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2007年07月05日

タテヨコ企画「ムラムラギッチョンッチョン」観劇

観たのはもう、半月ほど前なのですが。

タテヨコ企画、作・演出の横田修氏は、大学の1コ先輩で、また劇団の役者にも大学の後輩が何人かいて、

その私の出身大学はというと筑波大学でありまして、そこの演劇サークルからは、ご多聞に漏れず、

まっとうな就職をしないで、バイトしながら演劇を志す人間が何人も出ていているわけで、

そういう連中の中では私の知る限り、タテヨコ企画の人たちはもっとも躍進している人たちなのだった。

よって、私は基本、嫉妬の目をもって彼らを眺めているわけであるが、

今年の年頭の目標は「嫉妬しない」なので、本当に彼らには頑張って欲しいものである。

   ***

飲み会で意気投合した、横田修(よこたおさむ)と館智子(たてともこ)が、じゃあ劇団やろうかと始めたのが、最初と聞いたことがある。館と横田で、タテヨコ企画。この、「じゃあ劇団名は、タテヨコだね、ふふふ」的なノリ(私の想像)が概ねここで作られる芝居のテイストと一致するように思われる。

横田修先輩は、青年団と縁が深い人で、私も長く、彼の芝居を、平田オリザが旗手の「静かな芝居」であると分類していたのだが、もう、なんだか、別物であることに、やっと気づいた。

「静かな芝居」は、それ以前の芝居に顕著であった、芝居っ気(大仰さと言ってもいい)に対するアンチテーゼが存在の基盤にあると私には思われる。詩歌に対する散文みたいな感じ。平田オリザもその著作でそんなようなことを言ってた。「日本人はそんなしゃべんねーよな」「身振り手振りの過剰は冷めるね」「モノローグは下品。対話こそが芝居である」

という訳で、私の認識する静かな芝居というのは、

・基本、一幕一場
・短いセンテンスの会話を重んじる。
・同時多発的、重層的に言葉が語られる(台詞の読みの順番っぽさを消す)
・客席に視線を振る演技をしない。(芝居は舞台の中だけで完結する)
・お話よりも、場所が重要。(何を語るかではなく、その場所では、どんな会話がなされるだろう?という着眼点)
・お高くとまった感じ。

という、もの。

現在のタテヨコ企画は、フォーマットはそれに近いのだが、静かな芝居が持っていたイデオロギー性みたいものがストンと抜け落ちている。いろんな人がでてきて、おちゃめなドタバタを繰り広げて、最後、ちょっとシンミリしたオチをつけて楽しんでいただければ、みたいな。吉本新喜劇のテイストというか。

さて、今回のムラムラギッチョンチョン。

修行から逃げ出した坊主を、仲間の坊主が連れ帰しに、とある山里にやってきたぞYAYAYA、でスタート。

逃げた坊主が寝起きしている旅館は訳アリっぽい。

連れ戻しに来た方の坊主たちは、毒キノコ食わされたり、人のような狸のような謎の人物に絡まれたり、旅館側の家庭の事情や、村のゴタゴタに巻き込まれたり、実は、俺、昔子供の頃、この旅館に来たことある、俺を捨てた母さんと・・だったりして、

最後、

半狂乱の旅館の女主人(未亡人)は言った。
「なんであの人(旦那さん)は死ななければならなかったの?」
「つまり、運が悪かったんですよ」
「・・・・」

逃げた坊主が、「俺、あの人(旅館の女主人)を幸せにしたいんだよね」と連れ返しに来た坊主たちを説得することに成功。みんなで読経しておしまい。

旅館の女主人役の館さんが相当に上手だった。
巻き起こるおちゃめ騒動が、ロックじゃないので、そんな趣味ではないんだよねー。
作りこまれた旅館の舞台美術は圧巻。星みっつ。


私の劇団、劇団鋼鉄村松のHP
http://www008.upp.so-net.ne.jp/koutetsu/

posted by ボス村松 at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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