関西人のプライドを見た思いだ。
今回、インチキ関西弁を操る薄幸の美少女がヒロインだ。
薄幸の美少女にもう一味、味を付け足したかったからだ。うさんくささ味。
関西人ではない俺が、関西弁を書けば、自動でインチキ関西弁の台詞となる。
それを関西人ではない女優さんが演じるんだから、ごく当たり前にインチキ関西弁ヒロインが出来上がる。
インチキは作戦なんだ。
関西人のケツプリオが、まず、違うと言い出した。
関西弁はそうじゃない、と言う。
いや、インチキ関西弁なんだから、それでいいんだってと言っても、飲んでる間、引き下がらなかった。
日を置いた昨日、これまた関西人の倉垣くんとサシ飲みした際に、間違った関西弁だと言われた。
いや、いいんだよ。インチキなんだから。と言っても、引き下がらない。
インチキが意図っていうのは分かるんですけど、それでもエセ関西弁は間違いなく関西出身のお客さんを弾きますよ。と言う。
おいおい。そんなにかよ。
わかってても、イラっときちゃうんですよね。
生理現象かよ。刷り込まれてるのかよ。
言葉とはかくも尊いものなのだ。
イタリアに併合されてフランス語を奪われるアルザス地方を題材に取った短編「最後の授業」を思い出した。
関西人は、関西弁を失うと、関西がただの非東京の一地方に落ちてしまうことを理解しているのだろう。生理レベルでだ。
しかし、エセが面白かったり、カッコよかったりする場合というのはある。
英語なまりの日本語が、DJで流れるとカッコいい。
本場の人が日本語に下りてきてくれたという意味合いか。説得力がある。
俺の今作からインチキ関西弁から撤退するという選択はないので、俺も何らかの説得力を演出しなければならない。
うーん。関西人のプライド。
めんどくさい。