プリズンブレイクイメージ.jpg 新作情報
 「ボス村松のプリズンブレイク」
 2020.7.24(fri)-25(sat)
 @新宿シアター・ミラクル
 2500yen
  

2019年12月26日

椿山荘

椿山荘は早稲田大学に近い場所にあるでっかいホテル。庭園が有名。

そこでお嫁さんがおネツを上げている木村一基王位の王位就任祝賀パーティーがあると言って、連れられて参加してきた。

池袋から専用シャトルバスに乗って、20分ほど。

椿山荘は元々は明治政府設立の元勲、山形有朋ゆかりの大邸宅で、昔の人は豪勢だなあと感慨。

政治手法、成果については、結局は歴史が明らかにするんだろうけど、安倍さんぐらい王様になれば、これぐらいのお城は建ててもいいんじゃないかとも思う。夢がある。

パーティーまでには時間がある。まず庭へ。

庭には三重の塔があり、チャペルがあり、滝があり、草庵がありそれは、ソバ屋。一杯1100。食ってみたかった。

庭を一通り見て、まだ時間が余る。

パーティーがあるのは宴会棟。

ホテル棟に土産物屋があるとということで、ホテル棟に移動。

手招きされるままに、ガレの壺や、マイセンの皿を見て回る。

土産物屋というか、ギャラリーやね。

お嫁さんはお嫁さんなりに、俺は俺なりに身ぎれいにした格好を表されて、お店の人に、アーティストの方ですかと言われる。

お嫁さんは、違いますと慌てて否定したが、俺はアーティストやっちゅーねん。

ガレはすごいぞ。800万、500万だ。

お店の人は「美術館に行くと、ケースに入ってるものですよ。」と、ここでは違うとばかりに壺に触ったりする。

さすがに俺は触れない。

女性をモチーフにしたオブジェを真ん中に置いた、鑑賞用のお皿を、女体盛り用の刺身皿だとか言ったり、

どうですか家に一皿あったら最高ですよ、とか言われたり、楽しい時間をすごした。

一息ついて、ホテルエントランスの椅子に座る。

そこにしつらえてあった無料の、無料のですよ? ふるまいアップルサイダーが滅茶苦茶うまかった。

「多分、これが今日一番美味いものだぜ?」

俺はお嫁さんに言ったものだが、さにあらず、祝賀パーティーの飯も美味かった。

立食パーティーなんて、やっつけのが並ぶんだろ?なんて思っていたのは間違っていました。

会費は倍違うが、甲府であった将棋の日のレセプションパーティーの品々とはまさに、雲泥であった。

さすが、椿山荘! 田舎のホテルとは一味違うぜ!

どれも美味しかったが、米ナスの揚げ出し、蟹玉入りカリフラワーのムース、牛タン入りクリームスープが特にうまかった。

飲み物のラインナップに日本酒がないのが、残念ではあった。

ホテルで通常やっているディナーバイキングは、9000円ぐらいだったか。

そんなポスターを見た。

飲み放題なんだし、バイト暮らしの我々でも、年一回の贅沢にまた来てみたいと思いました。

その時はは、ガレではなくて、どんな催事をやっているのかな。








posted by ボス村松 at 17:42| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月25日

帰省

父の7回忌の法事で実家に帰省していた。

母に少し痩せたところを見せられた。おいしいものをいっぱい食べた。

この帰省の前後にはイベント参加があった。

木村一基王位獲得祝賀会@椿山荘に参加してから、その足でバスに乗って、帰省。二泊。新幹線で大宮で下りて、京浜東北線王子下車、モノローグ大会決勝戦観劇。

木村王位祝賀会はおめでとうムードが会場に満ちて、これは良い会だった。

何より飯がうまかった。

今期、戸辺先生がB2勝ち越しで降級点を消すことができれば、椿山荘での祝賀会を提案してみよう。

モノローグ大会決勝で、すーさんが、すごい笑いを取っていた。優勝まであと一歩だった。

二ヵ月前に一緒に芝居をしていたころはシャープな体だったすーさん。

その時はダイエットしたと言っていた。

ところが、昨日のすーさんは、笑えるデブ体形になっていた。

増量したのだろう。デニーロスタイルだ。

モノローグ大会に、俺も出てみたいなと思ったが、5分の台詞を覚えて喋るなんて、想像するだけで、ちびった。

posted by ボス村松 at 11:28| Comment(0) | JUDY&MURAMATSU | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月21日

お嫁さんを風姿花伝に派遣

からまわりえっちゃん@風姿花伝の金曜昼公演を見て、感嘆。

その夜公演に、若かりし頃、新感線もピスタチオも観劇していたお嫁さんを、派遣する。

チケット代は俺が持つからと言って。

俺が見たこの演劇体験は、新感線だったのか?ピスタチオだったのか?それとも、この劇団のオリジナルなのか?

お嫁さんと、そんな話をしてみたくなったのだった。

果たして、お嫁さんの答えは、新感線とピスタチオだったとのこと。

音の使い方は新感線、パワーマイムはピスタチオ。

でもその手法を使って、過剰に畳みかけてくる勢いにオリジナリティがあったらしい。

とにかく、出てくる役者出てくる役者、みんな上手かった。スペクタクルだったね。すばらしい。等々の賛辞がお嫁さんの口から続いた。

俺もそう思ってた。同意見だ。

役者が一秒あたりに使う演技要素が、俺が普段見る芝居の3倍ぐらいあったように思う。

中パンチ一発のところを、小キック→ステップバック→中パンチ、みたいな感じでコンボになっている。情報量が多い。

その一連の技が役者のナルシズムに沿っていて、テクニックだけじゃない、なめらかな色気を生んでいた。

芝居の作りとして場面転換が多すぎともお嫁さんは言ったが、俺はそここそが加点ポイントだった。

ミュージックビデオみたいで、テクニカルで、そこがカッコいい。

話がハッキリと捉えられなくなる分、抽象度が上がって、頭よく見える。

なんにせよ、喜んで見てもらえてよかった。

俺が芝居見に行ってみない?とメールしたとき、お嫁さんは残業中。

夜公演には行けないタイミングだったのだけれど、「旦那が芝居見て来いと言うものだから、ここで切り上げていい?」と同僚に願うと、同僚は「私も行く」と言って、二人で劇場に向かったのだった。

俺一人の観劇で都合二人、新たに劇場に足を運ばせたことになる。

面白い芝居を作るとそういうことも起こりうるということで、噂が噂を呼んで客席満杯というのも、空論ではないことがわかった。

作れるものなら、面白い芝居を作った方がよいようだ。


posted by ボス村松 at 09:28| Comment(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月20日

劇想からまわりえっちゃん「たまには卒アル読み返せ。ついでに見つけたコーラ味の消しゴムが仄かにまださ、臭いじゃん。そんな感じ!」観劇

いやー、すごかった。かっこよかった。

劇想からまわりえっちゃんの芝居を観て来た。

ロープレゲームに飛び込んだ少年の、自分探しの話。

100回見て、100回つまらなかった題材が、こんなにカッコよくなるなんて。

一点の隙しかない(声を張りまくりまくりの芝居だから主軸の役者の声が枯れてきている)卓越した技量を持った役者が、修練を重ねた動きで俺を圧倒した。形式の美しさに、役者のナルシズムがこもっている。それが俺にも伝わって俺もうっとり。バンドのギターがカッコいい!みたいな色気。林檎ちゃんイカスみたいな特別感(最大の賛辞)

筋として、秩序立てて繋がっていない断片みたいな台詞を、歯切れのよいシーンチェンジが芝居のスピードを加速させる。音響、照明が演技と一体となって、さながらよく出来たミュージックビデオのようだ。

そうなんだ。俺もミュージックビデオみたいな芝居を作りたいなと思って、でも雑で、果たせず、その先に行くにはどうやっていいか分からず、今は違う感じのことを志向している。

ここまでやんないとダメなんだ。

ここまでやると出来るんだ。

そんなことを思いながら、目の前の演劇に感嘆しつづけた。

大阪出自の劇団ということで、これは新感線の先にあるものなのかな。

俺、本物新感線て見たことなくて、本当はこれぐらいカッコよかったのかな?

俺が100回見た新感線のフォロワー芝居と認識していたのは、とても拙い劣化版だったのかしら。

殺陣を見て、すげーと口あんぐり。

新感線の芝居を今度、見てみよう。

チケ代たけーな。

見て、やっぱりこのアレは、からまわりえっちゃんの特別なオリジナリティだと思いたいものだ。

そうでなけりゃ、ここまで感嘆した俺が浮かばれない。






posted by ボス村松 at 17:50| Comment(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月19日

レジにて。美女についての一考。

深夜スーパーのレジ打ちをして糊口をしのいでいる俺なんだけれども、毎日レジを打っていると気になる常連さんというのが出てくる。

世の中には案外、変な人が多いなあというのが、第一。

第二は案外、美人さんも多い。

細かい所なんだけれども、「楽天edyでお願いします」という人が複数人いるのに違和感を感じる。

edyでいいんじゃないだろうか。

あとTカードをお持ちですか?と聞いて「すいません、今日は忘れてきちゃって」という返しにも。

「いや、いいです」ぐらいなものだと思うのだが。

ところで、バイトの仲間うちで話して「ああ、あの人!わかるわかる」という雰囲気美女がいる。

そこまで造形に優れているわけではないと思うのだが、とにかく一挙手一投足に華がある。

同僚はそれを色っぽいと言ったものだが、俺はその言葉ではスッキリしない。

買い物を終えてレジから離れる時に、口角を少しだけ上げた笑顔を見せて体を返すのだけれども、その時、その笑顔は残像として空間に1秒ほど残る。それは確かに色っぽい所作なのかもしれぬ。空白の吹き出しがあって台詞を当てるとするなら、この笑顔には「何見てるの?ふふふ、おバカさん」と俺はしたい。でも彼女はそれだけじゃない。

昨日レジ越しにアイスを吟味している彼女を見た。口をとがらせ頬に手を当て、片方のつま先で軽く床をつく。

実に、絵になる。サマになってる。

彼女だけにスポットライトが当たっているかのようだ。そこでピピンときた。

そうか、女優だ!彼女は女優なのだ!

劇場という限定された空間で、稽古によって洗練された所作を見せるのが一般の女優なんだけれども、

彼女は空間の限定なし、稽古なしの天性で、この世を生きる、天才女優なのだ。

一回、男と連れ立ってきたときがある。

あれが彼氏なのだろうか。



posted by ボス村松 at 19:58| Comment(1) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月18日

お酒飲みたい

冷蔵庫に豚バラ肉とエビとサバがある。

昨日お嫁さんと、外で食ったので、使わなかった食材たちだ。

こいつを焼いたり煮たりして酒を飲みたいぜ。

ページいくらでお話をいただいた脚本を書き始めた。

数ページ書けた。

これで***円と思うと、自分で公演するための脚本と違う感覚がある。

当然思いつく「改行を多くしてページを稼ぐ」ことをしてはならないと、心に留めて2月いっぱいでの完成を目指す。

3月からは自転車泥棒の練習がはじまるからな。

自転車泥棒の衣装あつめ。

一進一退。安物買いの金失い。

それでも少しづつ前に進んでいけば、それでよし。

いいんだ。へこむな。

PVも作る。絵コンテを考える。撮れる気がしてきた。

知識も技術も資材もない。あるのは己のセンスのみ。

今回は被写体がよいので、いつもの3の線は捨てて、カッコよいもの作りたい。

知識も技術も資材もなく、ナンチャッテを捨てて、俺にそれが作れるのか?

わからない。でも、いいんだよ。

作ってみなけりゃ分からない。

いいんだよ。

自分の形をしたものを作る。それ以上は、運だ。

posted by ボス村松 at 14:53| Comment(0) | 劇団やってます | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月15日

飲み切った。

よし、剣菱飲み切った。

バイト明け、日曜日の朝からお嫁さんとパーティー。

バイトのスーパーのセール品の国産牛肉の煮物と、サバのマリネをアテに痛飲。

明日からだ、明日からがんばる。

演劇より楽しいことはいらないんだ、演劇だけのことをかんがえ・・(リピート)

心が弱く、剣菱は美味い。

このブログが更新されていないときは、だいたい飲んでいるということです。

ひさしぶりに、携帯アプリの減量用筋トレもした。

20分ほど体を動かすと、スッキリして気持ちいい。

やはり、つづけていくべきものだ。

筋トレ20分、ギターの練習60分、ボス村松のバカンスの台詞練習1回を日課としたい。残りは自転車泥棒の作戦活動と、依頼を受けた脚本執筆。ギターはもう3か月触ってない。台詞練習はバイトへの自転車移動の際にやってるが、なかなか難しい。もう半年取り組んでいるのだが、ものにならない。10分ぐらいあるので、途中で頭が疲れてくる。つっかかると、45分の一人芝居を演じてくれたのどかさんのことを考える。







posted by ボス村松 at 20:02| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月10日

一杯だけ

有給消化で連休となった、月曜火曜の二日目。

肋骨蜜柑同好会の芝居を下北沢に見に行く。そこで藤堂さんと待ち合わせて、同氏の作ったDVDを受け取る予定。

数日前に同じことをしようとして、DVDは間に合いませんでしたと頭を下げられた。

果たして今日はどうなる。

下北沢は古着の街でもあるので、衣装探しもついでにしていこうと思う。

衣装探しの心的負担から解放されるためには、どうしようかなという躊躇を無くし、決断よく買うことが大切。

スピードが大切。

自分の時間にも時給が発生していると考えれば、改めて違うのを買う時、その「改めて」分の時給が商品に加算されていると知りなさい。

ただ、どれにしようかな?と悩むのが楽しみとなっているときは、それに該当しない。

観劇前と、観劇後に時間がある。

観劇後については、藤堂さんと飲むのを回避できるか。

この前飲んだんだから特に話すこともない。DVDを受け取って、さくっとサヨナラだ。

ただ同じ芝居を見た後なので、観劇の感想を言いたくなる可能性はある。

一杯だけ飲もうか?とか。
posted by ボス村松 at 10:41| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月07日

一歩前進、一歩後退

バイト明けに、もう買わないもう飲まないと誓った剣菱の一升瓶を空けて、仮眠。お昼にニュームラマツ出演のお芝居を見に行く。

劇場には藤堂さんがいる。待ち合わせて、彼が作る劇団DVDを受け取る算段だ。

「すいません。間に合いませんでした。俺のパソコンが今、うちでレンダリングしています」

あほー。

観に行った「たすいち」のお芝居は主役の人生を四等分して、役者四人が演じる趣向。

ニュームラマツは青年期の30分を演じた。上手だった。こんな上手だったっけ。

逆にグレートニュームラマツは他所のところで見ると、下手に見えることもしばしば。

内弁慶と外弁慶と、好対照だ。

終演後、藤堂さんと軽く飲む。文句を言われ、注意をうける。わかったよ。

夜はカラオケバイトに臨時出撃。

早く着いたので時間合わせに、前から気になっていた「最強のバターコーヒー」を飲む。

一杯で税込み715円。

この臨時出撃で入る収入は4000円に満たないので、過剰出費だ。

業務の方は、寝不足のはずなのに、楽ちんに乗り切る。お客さんが少なかった。

得した気持ちで、ビールとポテチを買って家に帰ってしまう。太るよ。

罪滅ぼしにスマホの筋トレアプリしてから、飲むことにした。

飲む前に体重計に乗ったら、ここのところの飲み食いで全然リバウンドしてなかった。

やった。ポテチとビールをおいしくいただいて、寝た。

朝起きて、ペンキを塗り終えた真っ赤なトレンチコートを柔軟剤と共に洗濯機に放り込む。

自転車泥棒の衣装だ。

ゴワゴワは想定の範囲内だった。発色は最高。ただ、生地がこすれるときに、ザラザラとすごい音がする。

この音では使えない。

一縷の望みを託しての柔軟剤投入なのだった。

洗濯機を回して、結果は不調。

絶望しながら、チラシの裏面をつくる。だいたいできた。

あとはコリッチのチケットシステムに登録してからじゃないと出来ない、予約ページのQRコードと、衣装を着ての集合写真をはりつければ、完成だ。

そのためには衣装、衣装をそろえなければならない。

ペンキがだめなのは分かった。惜しかったけどな。






posted by ボス村松 at 17:43| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月06日

執筆開始

お仕事としての脚本を書き始めた。

みんな聞いて。俺の脚本が好ましいと言って、わざわざお金を払って俺に脚本を依頼してくれる人がいたんだ。

よいものをスムーズに書いて、余裕をもっての納品。噂が噂を呼んで次への仕事へとつなぎたい。

話をもらってからこっち、レジを打ちながら、あーでもないこーでもないと考えた。

先日、打ち合わせの飲み会があって、そこで依頼主からお題をもらった。お題というのは、別の人がもっている、俺とは違う角度の表現したい欲求だ。

彼の人の角度を借りて、俺のあーでもないこーでもないを料理するとと、ひとまとまりの形になった。

あー。

これは一本長編が書けるな。

これぐらいあれば、頭からゴリゴリ書き始めて、ラストまで、まずはたどり着ける。これまでこうやって、結構な本数を書いてきた。

ありていに言えば、テーマと、仕掛けが、今、定まったということだ。



俺ね、今ね、書くことに専念すれば、寡作の職業作家ぐらいには書けるような気がするんだよ。

書き方の道順みたいのが俺の中にある。生産する設備が一本ではあるにせよ、あるにはある。一本。コンベアが回っている。

ただ問題なのは寡作の職業作家が成り立つのは、大御所になってからなんだけよな。

それでも俺がバイトが苦じゃないのは神様から与えられた俺のギフトで、パートタイムのページ1000円のお小遣い稼ぎ作家として、お仕事待ってます。

まずはこれでまってます。

・・いずれは、大御所に。
posted by ボス村松 at 10:04| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月05日

ナントカニン

12月はカラオケ、スーパー共に繁忙期。

世間が忙しいということは、バイトにも私用ができるということで、シフトに穴があく。

夜勤の俺が昨日初めて、カラオケの日勤に出た。

日勤にはきっと独自の難しさがあるにちがいない。

夜勤しかしたことがない俺が対応できるだろうか。

昼間は店長がいる。もし、そそうでもしたら、まずいことになる。

おびえながら働いて、無事働き終えた。

風邪気味の店長に、偶然ポケットに入っていた風邪薬を渡すナイスプレーまで出た。

結果帰りの自転車の上で、予想外に、俺の脳みそに分泌される幸福物質であるところの、ナントカニン。

くっ。これしきのことで。

屈辱。

帰宅、仮眠をとって、本日二軒目のスーパーへ向かう。

俺、普通に勤め人になってたら案外、働けてたんじゃないかな。
posted by ボス村松 at 13:28| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月03日

ペンキ着色の衣装

演劇に帰って参りました。

コンセプトとして、残りの人生は全部演劇の時間にしよう。他に楽しいことなんていらない。

むしろ楽しいことを排除して、演劇を一番面白いものとすれば、熱も入るのではないか。

今年の春ぐらいから私はそう考えたのだった。

じっさいのところ、楽しいことの上位に君臨するビール、ネット将棋などに、演劇は瞬間の楽しさにおいて分が悪い。

そいつらをなるべく遠ざける。

その点バイトはいい。そんなに楽しくないし、俺の1時間が1000円ぐらいに換金される。

そしてバイトから帰ってきたらすぐ寝る。これに尽きる。解放感でお祭りしない。ビールを飲まない。将棋を指さない。

一週間二週間、そういった生活を続けることはできるのだが、波がある。

この前甲府に旅行行って、将棋に触れて、ワインに触れた。

これをきっかけにこの一週間は、演劇よりも楽しい世界に浸ってしまいました。

幸いにして、将棋は負けが込んだり、お腹は臨死体験をするほどこわしたりした。

最終的に昨日、カラオケバイト上がりに日本酒を痛飲して二日酔いぎみで目が覚めたところで、なにやっとるねん俺、となった。

あと10年したら60才やで俺。演劇で何かを成し遂げたいんじゃなかったのか?

残された時間は少ないぞ、と心がヒヤリとした。

演劇するぞ。演劇。

自転車泥棒の衣装作りの再開だ。

トレンチコートのペンキ塗り作業を始めた。始めるのが大切。初動のよっこらしょが入れば、ものごとは多くの場合、通常営業として動き出す。



・・トレンチコート、パネルよりも塗りにくいな。

当たり前です。

面が平らじゃないし、裏表がある。

これは一回で塗り切れるものではなく、こっち乾いたら、こっちという風に何度かに分けてやるものだな。

暗くなってきたし、今日はここまで。明日こいつがどうなっているか。

ペンキが乾いて、どれくらいガビガビになってるかだな。

衣服として着用できるレベルなのかどうか。

このトレンチコートは古着屋で2900円で売ってました。
posted by ボス村松 at 17:57| Comment(0) | 劇団やってます | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月01日

臨死体験

僕は、いつか死ぬ。その証拠に僕が子供のころ、おじさんだった人たちが、ここ数年にまあ、亡くなるわ亡くなる。津川雅彦とか。

同世代の人間だって、よくガンになる。

宮迫です。

でも、それは人の話だ。僕は彼とは違うし、僕のこの一瞬一回きりの時間が、彼の一瞬一回きりであろう彼の時間と同じにすることに意味はない。

そんなのはもったいない。

僕は誰ともちがう。

みんな死ぬからと言って、僕が死ぬとはかぎらない。

僕は誰も歩いてない道を、ただ一人きりで歩く孤高の存在だ。

そんな孤高を謳いながら、歩いて来たマイウェイ。

ところが最近、ご多分に漏れず、自分の体に痛い痒いを感じる時も出てきた。

まだギリ40代だけど、もうすぐ50だからな。

この僕の体もいつか、ではなく、そろそろ、朽ちて果ていく時分かと、背筋がひやりとする。

彼の死に私の死を思う。

おい、ただ一人あるくマイウェイはどこ行ったんだ。



数日前、舞台芸術創造機関SAIの地下アトリエ公演にして、ロングラン公演を観劇した。

受付を済ませて、階段を下り地下三階のアトリエに入る。

わー、これいい。

暗がりの中に、白塗りの男二人。

その二人の役者を囲んで、壁にはダンボール箱が立ち、床にはくしゃくしゃの新聞紙が床に敷き詰められている。

それが地下空間の舞台美術。

照明を抑えた暗がりの中で、ダンボールと新聞紙は、安っちいものではなく、陰影のついた立派なアアトとなっていた。

白塗りの二人が、ふいに声を出す。

それはおどろおどろしく、お化け屋敷系のアトラクションのようだ。

芝居が始まる。

演出の力を感じる。瞬間の絵がカッコいい。

地下演劇の密室空間を要所要所で陰影豊かな叙情のオブジェとする。

30分ぐらい経った頃か。



・・俺、お腹、痛い。



昨日からあった出そうで出なかった便意がカタストロフィの序曲を奏で始めた。

そしてさらに30分経過。芝居が序盤の人物紹介を終え、思いを交差させる最も役者冥利の中盤戦たけなわのころ、

俺は体のあちこちから、脂汗をながしていた。

やばいやばいきたきたきた、わあああああああああああああああああ、・・・・ふぅぅぅ。

やばいやばいきたきたきた、わあああああああああああああああああ、・・・・ふぅぅぅ。を繰り返す。

脳裏に食道がんで亡くなった僕のパパの姿が浮かぶ。

外国航路の船乗りで、タフガイで慣らしたパパ。死に臨む末期のベッドで、一度だけ苦しみに、僕に助けてくれと言った。

この僕のウンコしたいは、ウンコをすれば治まるのだろう。

でも、そう遠くはないいつか、一過性ではなく、決定的に治まらない苦痛が、この痛がりの肉体にきっとやってくる。

いやだなあ。

今現在の便意に苦しみながら、人類普遍のメメントモリに戦慄する俺は、やはり詩人の質なのかもしれない。

目を上げると、舞台上は楽曲に合わせて動きをつける台詞なしパートだ。

ここなら行けるかもしれない。

次、台詞なしパートに入ったら、この席を立ちあがろう。

あの扉を開けて、トイレに行こう。

そう決心した。

しかしほどなく、芝居は伏線回収のクライマックスに突入していく。

台詞なしパートは、もうないと悟った。俺も演出する。それは分かる。

しかし、この怒涛の展開の先に終演があることも分かる。

バブルの芝居だと、そう思わせておいてからドンデン、ドンデンで、目論見よりも3倍続くのだけれども、この芝居はどうだ?



そんな思いの中、舞台上はヒロインが、不在のヒーローを思う独白を入れる。

ヒーローが裏切りに合い、陰影の新聞紙の中に倒れる。

画の作りに、やっぱり力がある。絞った照明は勝利だなあ。

死に臨みながら、俺の頭は思考する。

でも、ドンデンはいらない。一発でサッパリと決めてくれ。




芝居はサッパリと一発で決まって、暗転し、役者が礼をして、どうもありがとうございました、となった。

役者が退出し、制作が最後のアナウンスを終えると同時に俺は席を立ち、トイレに駆け込んだ。

便座にすわり、僕は死から逃れた。

造形の芸術に、椅子というモチーフは定番なのだが、便器を意匠したものはない。

便器こそが、至高。祝福された実用。周りに天使をおどらせてもいい。

ぶしゃー。栓をしていた固いウンコの後に続く、水のようなウンコ。

これブログに書こう。

そんなことを思いながら、5分ほどトイレにこもった。



もう台詞なしパートはないと知る絶望と、


posted by ボス村松 at 18:55| Comment(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする