛まれながら、レジを打った。
ああ、もう、きっとダメなんだよ、いっそ死んでしまいたい。
以前見た、アマヤドリの劇中の名言に、「おまえの、死にたいなんていうのは、今日の用事を投げ出して、南の島に行きたいっていうのと同じなんだよ」(のような意味合いの台詞)というのがある。
そんなこと言うなよ。
正解です。