第5話「タチャーナ」を公開中!
「ボス村松の外科室」
作画/出演 ボス村松
泉鏡花の短編小説「外科室」がモチーフ。
後日譚と前世の因縁を付け加えた長編戯曲を、
アニメ動画にしています。
全20話予定。
随時更新していきます。

2022年08月15日

南無阿弥陀仏

14日9時30分、父のお墓参りに家を出た。
墓地の脇に車つけたところで「数珠わすれた!」と母。
なしでいいんじゃない。

お墓にロウソク立てて、チャッカマンが点かない。
ガス切れだ。
お線香セットに同封のマッチがあるよ。

風でマッチの火がことごとく消える、お墓あるあるを味わう。
チャッカマンがない時代に、人はどうやってロウソクに火を点けていたんだ?
20本ほどマッチを擦って、一本も火がロウソクに移らない。
もう無理だ。

ロウソクとお線香なしにする?
立てるだけ、立てておこうよ。

数珠のない両手を合わせて、合掌。
お数珠なし。ロウソクの火なし。お線香の火なし。ロウソク、お線香の本体あり。合わせた手あり。心あり。

11時30分。
お家にお坊さんが来る。
お経を詠んでくれる。
正座がんばるぞ。

お経あり。正座あり。
お経が早くおわることを強く望む。頭の上に流れるお経の意味はわからない。
信仰心なし。

お経が終わり、お坊さんの法話に入る。
お嫁さんが、積極的にお話に介入して盛り上がる。
「コロナでいろんなお宅に上がるのは大変だったのでは?」とお嫁さん。
「そうでもなかったんですが…」とお坊さん。
俺は正座がつらい。

「…ただ、」とお坊さんは話をつなげる。「お葬式の簡素化が進んできまして、葬儀場で司会の方が「合掌」と言ってそれでおしまい、というものも出てきました」とのこと。

「あやふやだったところが、いよいよ我々はいらないとバレてきている」 お坊さん業界で、そんな話をしていますと言って、お坊さんは、ふふふ、と笑った。

商売としてどうかと思うが、人としては魅力的だ。
今話題の統一教会と、伝統仏教の違いにも思いを馳せ、疑義を挟みながら自らの信仰も語ってくださった。

正座なし、ビールあり、でゆっくり話してみたいと思った。南無。



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2022年07月02日

看板

参院選の不在者投票に行ってきた。
練馬区役所が最寄りの投票場。

比例区の投票コーナーで、候補のリストを見て驚いたのがお嫁さん。
国民民主党と立憲民主党の略称が、共に民主党だったのだ。
区別つかないじゃん。

「比例で、民主党と書いて投票すると、その票はどうなるんですか?」
係の人に、その疑問をぶつけてみると、
「それはですねー」
少し口ごもった。

係の人によると、略称「民主党」と書かれた票については、投票が終わった後に、考えることになるとのこと。
え? どういうこと?

「前回、略称「民主党」と書かれた票は、国民民主党と立憲民主党とで、按分しました」

按分て。
恣意的に分けるってことですか?
それって、すごくないですか。

そして前回て。
1回すでに、この両方略称「民主党」をやってたんだ。
両方略称「民主党」を認めた事実もすごいが、それを1回やったあと、改案なしに今回、同じことを繰り返したのも、またすごい。それに、票をどうするかは投票の後に考えるって、今もまだ言ってるのもすごい。すごいすごい。

「国民民主党さんも立憲民主党さんも、略称を民主党にすることについて、折れないんですよね」
とどまることを知らない。すごいがあふれて、息もできない。
国民民主党もすごい。立憲民主党もすごい。

俺もすごい。
こんなツッコミどころを今日の今日まで知らなかった。
反省するばかりです。

ともあれ、お嫁さんは、国民民主党に入れるつもりだったらしいが、だめだこりゃと、違う党に入れた。

蛇足ながら、国民民主党に投票したい人は、党名を略さずに、「国民民主党」と表記して投票するか、比例名簿に載っている候補者の名前を表記して投票してください。間違いなくあなたの一票は、国民民主党に届きます。ご心配なく。

俺は王将と大阪王将では、王将派です。
大阪王将はちと高いイメージがある。
藤子不二雄に関しては、やっぱりFになっちゃいますね。

ちなみに劇団鋼鉄村松は、ボス村松の芝居もバブル村松の芝居も、仲良く鋼鉄村松です。
今までも、これからも。
posted by ボス村松 at 17:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月19日

水星

YOUTUBEMUSICのラジオを聞いていると、トーフビーツの水星がかなりの確率で浅い順目でかかってくる。
もちろん、YOUTUBEMUSICとしては俺の履歴を参考にして、この曲をおススメしてきているのだろう。
耳にする機会は二位以下を引き離す。
嫌いではないが、まあ、ふつう。

そんな中、今回のオリンピックを民放で見ていたら、CMで水星がかかってきた。
水星とブギーバックがミックスされている。
ブギーバックは言わずと知れたJポップの金字塔。
水星はそれと並び立つという風情。

なるほどブギーバック級の名曲だったのか。
どうりでススメてくるわけだ。
勉強になる。

あと、勉強ということでは、こいつは、すごい作家だ!と思う人と、こいつはショボい作家だ!と思う人が、仲がいいという話を聞くと、これも勉強だなあと思う。
もちろん、お互い腹の中では、大したことないなと思いながらのビジネスの付き合いの可能性もある。




posted by ボス村松 at 00:16| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月21日

ラストアルバム

シンバルズの最後のアルバム、いいじゃないか。
タイムリーで聞いた当時は、なんか、違うと思ったのだが、音楽を追及している彼らの音楽が深化していたのだろう。
俺はその深化をくみ取れなかった。
ようやく今になって味わうことができるようになるとは。
ユーチューブミュージックに感謝だね。

デビューアルバムがベストアルバムなのは、よくあること。
それまで貯めていたマグマが噴き出る場所がデビューアルバムなので、これは納得だ。
ラストアルバムはというと、深く深く掘って行った果ての結晶である場合もあるだろう。
また、違うモノ違うモノと探した迷路の果ての困惑である場合もあるだろう。

そのアルバムで解散しちゃうんだから、後者の方が多いのかな。
シンバルズはこんないいアルバムを作ったんだから、解散しなくても良かったんじゃないのか。
でも、この理論だと、ラストアルバムは全部駄作になっちゃうしな。
やっぱり有終の美というのは、カッコいい。
シンバルズはカッコいい。

俺はデビュー前なんだよね?
あれ、ラスト近辺だっけ。

posted by ボス村松 at 18:37| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月19日

残酷な神様

お嫁さん所蔵のマンガ、テルプシコーラをまとめ読みした。
すでに1回読んでいるので、2回目だ。
おもしろいんだけど…。

このマンガはバレエマンガ。
バレエ教室を経営するお母さんを持つ姉妹の、妹が主人公。
姉は才能ある努力家で、人柄だって聡明だ。
妹はもう少し等身大の女の子ちゃん。弱音をよく吐く。不思議と味のあるバレエを踊る。

姉は不運なケガをする。手術して、その手術が失敗して、また手術して、失敗して。その度、不屈の精神で立ち上がる。
妹はそんな中、姉の不在で空いた枠を、実力不足を味でカバーして活躍をみせていく。
しかし、妹には、「私はバレリーナとして生きていく」という決意が足りない。

姉は3度目の手術が失敗に終わった後、4度目いくか、というところで、自殺する。
妹は、姉の死に手向けるために、黄泉で踊る白鳥をモチーフとしたバレエを創作することで、バレエの振付師としての才能を確立する。

***

大変よくできたマンガであることが、今回の読み直しで良く分かった。
姉の死→妹の覚醒という結末に向けて、全編が組み立てられている。
それだけに、この作者の全能の神の冷たさに、震撼した。
俺は千花ちゃん(姉)に、復活してほしかった。
いや、復活はできなくても、自殺は悲しい。マンガの中でも、バレエ以外の道は提示されていたのだ。
しかし自殺に至る過程には説得力があるんだなあ。
作者は、技巧の粋を集めて、ち密に連載を進め、完璧に姉を自殺に追いやったのだ。
何たる残酷。

この神の存在感に、俺の生きる世界にも神はいるのではないかと、ちらっと思った。
やっぱりそいつも、きっと残酷な奴に違いない。
posted by ボス村松 at 20:56| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月08日

宿題ふえた

「いだてん」田畑編の後半を一気に見てしまう。なるほど、おもしろかった。
田畑編になってから、次の回を見たいという引きの力が強くなったように思う。
金栗編は主役をマラソンランナーに置いておいて、でも話の中心はマラソン競技ではなく、オリンピックそのものだった。
田畑編は主役がオリンピックの事務局長で、話の中心もオリンピック。
スッキリしている。
田畑が失脚する時に、「どこで間違えた」とぐるぐる思いを巡らす場面が素晴らしかった。

低視聴率だったことは知っていた。いだてん。
いだてんで、検索をかけてみた。
やっぱりな。
ドラマの年間グランプリを取っていたんだね。
玄人筋にはウケていたんだね。
俺も玄人か?
いやいや、放映中は見るのを途中でやめて(バイトに出る時間の直前なので面倒になっちゃった)、2年遅れで今、録画を見ているぐらいなんだから、低視聴率を支持している側でした。

次の年のグランプリも「俺の家の話」だった。クドカン脚本。
クドカンにはもちろん「あまちゃん」もある。タイガー&ドラゴンも、IWGPも。木更津キャッツアイもか。
すげーな。今更だけど、すごいんだね。クドカンは。

実は俺、クドカンドラマを通して見たのは初めてでして。
監督映画、真夜中の野次さん喜多さんは見た。
でもこれは、原作のしりあがり寿への興味でして。

クドカンに関しては、かつてムラマツベスがバブルムラマツに「例えばクドカンみたいなのを(書いたらどうですか)」と言ったことがあって、バブルムラマツが「じゃあ、おまえはクドカンのに出ればいいじゃないか」と返した口論があった。懐かしく思い出す。出れれば出るよって話だよね。
もうすでに若くなかった頃の話だけど、今よりは若かったなあ。
演劇でどうにかなりなくて、でも、どうにもできなくて、切羽詰まっていた。

今は、ほら、アレですよ。

あまちゃんを見てみたいな。
元能年玲奈は、そんなにすごかったのか?透明感。
宿題の録画を全部見終えて、また宿題が増えた感じ。
posted by ボス村松 at 18:29| Comment(1) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

こやしをたがやした

録画して放ったらかしになっていた「いだてん」を見た。
田畑編の前半戦10数本。
おもしろいなあ。
脚本も役者も上手で、楽しそうだ。
真面目なシーンでも楽しそうに演技しているのは、もちろん買いだけれども、
楽しそうなシーンが本当に楽しいのが、いい。

その後で、これも録画して放ったらかしになっていたNHKスペシャルの「映像の世紀」を見た。
あ、この映像、「いだてん」に使われている!
戦国時代や幕末ではないだけで、「いだてん」もしっかり歴史モノなのだなあ。

いい雰囲気の泣かせの音楽が掛かるところで、毎回泣いてしまうのだが、連続で見ると少し鼻につくな。
田畑が図らずもヒトラーに敬礼してしまうところの仕掛けに、感心し、うなった。
田畑の「違う!」「いや、そう!」という口癖が、オリンピック開催の矛盾とリンクしている仕掛けにも、感心し、うなった。

まだ田畑編の後半が残っている。
楽しみだ。



posted by ボス村松 at 00:08| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月16日

合掌

渋谷のユーロライブで、2014年に亡くなった長嶺高文監督の作品特集の上映会があって、観てきた。
亡くなった年に、偲ぶ会に誘われて、行く行く詐欺をしたことを申し訳なく思っていた私だった。
上演されたのは3作+1

喜談 南海變化玉」
「歌姫魔界をゆく」
「ヘリウッド」
あと、
40分の生前最後のインタビュー。

カントクは私のつくるお芝居を面白がってくれて、10回ぐらい飲みに行ったりした。
私のために、PVを作ってくれたこともあった。
終演後のゲストをブッキングしていただいたこともあった。
カントクと飲んでいると、自分が見所のある人間のように思えて、楽しかった。
私のお酒は明るいが、無礼なので、何度かは呆れられて、飲みと飲みの間が2年3年空いたこともあった。

告白すると私には、エンターテイメント業界の中にいるカントクとの飲みで、何かもらえないかと期待していた部分があった。
その辺のやらしさは、売れない演劇人の私が持っていても仕方のない部分だが、ものすごく下手くそだったと思う。
欲しいならもっと上手くやるべきだったし、あんなに下手くそならやらない方がよかった。
やらないほうがよかった。

カントクはものすごいダミ声で、私のことを「いけもりー、いけもりー」と呼んだ。
「りー」と伸ばした。
住んでいる場所が、私が大塚で、カントクが池袋。
大塚で飲むことが多かった。
カントクと私が飲んでいる席に、のどかさんを招待したこともあった。
のどかさんというのは、俺の芝居に何回も出てくれた、俺的には日本一の女優さん。あんな人はいない。
この席でカントクがのどかさんに「こいつは、あんたに、憧れているんだよ」と言い放って、俺はナイス、カントクと思ったことを懐かしく思い出す。
カントクものんべえなので、飲むといつも深酒になった。
私が帰りの自転車で電信柱に突っ込んで、血まみれになった経験は今でも私の体に残っている。
私の口の左端が、少しひきつっているのは、電信柱の後遺症だ。

カントクと飲んでいた当時の私は、建設現場で働いていたので、カントクは私を、必要以上に苦労人と考えていた節がある。
カントク自身は大きな料亭のご子息であり、全共闘世代。
肉体労働者に対する、うしろめたさがあったのは想像に難くない。
そんな苦役をしてまで、演劇を!ということだろう。

今回の長嶺監督の生前最後のインタビューを見て、ああ、カントクは、こんなようなことを言っていたなあとしみじみと思った。
特に、料亭の息子として生まれて、男と女がおま〇こすることの、猥雑さと日常性について語っているくだり。
あと、自主製作で映画を作ったときのくだり。私の前でも「ハッタリかまして、無茶やったなー」とおっしゃっていたが、何百万も借金したことは知らなかった。

インタビューでは語られなかった話で、俺は聞いたよという話がある。
ヘリウッドで伝説のカルト監督としての、ポジションを得ているカントク。
新作を作るとしたら、どんなものを?と私が聞くと、新作を作るのは正直怖い、とカントクは答えた。
なるほどねー。そういうものか。
今更よく出来た物を狙ってしくじったら、看板に傷がつくというところはあるのだろう。


***観劇の感想***


喜談 南海變化玉」・・自主映画。監督第一作。お客さん入らず。
檀ふみみたいな顔の人が出ているなあ、と思っていたら、檀ふみだった。
自主映画に檀ふみ?!
今だと、ウチの劇団に有村架純 が出演するみたいなものなのかな。
生前最後のインタビューで、「ダメ元でオファーしたら、何でか受けてくれた」と語られていた。

お話は気球を飛ばす若者たちの話。檀ふみはその気球チームのスポンサーの社員として登場。しかしほどなく、この会社はスポンサーを降りてしまう。檀ふみともお別れか…というところ、「会社やめちゃった」とあっけらかんとのたまった檀ふみは気球チームの一員になる。ここまでは実にヒロインらしい導線。
ところが、ここからの檀ふみは、チームの作業員として気球製作に専心する。ヒロインなら絡めとられるべき恋のよもやまに関与しない。肩透かし感はある。しかし、逆にそれが清潔だったなあという後味は残った。元来が透明感が売りの女優さん。透明感がすぎる。とても贅沢な檀ふみの使い方だった。無駄遣いという意見もあるだろう。

気球を飛ばすことが、青春の夢で、その若さを描くドラマなのかな、と思った。
見ている最後の最後で、そう思った。
見ている時間の大半は、目の前の場面が何を意味するのか、わからなかった。
物語において通常、エピソードは積み上げられていくべきものとされている。一方でこの映画ではエピソードは横に広げて置かれていった。

気球が完成間近という時、気球チームの理論的中心人物の教授がチェーンソーで惨殺(!)されて、突如チームは存続のピンチになる。
でも俺たちは気球を飛ばすんだ! 一旦はバラバラになったメンバーが、気球の下に集まってくる。
ここで初めて、横に広げられたエピソードが、立体的な構造物として私の目の前に現れた。
そこには、パズルが解けた爽快感があった。

生前最後のインタビューでカントクは、この作品を「合議制で作った映画で、変にもっともらしい映画になっちゃった」と語った。「俺はもっと下らないものを作りたかったんだけど、話し合いになると、正論が勝つんだよ」
私が爽快感を感じたのは、そのもっともらしい部分が組み合わさってのものと思われるので、私も俗である。

気球の下に集まるクライマックスの場面、男1(クレジット筆頭。大竹まこと)はスーパーを襲撃して食料品を調達して、ヒッチハイクをして気球に向かった。全然そんなことをしなくて良かった。普通に電車に乗って行ける状況だった。でもスーパーを襲撃した。そこが面白かった。振り返れば、そんな場面ばっかりの映画だった。そこを面白がるべき映画だった。

***

「歌姫、魔界をいく」・・自主映画。2作目。お客さんが入って、マスコミにも取り上げられる。
駆け出しの二人組アイドルが、地方興行にいくと車がパンクして難儀する。親切な執事の申し出に、立派な洋館で一泊することに。しかし、何とそこは、人食い女主人が住まう、人食い洋館だったのだ!
あと、人食い女主人は、体長10mの有翼の怪獣をペットとして飼っていたのだった!
そして二人組のアイドルも、実はドラキュラだったり、狼男だったりしたのだった!

分かりやすくB級です。
青春の輝きとか、そういうもっともらしいものはいらない。
ちゃんとすることを拒絶した作品と最初から知れた。
生前最後のインタビューでも、「前作は上手くいかなかったから、今度はおまえが好きなように撮れよ」と言われて作った、とのこと。

アイドルのマネージャーは早々に館の仕掛けで、串刺しになって死亡。食べられる。
アイドル二人組の片方、アイドルAも映画中盤で、怪獣に食べられる。
残されたアイドルBも、執事に首を跳ねられて、生首が化粧台の上に乗る。これまでの流れでいうと、食べられて、おしまいとなるところ、今回は「やったわねー」と生首が喋って、ドラキュラパワーで復活。
アイドルBは、対怪獣、対女主人と死闘を繰り広げる。

戦いの途中、魔界に落ちたとクレジットされ、アイドルと怪獣は、荒涼とした砂丘のようなところで戦う。
ということで、表題、歌姫魔界をゆく。
歌姫はアイドル。魔界は砂丘。
えー。
でも、この、お客さんからの、えー、がカントクの御馳走なんだろう。

結果、アイドルBは女主人に敗れて、女体盛りみたくデコレーションされて食卓にのる。
女主人は生身の人間で、特殊能力は設定されていないのに、ドラキュラパワーに勝つところがおもしろい。
アイドルBの女体盛りを前にして、女主人が、ナイフとフォークを手にする。
食べられる!
この瞬間、怪獣の卵が割れる。食卓の脇に怪獣の卵が供せられていたのだった。食材としてかな。ゆで(怪獣の)卵なのかな。
割れた玉子から、怪獣に食べられたはずのアイドルAが、飛び出してくる。
アイドル二人は窮地を脱して、グラミー賞を取る。

お話の中盤、アイドル二人が洋館のベッドの上でおやすみとなったところ、レズろうよーと言って、軽くいちゃいちゃするところが、エッチでよかった。

***

「ヘリウッド」・・・商業映画デビュー。賛否両論。カルト映画監督としての地位を得る。
地球征服の野望を持つ、松玉斎ダンスが、桃から生まれたアップル少年(何で?)をさらった。
この事件の解決に、美少女探偵団が動く。
美少女探偵団は、アップル少年の養父に聞き取りを行う。
養父は神父。神父はゲイであることとアップル少年への性愛を、美少女探偵団に告白する。

松玉斎ダンスが、バンドを率いて歌う。松玉斎ダンスは劇場を根城として日々人類を教化しているのだった。
熱狂のステージの裏で、松玉斎ダンスはアップル少年に、ウンコを食わせる。
松玉斎ダンスは人類植物化計画を考えているのだった。
植物はウンコを食べる。

神父は劇場に乗り込み、アップル少年の奪還を試みる。
神父強い!
鎖鎌を武器に、松玉斎ダンスを追い詰める。
しかし、そこにアップル少年が現れ、松玉斎ダンスへの愛を告白する。
劇場に響き渡る帰れコールの中、神父は、泣いて劇場を後にする
「俺だよ、ダンス」
アップル少年が変装を解くと、それは松玉斎ダンスの仲間のマッドサイエンティストにして、バンドのギタリストのパンクだった。
パンクは地球に行き倒れていた松玉斎ダンスの命の恩人。
しかし松玉斎ダンスの地球征服に協力させられて、今の思いは愛憎半ば。あの時、おまえを助けるんじゃなかった。
「普通の変態に戻りたい!」とパンクは悲痛に叫ぶ。

大王は、松玉斎ダンスの悪事を憂いていた。
松玉斎ダンスの野望を止めるため、ビワノビッチを地球に派遣する。
「月に兎が踊る時、おまえはダンスを倒すのだ」

美少女探偵団の美少女Aの父は、植物学者。
松玉斎ダンスは、植物学者を拉致して、恐るべき人体取り換え装置に植物学者を放り込む。
反抗的な態度をとったマッドサイエンティスト・パンクと、植物学者の脳を取り換えるというのだ。
果たして実験は成功し、松玉斎ダンスは人類植物化計画に向けて、植物学者の知見を得る。
抜け殻のようになった植物学者の体は、帰宅し、「お父様、大丈夫?」と心配する美少女Aの前で
♪たらったらったらった、うさぎのダンス
と大きな満月の前で、踊る。

月に兎が踊った!
機は熟した!松玉斎ダンスを倒すのだ!
ビワノビッチは、怪音波を発する、琵琶を武器に劇場に乗り込む。
怪音波で、パンク以下の手下を倒す。
松玉斎ダンスとは、レーザー銃の撃ち合い。
松玉斎ダンスは、異次元に逃げる。

美少女探偵団もアップル少年失踪の事件解決に向けて、劇場に乗り込む。
神父もマシンガンを手に、劇場に乗り込む。

次元を跨いだ追跡劇が圧巻。
B級ながらも、ここまでを見て、そのB級に教化された頭には、壮大なシンフォニーの終章のように感じられれる。
名作と名高い「マルコビッチの穴」と似ている。
これは、一転して、芸術だなあ…。

物語はあんまり解決しない。
松玉斎ダンスは異次元に消えたまま、ビワノビッチもそれを追ったまま、結論は示されない。
けど、それは、まあ、どうでもいいでしょう。

みんなで歓喜の歌を歌っておしまい。

主演の松玉斎ダンスは、純音楽家の遠藤憲司。映画音楽も担当する。映画は遠藤憲司のPVだ、との評も公開時にはあったそうな。
神父役の佐藤B作が、無駄に演技が上手くて、おかしみ。
美少女探偵団が、ヘタウマで、ちょっとブサも入って、カワイイ。

生前最後のインタビューで、松玉斎ダンスを松田優作が演じるプランもあったそうで、それも見てみたかった。
この映画を製作するにあたり、前2作を共にした自主映画のスタッフで作ることを条件にしたカントクに男気。


今度、お墓参り行きます。
合掌。
posted by ボス村松 at 18:34| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月10日

映画みた。

プラットホーム、ええ曲や。
サリューって、この歌の人だったんだ。
PVの映像もええな。こういうの好きやで。
それで、サリューさん、なんか少し紗倉まなに似てるな。
ということは、きゃりーぱみゅぱみゅにも似てるということだ。
つまりは天が作りたもうた造形の奇跡ということだ。
ありがたや。
プラットホームは、映画の主題歌らしい。
PVと関連性があるのかな。
映画も見てみたいな。
タイトルは聞いたことがあるで。

今週は映画館で映画を二本見た。
二本とも、将棋友達の松山さんがらみだ。
松山さんの都合が悪くなって、見に行けなくなった話題作を、代わりに見に行ったのが一本。
松山さんが15回見ているおススメの映画を一本。

話題作の方は「竜とそばかすの姫」
アニメーション技術の粋をこらした歌唱シーンは圧巻であった。
お話はこんなんで、心を動かされてたまるかと思う紋切り型の積み重ねだったが、しっかり感動してしまう。
うまいこと騙されちゃったなと、映画館を出た後に、ちぇっと思う。
実はこの細田監督の映画は見たことがなくて、でも、ヒットメーカーであることは知っている。前作「未来のミライ」は評判が良くなかったことも知っている。未来のミライでは、個人的な育児体験を映画にしたそうな。エンタメ性に欠けていたのがよくなかったらしい。
きっと、監督は逆ギレ的に、じゃあウケてやんよ!と、ウケそうな要素を全部この映画につぎ込んだのだろう。ちがうかもしれない。
何といっても、初めて細田監督の作品を見たわけだからな。

松山さんおススメの映画は「虚空門」という知る人ぞ知るという、マイナーな映画。
UFOを追いかける人のドキュメンタリーを撮っていたら、とある人物に出会って、その人を話の中心に据えたら、ものすごい人間ドラマになってしまったという作品。
胸が痛くなるという方向で心が動く。
それは感動といえば、感動なんだけど、一般に感動という言葉に含まれる、甘い喜びには乏しい。
ほぼほぼ痛み成分。
しかし、映画館を出て何日か経って、甘味を感じるようになってきた。

龍とそばかすの姫のテーマソングも、俺の作業用ソングのラインナップに入った。

良い作品に嫉妬するのをやめれば、きっと俺の人生はもっと豊かになる。
もう、嫉妬やめる。
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2021年09月19日

コーヒーおかわり自由350円。

自転車のパンク修理待ちにより、懇意の喫茶店兎亭で、二時間ほど時間をつぶすことになった。
3月のライオンを読んだ。
泣いた。笑った。
この作品では、最初の方、将棋は辛くて苦しいもの…でもガンバル、とスポコン風に描かれていた。
俺にはそこが不満だった。
分かってない。と思っていた。
将棋は、人を夢中にさせる楽しいゲームというのが本質なはずなのに!
昔、俺の作った、将棋芝居の方が、将棋を分かってる、と思った。

しかし10巻辺りで藤本棋竜が活躍しだしてから、作品のノリが変わった。
将棋の盤上、盤外の愉快なところが、前面に出てきた。
分かってる、と思った。
負けました、と思った。
藤本棋竜の活躍に、喫茶店で、声を出して笑った。
あと滑川七段の登場回にもハズレなしですな。

もともとハチミツとクローバーも、ギャグマンガとして面白かったんだから、先生の面目躍如だ。
やればできるじゃん。

…ということではなく、やれるんだけど、封印していたのではないか。

先生は単行本のあとがきマンガで、ハチミツとクローバーの7巻辺りから「次は将棋をやる」ということで、取材を始めていたことを描いた。
ハチミツとクローバーの7巻には、その伏線も張ったと言うんだから、早い!綿密!

この段でいくと、将棋をスポコンから始めたのも、将棋を知らない人向けの作戦なのではないか?
わかりやすいスポコン形式で将棋に慣れさせておいてから、将棋オモシロにシフトしていく作戦だったのではないか?
そんな気がしてきた。
俺は一流の作家の力に、戦慄した。
俺の方が分かってるとか一度は思ったことにも、戦慄した。

それでも主人公とヒロインが両想いになって、次はヒロインのお姉ちゃんまわりの恋模様に話がシフトする展開に、両想いの後が難しいんじゃん!といっぱしの批評家めいた気持ちを持つのは、読者の自由だ。
そんな感じで5,6話分読み進めていたら今度は、主人公が両想いになったから将棋が弱くなったと悩みだす、新展開が待っていた。
まじかよ。また上回られた。

天才。すべては先生の掌の上。

あと演技が一番上手いんじゃないか。
彼女の描く絵の人物は。
シリアスも笑いも、の自在感たるや。

最近、俺も自分の脚本のアニメ化(パラパラ漫画化)に取り組んでいる。
絶望してもいいんだけど、俺も頑張ろう、と家に帰って、案外、液晶タブレットのペンを取った。
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2021年04月02日

途中から

俺の子供の頃の地元石川県の映画館は、お客さんの入れ替えなんてやってなかった。

途中から入れるし、ずっと席に座って何回も見ることができた。

上演時間に合わせるなんて文化はなく、映画館に着いたら、とりあえず入って、途中から見て、同時上映を見て、改めてまた初めから見て、最後まで見たものだった。

今日、金曜ロードショーなのかな?

途中から、ハウルを見た。

全く話は分からなかったが、楽しく見た。

絵がとても面白く動いていた。

ハウル、カッコいい。

そうそう、おばあちゃんが階段上り競争するの、おもしろかった。

どうかな、と思ったところは二点あった。

@戦争があんなに簡単に終わっていいモノなの?

Aソフィはどうやら、若い子が見た目おばあさんになる呪いをかけられたようだが、そこは逆に、おばあさんが心が娘になる呪いをかけられた方が、しっくりくる話ができる気がした。


posted by ボス村松 at 23:57| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月12日

読了

テレビ再放送に触発されて、お嫁さん所蔵のpのだめカンタービレを、正編全23巻一気読みした。(アンコール編の24、25巻アリ)

これまで10回ぐらい一気読みしているのだが、そのたびに、ギャグに恋に音楽スポコンに、おもしれーおもしれーと、ページをめくるのももどかしく、先に先にと読んでいた。

今回は意識的にいくぶんゆっくり読んでみた。

これまでだいぶ、こぼして読んでたことがわかった。

構造の妙や、一コマに込められた意味を以前よりもすくい取れて、新たに感心した。

わけてもシュトレーゼマンの聴力が落ちていてる設定を、俺は不覚にも軽く流し読んでいた。

21巻の最後のコマのモノローグ「美しい音が聴こえるうちにー」の老いの哀切を全く拾えていなかった。

だめじゃん。

著者はどこからシュトレーゼマンとのだめちゃんのピアノコンチェルトを、ラストバトルに持ってくることを考えていたのだろう。

パリ編になって、舞台がヨーロッパなんだから、世界的巨匠であるところシュトレーゼマンともっと絡んでいいところが、

ほとんど絡んでいないのが、ラストバトルに利いている。



このコンチェルトの結果、もうこれ以上の演奏はできないと、のだめちゃんはピアノから逃げ出すのだが、

マンガ自体も、これ以上ないと思わせる境地をずっと突っ走っているので、作者のマンガ書きとしてのエッセイでもあるのだろうなと思った。



俺も絶賛面白い嘘の話をつきたいと思っている中なので、立つ場所としては、上掲漫画家様と一応、いっしょなはず。

なんか、まなべ。

んー。

キャラなのかなー。マンガはキャラというし。この漫画家様もそうやって書いているのかしら。ぎゃぼーん。
posted by ボス村松 at 16:50| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月29日

落選。書く将棋新人王戦

応募していた書く将棋新人王戦に、落選した。

お嫁さんが寝ているおれに、「いけもいたーん」(二人のときの俺の愛称)と悲し気に声を掛けてきたきたことでしった。

「書く将棋新人王戦の結果出てたよ」


彼女の悲痛な声色で、落選の言葉を聞く前に結果はわかった。

彼女は、俺の作を読んで、入選するんじゃないの?と言ってくれていたのだが、本気度は高かったのかなとも思った。

こんちくしょう。

いいよ別に。俺は入選なんてできるはずないと思ってたからね。

俺の座右の銘は「ゴッホは生前一枚の絵も売れなかった」だ。

ここで入選なんかしては、ゴッホとしての箔が落ちる。

勝負は死んでからだ。

最終選考8作品には残ったらしい。

読み比べられて落っこちてしまったわけだ。

下読みで弾かれたのとは異なる、力負けの構図だ。

改めて、自分の書いたのを読んでみると、力の入りすぎを感じた。

内容詰めすぎで、自分でも、ちょっと飛ばして読んじゃった。

第二回新人王戦(あるのかは知らんが)には、ブログを書くつもりで書こう。
posted by ボス村松 at 16:17| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月07日

「海獣の子供」をみてきた

「海獣の子供」を池袋に行って、観て来た。

米津玄師の主題歌「海の幽霊」のMVを見て、感銘をうけて本作はどうだと劇場に足を運んだ次第。

主題歌「海の幽霊」は映画の主題歌らしい壮大さがあって、折々入る声の加工がカッコよくて、その声が水でブクブク言ってる感じに似ていて、筋が通っている。すごいなあ、才能だなあ。

さて映画本編である。

よかったわるかったでいえば、よかった。よかったことを先に言っておいて、つぎ言をわせてくれ。

主題歌の「海の幽霊」な。

エンディングのタイトルロールに使われているだけだった。

本編とは絡んでいなかったんだなー。

むー、これは残念。

俺はガンダムVの「めぐりあい」を期待してしまっていた。

ボーカル有りの楽曲とテンション高いラストバトル。

楽曲と映像が完全に混ざり合わず、どっちも主張しあう両雄並び立つアレですよ。

あれが見たかった。

実際、今作本編のラスト、深海で起きる「宇宙の誕生と生命の誕生のかけあわせ」の記憶、の、伝承?の場面では、ここはひとつ、久石譲さんに席を譲ってもらって「海の幽霊」から場面を作ったらどうだったかなー。

なんかこう、あの場面、というか、この映画・・SF設定の謎解き映画にもう一味欲しい所の、人の声が付加されてグッと作品が湿って潤うような気がするんだよなー。

MVがいい出来なもので、MV見てれば俺がここまで書いたカタルシスは味わえるのだけれども。



大画面で見た映像は、案外、伝統手書きアニメとCGの動きの不和が気になっちゃったな。

あと、背景の美術の巧拙自体も、俺のパソコンのちっちゃい再生動画で見てた時の方がうまく見えた。

あと、劇場アニメはもう、美少女が空を飛ばんとダメなのかね?

隣で上映してた天気の子も飛んでるし、ミライの未来も飛んでるようだ。



ただ最後に、でもよかった、と結んでおきたい。

映像のイメージの豊かさはとんでもないな、と。大したものだと恐れ入った。見たことない絵をいっぱい見た。

クジラかっこよかった。

クジラのデカさを感じたかったのだから、映画館で一番前の席に座ればよかった。

原作の漫画を読んでみようと思う。

ナウシカのクシャナみたいに、映画になって損してるキャラクターがいっぱいいるようにも見えた。
posted by ボス村松 at 10:33| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月02日

メモ

なんか面白いことをバイト中に思いついた気がするが、思い出せない。

今日からメモを取ることにしよう。

ニュートンも、南キャン山ちゃんも、メモ魔だったと聞く。大きなことを成し遂げる人間はメモをとるのだ。

唯一、グラップラー刃牙の作者の板垣恵介が、俺はメモなんてとらないと逆のことをインタビューで言っていた。

「忘れるぐらいのことなんて、大したアイデアじゃないんだッッッ」

ッッッは俺の脚色であるにせよ、さすが、あのマンガを描いた人で、大変男らしいコメントだ。

なるほどそういうことか。

急に合点がいった。

あのマンガで、一回コテンパンにやられたキャラがどいつもこいつも、負けたことを忘れて、また自信満々で再登場してくるのも、・・そういうことだったのだ。

板垣先生は、敗北など、どいつもこいつも忘れるぐらいに、大したことではないということを、あのマンガでいっているのだッッ

先生の頭がちょっと悪いとか、そういうことではなく。

敗北など大したことではないとッッ

板垣先生は、そおッッッッッッッッツツツツツ

俺は勝者よりも敗者に心を寄せるものだ。

俺にとって、唯一勝ちっぱなしでいてほしかった羽生さんも、ついこの前に、敗者の側に回ってきた。

板垣先生!俺はメモなんてとりませんッッッ



・・おかしいな。メモをとるという話だったんだけど。書いてるうちになんか・・。

話にオチをつけたがる性分が、どうにも、俺が前を進むのを阻んでいるような気がする。
posted by ボス村松 at 11:53| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月13日

ジャンプの新連載

カラオケの深夜バイトの同僚二人がジャンプ愛読者で、バイトの休憩中に出たてのジャンプを買ってくる。

ナルトの人の新連載(原作、作画は別)が今週号にあって、俺にも読めという。

読んでみて、設定が多いな、でも、それは俺がジャンプから20年離れていて、ジャンプの読み方がアップデートされてないせいなのかもな、と思った。

読んでいて熱くなるところはあったし、面白いんじゃないのと二人に言ったら、そうですかと、スーンとした反応がきた。

いや、設定多すぎな気はしたけど、というと、ですよねー、と我が意を得たりという返事がきた。

バイトの後、三人で読解の会議をした。

七つ集めなければいけない鍵は、冒頭の「実はゲームの中の話でした展開」で示されたように倒して手に入れるものではなく、仲間にして手に入れていくものであることが3人の総意となった。そしてゲームの中で倒した手に入れた鍵は、1個目にカウントされておらず、主人公のハチマルが1個目の鍵であることが確認された。

おれはてっきり、主人公のハチマルがお師匠さんと、残りの6つの鍵を倒していって、最後、お師匠さんが、「おまえが7つ目だ」と鍵をもっているハチマルに刃を向けるという展開かと思っていた。

集まった7人の鍵を持つ仲間たち+お師匠さんで、パンドラの箱を開き、ラスボスの希望と戦うことになるのだろう。

そして主人公の八丸は不動明王の血をひいていることはまちがいないだろう。

7つの鍵を集める話で、お師匠さんがゲットした1個目の鍵というのが主人公のハチマル。

ハチマルはお師匠さんが7人にあたって、ダメで、8番目にようやく見つけた少年。

7と8の数字がややこしい。

今後駄目だった7人も敵キャラとしてでてくるのだろうか。

今回倒された名前も語られなかった悪役キャラは、今回限りなのか、ちょこちょこ出続ける、ライバルキャラなのか。

今後の展開が楽しみだ。

ジャンプ愛読者の二人は、このマンガはダメだろうと近い打ち切りを予言した。

あとワンピースの初回は完璧だったと言った。

posted by ボス村松 at 20:34| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月14日

勇気をもらった

純烈の人の一人が、私生活のオイタがバレて、紅白出場の絶頂から11日後の引退となった。

こういう記事には励まされる。

こういう辛い目に俺が合わないのは、紅白出場できないからだよな、と。

俺は風邪も治って、幸せだよ。なんて。

純烈の人の一人は、よく使われる言い方だと今回の件で、

「見ている人たちに勇気を与える」存在になったのだ。

皮肉なもの言いになっているけど、実際そうなので、純烈の人の一人には誇ってもらいたい。

いや、コトが͡コトだけに、誇ったら怒られるんだけど、でもあなたがいて、世界がいい方に動いた面もある。

またお会いできる日を。


記事の中の本人の談話として出ていた

「純烈が売れていく中で、いつバレるかヒヤヒヤしていた」なんていうのは映画化できるモチーフだと思う。

ボヘミアンラプソティが、大ヒットしている中、二匹目のドキュメントストーリーはここにあるのではないかしら。

仮面ライダーから始まり、謝罪記事を読んで勇気をもらう俺で終わる、そんな狂想曲が見てみたい。


ボス村松は、いつでも出演OKです。

なんなら脚本書きます。

映画配給会社の方々、連絡お待ちしております。

posted by ボス村松 at 18:48| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月17日

ブロリー

昨日、芝居を観てからバイトまで時間があったので、ガストに入って時間を潰した。

隣の席に、そんなムサクはない若い大学生が座って、ドラゴンボールの話をはじめた。

誰が強いとか、そんなの。

これを、ムサイのがやると、痛々しい感じになるのだけれど、ムサクないのにやられると何だか微笑ましく思ってしまった。

そしてとなりの空いた席に、またムサクない若いカップルが来ると、これもまたドラゴンボールの話を始めた。

ちょっと待てよ。

すごいな、ドラゴンボール。

バイトに入って、この時の驚きを話すと、バイト仲間のSくんが、「ああブロリーですね!!」

とこれまた熱く語りだすじゃないか。

何でも、ドラゴンボールにも(三国志、ガンダムなどと同じく)鳥山明が監修している正史と、別物の企画、ドラゴンボール正史のパラレルの世界として語られている創作があるらしい。今上映中の映画は、パラレルの創作で最強を誇った人気キャラのブロリーが、鳥山明監修の正史についに、登場するというものだったらしい。

ああ、それは燃えるポイントだわな。

そういえば、昨夏ライオン殺しで共演した、からまわりえっちゃんの林廉くんが、この冬上映のドラゴンボールのブロリーのことを熱く語っていた。

俺はそのとき、大人げないことを熱く語るギャグかと思っていたのだが、あれも本気だったのかもしれないなと、今思う。

俺もちょっと観てみたくなった。

バイトのSくんには、他にも、戦隊モノのジェットマンを観ろと強く勧められた。
posted by ボス村松 at 19:21| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月19日

テレビ「デナリ大滑空」鑑賞

録画してあった、「デナリ大滑空」を飯食いながら見た。

デナリは、俺にはマッキンリーとして耳馴染みがあった山だ。

開拓者がつけた名前から現地古来の名前に戻ったパターンと思われる。

植村直己が冬季単独登頂を果たしたのち、命を落としたあの山だ。

今回山岳スキーヤーの佐々木さんが、難関ルートから頂上付近まで登った後、これまた急で狭い斜面の南西壁を世界で初めてスキーで滑り降りるという。

なんでスキーで難関の斜面を滑り降りなければいけないのか、という疑問は、なんでわざわざあんな疲れるバタフライという泳ぎ方をするのかというのを問うのと同じナンセンスだろう。

わかったよ。スキーで滑ることに意義があるのね。

しかし、滑り降りるのが主眼の今回に、わざわざ「難関ルートから登る」というのをくっつける意味は分からなかった。

D難度の三回転二回ひねりを伸身でやると難度がH難度に上がって得点が伸びるというものなのか、せっかく京都に行くんだから奈良にもいっとけみたいなものなのか。

とにかく、登りからがキツイ。

下調べに前年に一般的なルートから登った時は、サクッと歩いて登っていた。

一般的なルートでいいじゃん。

本番は、15時間ぶっ続けでスキー板を担いで氷の壁を登る。

両手にピッケルをもって交互に突き刺しながら、足先のアイゼンで登る。足場はない。斜度80度。15時間登って、予定の場所まで達しない。道中一泊多くするしかない。高まる凍死のリスク。雪崩。

二日かけて滑空を始めるポイントまで上りきる。

休む間もなく滑空開始。

っておまえ、もうヘトヘトじゃん。

滑り下りる斜面は十センチほどの厚みがある雪に覆われているが、その下は氷。スキーのエッジが効かない。

風や雪崩で、雪が消えて氷がむき出しになっている部分もある。

「氷を選ばないことが勝負ですね」

だいたい天候が勝負とか、その時の雪の状態が勝負とか、いろいろ勝負勝負と言っているのだが、結論は「行くしかない」に決まっているので、勝負も何もあったもんじゃない。

案の定、相棒1が氷につかまり滑落。ギャー。全部空撮の映像で映っておる。

雪煙と共に意志のない人形みたいな影が斜面を滑っていく。

途中で止まる。動かない。佐々木さんは声をかける。返事がない。

佐々木さんは氷の斜面にスキーを脱いで救出に向かう。

相棒1は靭帯断裂。

「すまん」と泣く相棒1。「いやいやオッケー、生きててよかったよ」

滑空する斜面は、斜度がきつく、周囲も崖、クレパスもある。

そもそもスキーでコケたら死ぬという設定が無理ゲーすぎてわからない。

往年のゲーム、スペランカーのようだ。

またタイトルに「デナリ大滑空」とあったが、俺は全行程をスキーで滑り降りるとは思いもよらなかった。

いい塩梅のところを選んでスキーで滑るのかと思ってた。

正解は、「全行程、スキー板を履いて、スキーをする」、なのだった。

頭おかしい。最大斜度55度。

佐々木さんは、滑空を半ばにして、靭帯断裂の相棒1を連れてキャンプ4まで歩いた。

今回の冒険もここまで。

と思いきや、相棒1は「俺は一人で山を下りるから(靭帯の切れた足で)、佐々木は残りを滑ってくれ」

と言う。

翌朝、一気の滑空はならなかったが、途中でやめたところから再チャレンジ。

ヘルメットに付いているカメラの映像があるんだけれども、これがおっかない。

晴天で視界はいいんだけど、斜面が切れてその先が青空となっている、その先が、崖なのか角度が急になっただけで斜面が続いているのかが、わからない。

空撮の映像で、ルートを間違えて崖に向かう佐々木さんが映る。

俺の気持ちはもうドリフ。「しむらー、崖、崖ー」

気づく佐々木。「やっべー、崖だったよ」

おお、そうだよ。今、おまえ超やばかったよ。

隣で飯食ってるお嫁さんは泣いている。

人生で初めての「危ない泣き」だそうだ。

佐々木さんと相棒2は、最後の難所、超狭い、崖、急、氷、斜面を抜けて無事生還。

植村直己の座右の銘「冒険は生きて帰ること」(マッキンリーで死んでます)を、やはり矜持としている佐々木さんは声を上げる。

「生きて帰ったぞー」

わざわざ死地に行って、生きて帰ったぞもないもんだ。

「やばかった。二回死んだ」

ツッコミ待ちのボケのようでもあるが、たしかにはすごかった。

でもだめだな。この人も死ぬまでなのかもしれん。

訃報をニュースで聞かないことを願う。

奥さんと子供さんを映した映像もあった。奥さん美人。

「極限まで、楽しみに行ってるんだよねー。帰ってきてお話をきかせてくれればと思います」

笑顔。

そして子供に向かって

「この子もすぐに登っちゃいそうだなー」

また笑顔。

まだおっぱい飲むか飲まないかぐらいに見える子供さんは、確かに佐々木さんに似ている。

佐々木さんは「家族を持って幸せを噛みしめると、帰ってこなきゃっていう気持ちが強くなりましたね」

だとさ。しかし、その言葉にはやっぱりどこかに帰って来れない自分に同意してるようにも思える。

つぎは、単独に挑戦か?

見ながら食べたごはんは、鮭チャーハン(俺作)、サトイモの煮物(嫁作)、投入味噌汁(嫁作)でした。





posted by ボス村松 at 19:00| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月13日

シン・ゴジラをみた

昨日、シン・ゴジラを見た。

映画館でもみたけど、やっぱり面白かった。

当たり前だけど、映画館の方が迫力があった。

でも二回目の今回の方が、話の筋立てがわかった。

シン・ゴジラの庵野監督は、エバンゲリオンの監督で、シン・ゴジラでやっぱりすごい人なんだなと思ったが、

庵野監督自身は僕なんかより嫁の方が、クリエイターとして才能があると言った文章を読んだことがある。

庵野監督の嫁は安野モヨコだ。働きマンの人だ。

庵野監督は、書けない書けないの人でTVアニメのエバンゲリオンを落書きにしちゃった人。

安野モヨコはマンガ家で、マンガ家は連載をしているので、基本書ける人だ。

小劇場の私も、連載という一点だけでもマンガ家ってすごいなと思う。

庵野監督の言うことも、もっともだと思っていた。

でも今回、安野モヨコの「安野」の漢字を知りたくて、検索をかけてみると、安野モヨコも書けなくなって、うつになって、しばらくお休みしていたという。

そらそうだよ。

きっと、それがふつうなんだ。

ずーっと、一線で週刊連載している、高橋留美子はどんな頭をしてるんだろう。
posted by ボス村松 at 15:37| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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