プリズンブレイクイメージ.jpg 新作情報
 「ボス村松のプリズンブレイク」
 2020.7.24(fri)-25(sat)
 @新宿シアター・ミラクル
 2500yen
  

2020年07月27日

屋代秀樹の積尸気冥界波

屋代秀樹の積尸気冥界波について。

表題作「ボス村松のプリズンブレイク」を読んでもらって、それを素材に短編を一本書いてもらえないかな?と、

日本のラジオの屋代秀樹くんにお願いして、出てきたソレを

俺が演出として料理したもの。

公演を終えて料理してやったぜ、という気持ちもないではないが、演劇において役者の力というのを思い知った。

***

積尸気冥界波は、プリズンブレイクで、床屋と死に別れた妻のカズヨが、別の星に生まれ変わって、再び巡り合うのか合わないかという話。

屋代秀樹くんの脚本では、床屋が男、カズヨが女と表記されてあった。

女はダブルキャストでいきましょうというお題を、フィクサーとしての横手くんからもらっていたので、

脚本を一文字も変えずに、解釈だけを変えて、この積尸気冥界波を違う二つの芝居に仕立ててやろうと意気込んだ。

そう、あの敬愛する演出家、黒沼龍三氏(マンガの人)が伝説の舞台「狼少女ジェーン」でやった奇跡を俺の手で現実のものとするんだ。

女を演じるのは宝保里実さんと、田中渚さん。

宝保里実さんは、プリズンブレイクで、カズヨ役を演じてからのスライド。

よし、宝保里実さんver.は別の星でも、床屋と巡り合ったという解釈でいこう。

一方、田中渚さんver.は巡り合ったようでいて、その実、田中渚さん演じる女はカズヨとは別人で、カズヨが転生していたのは女のペットだった。そんなすれ違いの話、という解釈で。

屋代秀樹くんから届いた脚本は、物語が意味、意味、意味と、意味で埋まっておらず、意味と意味の間に隙間が多い不条理劇風だったので、ある程度、そういったこちらの恣意的な造形が可能なのだった。

稽古一回目では、宝保さんver.を日本のラジオの演劇スタイル(不条理劇風、プラッチックな感じ)に近くして、

田中さんver.を俺の演劇スタイル(ゆるいボケとツッコミのラリー)に近くにするつもりで、稽古場に臨んだ。

稽古場は紛糾した。

俺の解釈と役者の演劇観が対立した。

協議の結果、逆の方がいいんじゃないかということになった。

宝保さんver.が俺スタイル。田中さんver.がラジオスタイル。

宝保さんver.では、役者さんに、とにかく心を動かしていくことを求めた。心が動けば一つの言説はボケの色を帯びる。その言説に同意となればボケの継続、それに反対の気持ちが出れば、ツッコミが誕生する。ボケ、ボケ、ボケ、ツッコミ、ボケ、ツッコミ。演劇はすべてボケとツッコミで出来ているのよマヤ。見せてみなさい、マヤ!あなたのボケを!ちがうな、マヤ。おまえのツッコミは都会のツッコミだ。俺は野生のツッコミが欲しいんだ。そう、ボケとツッコミの二元論が俺のスタイル(多少の誇張は入っています)。

横手くんは「心を動かして台詞を読むと、こんな口調にならない」という。屋代脚本は不条理風の丁寧口調なのだ。

そこで宝保さんにコミュ障という設定を与えて、屋代脚本の不条理丁寧口調を、人に対して距離を取りたがるゆえの丁寧口調とした。相手役の横手くんは、それを面白がって乗っかっている人ということで、どうよ。全部それで処理するのは無理だよ。でも別の星じゃん、そういうフォーマットで喋る人たちなんだよ。うーん。

宝保さんのコミュ障演技が板についてくるにつれて、横手くんもそれに引っ張られて馴染んで行った様子。

田中さんver.のラジオスタイルは、俺よりも役者の田中さんと横手くんがスタイルに詳しいので、二人が出してくるプラッチックな演技に俺がアクセントのオカズをつけていった。

宝保さんver.は、初動に負荷がかかったが、完成は早かった。一回完成して、落ちて、何が悪かったんだろって考えて、ああこれが重要だったんだと気づいて、また上がって本番、みたいな普通の芝居の作りになった。

田中さんver.は、俺がこのスタイルに疎いものだから「何はともあれ会話が馴れ合わない緊張感がキモなんだ」とか学びながらの演出。

本番前のキッカケでは、曲を入れようとして、役者陣とひと悶着した。

「演技の後ろに曲を入れるのは、料理にケチャップを入れるようなもので、僕らはちょっとした塩加減で勝負しようとしてるのにキツイです」

「なんで。プラッチックの間に、変な曲が入っても、プラッチックだから隣に変なのが入ったぞ、ぐらいで処理できない?」

「いや、無理です。ケチャップが入ると、汁はケチャップ味になります」

協議の結果、俺が折れた。

俺は台詞の裏に、クセの強い楽曲を入れて、演技との不協和音を喜ぶ習性がある。

今回のもその習性だったのだが、何しろ不協和音である。

本番前日の役者には受け入れがたい気持ちが生まれるのも、また、わかるのだ。

宝保ver.を見た脚本の屋代くんは「俺の脚本が、こんな形に?!と戦慄した」とは言わなかったが、よくまとまっていたと言った。

さて田中さんver.である。屋代くんが見た本番1回目を経て、2回目に確変が起きた。

田中さんと横手くんのプラッチックなやりとりの音の出し入れに、楽譜が見えるようになった。

二人は二人のセッションで、曲を作ったのだった。

すごく気の利いた曲だった。

プラッチックな中に、なんとか俺がエモくしようと画策して、彼らには邪魔になっていたオカズも取り入こんだ、エモい曲になっていた。

スゲー。

こんなことってあるんだー。

演出の俺が先に、それが見えていて、二人をそこに導いていくべきもののように思えた。

俺はこのスタイルを、知らなかったから、できなかった。

知っていたら、出来ていたようにも思う。本番1回目に間に合わせて、屋代くんにも見せたかった。

知らないのは、不勉強。

今回知ったので、大変勉強になりました。

posted by ボス村松 at 18:33| Comment(0) | 劇団やってます | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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