JUDY.jpg 劇団の動画など、ありますよ?
ボス村松ドラマスペシャル「じ・だん」パラパラアニメ
遍歴の騎士ヤマオカ卿の酒気帯びでやんすダイジェスト
けつあごのゴメスダイジェスト
P型柔道一門PV
ミハエルとアイルトンとチュウカドンPV


2019年08月07日

「海獣の子供」をみてきた

「海獣の子供」を池袋に行って、観て来た。

米津玄師の主題歌「海の幽霊」のMVを見て、感銘をうけて本作はどうだと劇場に足を運んだ次第。

主題歌「海の幽霊」は映画の主題歌らしい壮大さがあって、折々入る声の加工がカッコよくて、その声が水でブクブク言ってる感じに似ていて、筋が通っている。すごいなあ、才能だなあ。

さて映画本編である。

よかったわるかったでいえば、よかった。よかったことを先に言っておいて、つぎ言をわせてくれ。

主題歌の「海の幽霊」な。

エンディングのタイトルロールに使われているだけだった。

本編とは絡んでいなかったんだなー。

むー、これは残念。

俺はガンダムVの「めぐりあい」を期待してしまっていた。

ボーカル有りの楽曲とテンション高いラストバトル。

楽曲と映像が完全に混ざり合わず、どっちも主張しあう両雄並び立つアレですよ。

あれが見たかった。

実際、今作本編のラスト、深海で起きる「宇宙の誕生と生命の誕生のかけあわせ」の記憶、の、伝承?の場面では、ここはひとつ、久石譲さんに席を譲ってもらって「海の幽霊」から場面を作ったらどうだったかなー。

なんかこう、あの場面、というか、この映画・・SF設定の謎解き映画にもう一味欲しい所の、人の声が付加されてグッと作品が湿って潤うような気がするんだよなー。

MVがいい出来なもので、MV見てれば俺がここまで書いたカタルシスは味わえるのだけれども。



大画面で見た映像は、案外、伝統手書きアニメとCGの動きの不和が気になっちゃったな。

あと、背景の美術の巧拙自体も、俺のパソコンのちっちゃい再生動画で見てた時の方がうまく見えた。

あと、劇場アニメはもう、美少女が空を飛ばんとダメなのかね?

隣で上映してた天気の子も飛んでるし、ミライの未来も飛んでるようだ。



ただ最後に、でもよかった、と結んでおきたい。

映像のイメージの豊かさはとんでもないな、と。大したものだと恐れ入った。見たことない絵をいっぱい見た。

クジラかっこよかった。

クジラのデカさを感じたかったのだから、映画館で一番前の席に座ればよかった。

原作の漫画を読んでみようと思う。

ナウシカのクシャナみたいに、映画になって損してるキャラクターがいっぱいいるようにも見えた。
posted by ボス村松 at 10:33| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月02日

メモ

なんか面白いことをバイト中に思いついた気がするが、思い出せない。

今日からメモを取ることにしよう。

ニュートンも、南キャン山ちゃんも、メモ魔だったと聞く。大きなことを成し遂げる人間はメモをとるのだ。

唯一、グラップラー刃牙の作者の板垣恵介が、俺はメモなんてとらないと逆のことをインタビューで言っていた。

「忘れるぐらいのことなんて、大したアイデアじゃないんだッッッ」

ッッッは俺の脚色であるにせよ、さすが、あのマンガを描いた人で、大変男らしいコメントだ。

なるほどそういうことか。

急に合点がいった。

あのマンガで、一回コテンパンにやられたキャラがどいつもこいつも、負けたことを忘れて、また自信満々で再登場してくるのも、・・そういうことだったのだ。

板垣先生は、敗北など、どいつもこいつも忘れるぐらいに、大したことではないということを、あのマンガでいっているのだッッ

先生の頭がちょっと悪いとか、そういうことではなく。

敗北など大したことではないとッッ

板垣先生は、そおッッッッッッッッツツツツツ

俺は勝者よりも敗者に心を寄せるものだ。

俺にとって、唯一勝ちっぱなしでいてほしかった羽生さんも、ついこの前に、敗者の側に回ってきた。

板垣先生!俺はメモなんてとりませんッッッ



・・おかしいな。メモをとるという話だったんだけど。書いてるうちになんか・・。

話にオチをつけたがる性分が、どうにも、俺が前を進むのを阻んでいるような気がする。
posted by ボス村松 at 11:53| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月13日

ジャンプの新連載

カラオケの深夜バイトの同僚二人がジャンプ愛読者で、バイトの休憩中に出たてのジャンプを買ってくる。

ナルトの人の新連載(原作、作画は別)が今週号にあって、俺にも読めという。

読んでみて、設定が多いな、でも、それは俺がジャンプから20年離れていて、ジャンプの読み方がアップデートされてないせいなのかもな、と思った。

読んでいて熱くなるところはあったし、面白いんじゃないのと二人に言ったら、そうですかと、スーンとした反応がきた。

いや、設定多すぎな気はしたけど、というと、ですよねー、と我が意を得たりという返事がきた。

バイトの後、三人で読解の会議をした。

七つ集めなければいけない鍵は、冒頭の「実はゲームの中の話でした展開」で示されたように倒して手に入れるものではなく、仲間にして手に入れていくものであることが3人の総意となった。そしてゲームの中で倒した手に入れた鍵は、1個目にカウントされておらず、主人公のハチマルが1個目の鍵であることが確認された。

おれはてっきり、主人公のハチマルがお師匠さんと、残りの6つの鍵を倒していって、最後、お師匠さんが、「おまえが7つ目だ」と鍵をもっているハチマルに刃を向けるという展開かと思っていた。

集まった7人の鍵を持つ仲間たち+お師匠さんで、パンドラの箱を開き、ラスボスの希望と戦うことになるのだろう。

そして主人公の八丸は不動明王の血をひいていることはまちがいないだろう。

7つの鍵を集める話で、お師匠さんがゲットした1個目の鍵というのが主人公のハチマル。

ハチマルはお師匠さんが7人にあたって、ダメで、8番目にようやく見つけた少年。

7と8の数字がややこしい。

今後駄目だった7人も敵キャラとしてでてくるのだろうか。

今回倒された名前も語られなかった悪役キャラは、今回限りなのか、ちょこちょこ出続ける、ライバルキャラなのか。

今後の展開が楽しみだ。

ジャンプ愛読者の二人は、このマンガはダメだろうと近い打ち切りを予言した。

あとワンピースの初回は完璧だったと言った。

posted by ボス村松 at 20:34| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月14日

勇気をもらった

純烈の人の一人が、私生活のオイタがバレて、紅白出場の絶頂から11日後の引退となった。

こういう記事には励まされる。

こういう辛い目に俺が合わないのは、紅白出場できないからだよな、と。

俺は風邪も治って、幸せだよ。なんて。

純烈の人の一人は、よく使われる言い方だと今回の件で、

「見ている人たちに勇気を与える」存在になったのだ。

皮肉なもの言いになっているけど、実際そうなので、純烈の人の一人には誇ってもらいたい。

いや、コトが͡コトだけに、誇ったら怒られるんだけど、でもあなたがいて、世界がいい方に動いた面もある。

またお会いできる日を。


記事の中の本人の談話として出ていた

「純烈が売れていく中で、いつバレるかヒヤヒヤしていた」なんていうのは映画化できるモチーフだと思う。

ボヘミアンラプソティが、大ヒットしている中、二匹目のドキュメントストーリーはここにあるのではないかしら。

仮面ライダーから始まり、謝罪記事を読んで勇気をもらう俺で終わる、そんな狂想曲が見てみたい。


ボス村松は、いつでも出演OKです。

なんなら脚本書きます。

映画配給会社の方々、連絡お待ちしております。

posted by ボス村松 at 18:48| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月17日

ブロリー

昨日、芝居を観てからバイトまで時間があったので、ガストに入って時間を潰した。

隣の席に、そんなムサクはない若い大学生が座って、ドラゴンボールの話をはじめた。

誰が強いとか、そんなの。

これを、ムサイのがやると、痛々しい感じになるのだけれど、ムサクないのにやられると何だか微笑ましく思ってしまった。

そしてとなりの空いた席に、またムサクない若いカップルが来ると、これもまたドラゴンボールの話を始めた。

ちょっと待てよ。

すごいな、ドラゴンボール。

バイトに入って、この時の驚きを話すと、バイト仲間のSくんが、「ああブロリーですね!!」

とこれまた熱く語りだすじゃないか。

何でも、ドラゴンボールにも(三国志、ガンダムなどと同じく)鳥山明が監修している正史と、別物の企画、ドラゴンボール正史のパラレルの世界として語られている創作があるらしい。今上映中の映画は、パラレルの創作で最強を誇った人気キャラのブロリーが、鳥山明監修の正史についに、登場するというものだったらしい。

ああ、それは燃えるポイントだわな。

そういえば、昨夏ライオン殺しで共演した、からまわりえっちゃんの林廉くんが、この冬上映のドラゴンボールのブロリーのことを熱く語っていた。

俺はそのとき、大人げないことを熱く語るギャグかと思っていたのだが、あれも本気だったのかもしれないなと、今思う。

俺もちょっと観てみたくなった。

バイトのSくんには、他にも、戦隊モノのジェットマンを観ろと強く勧められた。
posted by ボス村松 at 19:21| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月19日

テレビ「デナリ大滑空」鑑賞

録画してあった、「デナリ大滑空」を飯食いながら見た。

デナリは、俺にはマッキンリーとして耳馴染みがあった山だ。

開拓者がつけた名前から現地古来の名前に戻ったパターンと思われる。

植村直己が冬季単独登頂を果たしたのち、命を落としたあの山だ。

今回山岳スキーヤーの佐々木さんが、難関ルートから頂上付近まで登った後、これまた急で狭い斜面の南西壁を世界で初めてスキーで滑り降りるという。

なんでスキーで難関の斜面を滑り降りなければいけないのか、という疑問は、なんでわざわざあんな疲れるバタフライという泳ぎ方をするのかというのを問うのと同じナンセンスだろう。

わかったよ。スキーで滑ることに意義があるのね。

しかし、滑り降りるのが主眼の今回に、わざわざ「難関ルートから登る」というのをくっつける意味は分からなかった。

D難度の三回転二回ひねりを伸身でやると難度がH難度に上がって得点が伸びるというものなのか、せっかく京都に行くんだから奈良にもいっとけみたいなものなのか。

とにかく、登りからがキツイ。

下調べに前年に一般的なルートから登った時は、サクッと歩いて登っていた。

一般的なルートでいいじゃん。

本番は、15時間ぶっ続けでスキー板を担いで氷の壁を登る。

両手にピッケルをもって交互に突き刺しながら、足先のアイゼンで登る。足場はない。斜度80度。15時間登って、予定の場所まで達しない。道中一泊多くするしかない。高まる凍死のリスク。雪崩。

二日かけて滑空を始めるポイントまで上りきる。

休む間もなく滑空開始。

っておまえ、もうヘトヘトじゃん。

滑り下りる斜面は十センチほどの厚みがある雪に覆われているが、その下は氷。スキーのエッジが効かない。

風や雪崩で、雪が消えて氷がむき出しになっている部分もある。

「氷を選ばないことが勝負ですね」

だいたい天候が勝負とか、その時の雪の状態が勝負とか、いろいろ勝負勝負と言っているのだが、結論は「行くしかない」に決まっているので、勝負も何もあったもんじゃない。

案の定、相棒1が氷につかまり滑落。ギャー。全部空撮の映像で映っておる。

雪煙と共に意志のない人形みたいな影が斜面を滑っていく。

途中で止まる。動かない。佐々木さんは声をかける。返事がない。

佐々木さんは氷の斜面にスキーを脱いで救出に向かう。

相棒1は靭帯断裂。

「すまん」と泣く相棒1。「いやいやオッケー、生きててよかったよ」

滑空する斜面は、斜度がきつく、周囲も崖、クレパスもある。

そもそもスキーでコケたら死ぬという設定が無理ゲーすぎてわからない。

往年のゲーム、スペランカーのようだ。

またタイトルに「デナリ大滑空」とあったが、俺は全行程をスキーで滑り降りるとは思いもよらなかった。

いい塩梅のところを選んでスキーで滑るのかと思ってた。

正解は、「全行程、スキー板を履いて、スキーをする」、なのだった。

頭おかしい。最大斜度55度。

佐々木さんは、滑空を半ばにして、靭帯断裂の相棒1を連れてキャンプ4まで歩いた。

今回の冒険もここまで。

と思いきや、相棒1は「俺は一人で山を下りるから(靭帯の切れた足で)、佐々木は残りを滑ってくれ」

と言う。

翌朝、一気の滑空はならなかったが、途中でやめたところから再チャレンジ。

ヘルメットに付いているカメラの映像があるんだけれども、これがおっかない。

晴天で視界はいいんだけど、斜面が切れてその先が青空となっている、その先が、崖なのか角度が急になっただけで斜面が続いているのかが、わからない。

空撮の映像で、ルートを間違えて崖に向かう佐々木さんが映る。

俺の気持ちはもうドリフ。「しむらー、崖、崖ー」

気づく佐々木。「やっべー、崖だったよ」

おお、そうだよ。今、おまえ超やばかったよ。

隣で飯食ってるお嫁さんは泣いている。

人生で初めての「危ない泣き」だそうだ。

佐々木さんと相棒2は、最後の難所、超狭い、崖、急、氷、斜面を抜けて無事生還。

植村直己の座右の銘「冒険は生きて帰ること」(マッキンリーで死んでます)を、やはり矜持としている佐々木さんは声を上げる。

「生きて帰ったぞー」

わざわざ死地に行って、生きて帰ったぞもないもんだ。

「やばかった。二回死んだ」

ツッコミ待ちのボケのようでもあるが、たしかにはすごかった。

でもだめだな。この人も死ぬまでなのかもしれん。

訃報をニュースで聞かないことを願う。

奥さんと子供さんを映した映像もあった。奥さん美人。

「極限まで、楽しみに行ってるんだよねー。帰ってきてお話をきかせてくれればと思います」

笑顔。

そして子供に向かって

「この子もすぐに登っちゃいそうだなー」

また笑顔。

まだおっぱい飲むか飲まないかぐらいに見える子供さんは、確かに佐々木さんに似ている。

佐々木さんは「家族を持って幸せを噛みしめると、帰ってこなきゃっていう気持ちが強くなりましたね」

だとさ。しかし、その言葉にはやっぱりどこかに帰って来れない自分に同意してるようにも思える。

つぎは、単独に挑戦か?

見ながら食べたごはんは、鮭チャーハン(俺作)、サトイモの煮物(嫁作)、投入味噌汁(嫁作)でした。





posted by ボス村松 at 19:00| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月13日

シン・ゴジラをみた

昨日、シン・ゴジラを見た。

映画館でもみたけど、やっぱり面白かった。

当たり前だけど、映画館の方が迫力があった。

でも二回目の今回の方が、話の筋立てがわかった。

シン・ゴジラの庵野監督は、エバンゲリオンの監督で、シン・ゴジラでやっぱりすごい人なんだなと思ったが、

庵野監督自身は僕なんかより嫁の方が、クリエイターとして才能があると言った文章を読んだことがある。

庵野監督の嫁は安野モヨコだ。働きマンの人だ。

庵野監督は、書けない書けないの人でTVアニメのエバンゲリオンを落書きにしちゃった人。

安野モヨコはマンガ家で、マンガ家は連載をしているので、基本書ける人だ。

小劇場の私も、連載という一点だけでもマンガ家ってすごいなと思う。

庵野監督の言うことも、もっともだと思っていた。

でも今回、安野モヨコの「安野」の漢字を知りたくて、検索をかけてみると、安野モヨコも書けなくなって、うつになって、しばらくお休みしていたという。

そらそうだよ。

きっと、それがふつうなんだ。

ずーっと、一線で週刊連載している、高橋留美子はどんな頭をしてるんだろう。
posted by ボス村松 at 15:37| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月06日

岡村ちゃん

実は、本はあんまり読んでない。

どっちかというと、むしろ音楽の方を聞いてるかもしれない。

ええ、俺の話なんですが、すんません。

俺は小劇場の脚本書きで、俺の書く脚本ではよく本がキーワードとして出てくる。

そして俺は文学的であることを標ぼうしている。

それとはうらはらに、実はもう、ずいぶん本を読んでないのだった。俺の文学は二十歳前後に読んだ記憶が主たるソースです。




逆に、俺の脚本では俺音楽なんて聞かないし洋楽なんてとてもとても、なる台詞が出てくる。

よく出てくる。

現状、逆になってるのかなあ。洋楽を聞かないのは、生きてるけどね。聞くのは邦楽。



本読むの俺、遅いから時間かかるねん。

あと、パソコンの前にばっかり座ってると、改めて本を開くのに、よいしょやねん。

YouTubeはワンクリックやねん。

YouTubeにわんさと、楽曲落ちとるねん。



この状態に拍車がかかる事態が発生した。

先週から、不均衡であった収入と支出を合わせるために、バイトを増やしたのだった。

カラオケ屋の夜勤を古崎くんに紹介してもらったのだった。

カラオケ屋では始終音楽がかかっている。

そこで聞いた山下達郎のリボーンに感銘をうけた。

魂の永遠と輪廻を題材にして、新しい言葉は1個もないのに、メロディにのせるとなんとスマートになることか。

「命の船」とか、「私たちはどこからきてどこへいくんだろう」とか、芝居で聞くとNGワードになりやすい、大きくて扱いが難しい言葉たち。

なんでもミネヤ雑貨店の奇跡なる映画の主題歌らしく、それは東野圭吾の小説の原作とのこと。

東野圭吾さんですか。

実は、読んだことがない。俺にとっては東野圭吾も最近の人。

読んでみようかな。ミネヤ雑貨店の奇跡。

その前に、川上弘美の大きな鳥にさらわれないようにと、谷川俊太郎の私はこうやって詩を書いてきたを読まないとな。

前者は1年、後者は半年、買ってから時間が経っている。

つまんないわけじゃない。むしろ、すてき。

前者の、「彼の笑顔は、遠い国に吹く風を思わせた」(うろ覚え)なんてフレーズはとても素敵だし、

後者の、「二十億光年の孤独(処女詩集、谷川俊太郎十代の作)は素晴らしい、と言われるのをようやく、どうもありがとうと思えるようになったのは、最近(80歳ぐらい)」というエッセイも面白かった。

読むよ。

読んでやるさ。

   ***

今日も今日とて、お絵かきしたり、脚本を書いたり書けなかったりして、パソコンの前に座っているのだが、

その時、前述のとおり慰みに渡り歩くYouTubeで、

表題の岡村ちゃんが、DAOKOとのデュエットとはいえ、アニメの主題歌を発表していることを知った。

岡村ちゃん。

岡村靖幸。

俺にとっては「きみは、だいすーき」の人。大学の先輩の奥野さんに似てる人。あと、川本真琴のプロデューサー。あと、在日ファンクの爆弾怖いの、岡村靖幸リミックスが最新データ。

しかし、俺の周りにはそれにとどまらない人がいて、それはお嫁さんと、ラストムラマツこと(だれやねん)中野繁樹≠中野英雄=藤堂さん=村松ケツプリオ、くん。二人は岡村ちゃん大好きっ子。。

なかなかの信奉者で、岡村靖幸の名を聞くと、俺はお嫁さんと中野くんの顔が浮かぶ。



お嫁さん、中野くん、聞いて!!

岡村ちゃんが、アニメの主題歌だってよ!!



岡村ちゃんは困った才能で、よく薬で捕まる。

歌が上手。ダンスが上手。若いころは痩せてて、今は50歳前後かな、デブった。

それが今、アニメの主題歌!

超現役じゃん!!

きっと、往年の岡村靖幸ファンが業界で力を持つ立場になって、そのまま彼が朽ちていくことを許さなかったのだろう。

アニメの主題歌の楽曲名は「ステップアップLOVE」 若い!! 50歳の楽曲のタイトルじゃない!!

楽曲を視聴する。

いやー、岡村ちゃん、デブ!

でも、歌超うめー。

ダンス超キレキレ。

かっこえーわ! 「だいすき」よりもカッコいい。


基本、何でも若い方がいい派の俺だけれど、岡村ちゃんは年とっても大丈夫でした。むしろおもしろい。おっさんなのに。あんなデブなのに。キレキレてなんやねん。

PVで、多分まだ10代であろう、DAOKOとチューまでしちゃってる。
posted by ボス村松 at 13:20| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月26日

モーニングを買った

モーニング掲載の、スーパーロンリー相田くんに、感銘をうけた。

コンビ二で立ち読みしていたのだが、敬意を表してモーニングを買った。

僕の変な彼女、以来だ。

世の中には、大変すばらしい表現と言うものがあるものだなあ。

俺より優れた作品が、世界から全部消えたら、俺は表現できっと飯を食えて大家になる。

でも、そんな世界で何を俺は楽しみにして生きていけばいいのだろう。

自分が及ばないすばらしい表現があるということは、悔しいがありがたいことだ。

ここのところYouTubeに落ちていたDAIALUCKという、女の子の声にも、すばらしいなあと膝を打ってヘビロテしている。

歌い方に、すこし、小島真由美の味がある。恋の極楽特急。

DAIALUCKは女の子だし、歌だし、あんまり自分と競合してないので、これはあんまり悔しくない。

これが岡崎体育だと、すこし悔しい。

この前の打ち上げで、カラオケに数年ぶりに行った。

みんな上手くてびっくりした。

鈴木くんに、若者文化に周回遅れのおじさん扱いをされた。

むべなるかであるが、YouTubeでときどき音楽を漁るので、そんなに全然知らないわけでもない。


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posted by ボス村松 at 19:06| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月03日

ゲスの極み乙女の乙女

今更というか、ゲスの極み乙女を聞いて、とても良いことがわかった。

俺の音楽脳は、染みるまでに年単位の時間が必要なのだ。

演奏してる!ていう躍動感がいいんだね。

あと、バンドの中にカワイコちゃんがいるんだよなあ、ぐらいの認識が、とんでもないレベルのカワイコじゃないか。

と言って、今お嫁さんのと見たら、そこまででもなかった。

お嫁さんと一緒に見たので、そこまでもなくてよかった
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2016年08月24日

オリンピック閉会式の引継ぎ動画を見た

ステキすぎて胸が痛い。大げさに言うと、軽く死にたくなる。目の前にレノボがなんとか動いていて(ボディが熱を持って熱い)、クリックすれば動画は好きに再生できるのに、決定的に届かない。

年を取ると、涙もろくなるって言うのはそうなのかもしれない。

林檎ちゃんの動画を見ると、ちょいちょいそういう気になるんだけど、今回は舞台がデカイ。

オリンピックだ。

第3のコース、椎名林檎、ジャパーンという塩梅だ。

林檎ちゃんが総合プロデュースをしたという、オリンピックの閉会式の引継ぎ式を見た。

何日か遅れで。動画で。

まあ、好き好き言うて、その程度なんだけれども、その引継ぎ式が良かった。

超カッコイイ。これ以上ないくらいクールに決めた。

用意のビデオクリップはお手のもので、余裕をもってトップでターン。

映像のラストを締めた、各種競技の選手がスタートを切る瞬間の絵には涙した。かっこよすぎて。

後半の会場でのマスゲームも、埋めよう埋めようとするんじゃなくて、空白が生きていた。

セレモニー会の、水墨画だね。枯淡があったように思う。応援の舞すばらしい。

あと国旗国歌論争が各方面で終結した模様。

オープニングのフィールドが一個の日の丸になるところ。気が利いている。

これにて国旗論争終結。

和声の君が代の美しいこと。

これにて国歌論争終結。

エンディング、一直線に整列した一団から、富士山とビル街が伸びていって一枚の絵が完成。ここにも唯一の色を差す、赤い日の丸が美しい。

粋とはシンプルなり。

文句なしの金メダルだったんじゃないの?ひょっとして世界新?

今回は世界への発信、VS世界ということでさしもの林檎ちゃんにとっても挑戦だったのではないだろうか。

林檎ちゃんなんて全然、俺と関係ない遠いところ人なのに、どうだ世界!これが俺の林檎ちゃんだ!という気になった。

いや、全く林檎ちゃんは俺のものではないのだけれども、アメリカ人よりはブラジル人よりはガーナ人よりは、俺は林檎ちゃんに近い。同じ言葉を話し、だいたい同じ情報をくぐって生きてきた、同じ日本人だから。

これがナショナリズムというものか。
posted by ボス村松 at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月28日

いまる

まったくのところ、俺は1を聞いて10を知ったようなことをよく言う。

パーフェクト超人、曲よし歌詞よし顔よしついでに立ち位置よし、現役最強のロックスターと俺が畏敬を込めて書く林檎ちゃんのことだって、実のところ俺はいくらも知っていない。

っていうか、曲聞いてない。

最初のアルバムの感動と、群青日和と、衰えぬ容姿と、時々伝え聞こえてくる活躍の印象でそう吹いているだけだった。

今年、3月、俺はミハエルとアイルトンとチュウカドンという芝居を作った。

そこで、音響効果で、ネタっぽく女性ボーカルを使おうと思い立ち、林檎ちゃんのギブスを使った。

独りよがりの役者の独白の後に林檎ちゃんの絶唱をつけて、劇的要素2倍、おバカ度も2倍の作戦。セリフをあげて示すと、「あたしの退屈を埋め尽くしてよ!隙間があるからそこに虚しさが入り込むのよ!」のセリフの後に、♪あいうおーなーびーうぃずゆーううー、と入るというもの。

なかなかうまくいきました。いろいろ二倍にできました。

それを接点として、YOUTUBEの動画で東京事変以降の楽曲に触れるようになったわけで。

いや、そうだったんだ。

林檎ちゃんはいくつもいくつも、最初のアルバムの曲みたいな、つい聞きいっちゃうような曲を作り続けてはったんだ。

名盤が一枚。あとはその8掛け7掛けの試行錯誤。

多くのロックスターに対する俺の印象はそう。

でも、林檎ちゃんは違ってたのか?

はたまた体質が変わって、今の俺の体質が、林檎ちゃんの楽曲とたまたまよく震えるようになったのか?

よーわからんが、林檎ちゃんすげーわ。というのが今日の結論でお願いします。

「ありあまる富」とか、あんな素直なメロディの上に、あんな気の利いたレトリックが乗っかってまあ。

曰く、

♪価値は生命に従って付いているー

意味的には、明石家さんまが娘につけた名前のところとおんなじ。

生きてるだけでまるもうけ

俺が、さんまの記者会見を見て、娘に「生きてるだけでまるもうけ」を縮めて「いまる」と付けました、を聞いたとき、俺はヤッチャッタヨーと思った。とてもやぼったいかんじ。俺はいまるとは名づけられたくない。いまる側としては余計なお世話であろうが。

一方、林檎ちゃんのは、その素直なメロディの上に乗って、とても感傷的でキレイな形をしている。


何を言うかではない。

どういうふうに、言うかなんだなーと思いを新たにした。

1を知って10を知るを言うついでに、これはニーチェにいうところの「すべての哲学は道徳の起源を持っている」というのと同じ。

ニーチェもさすがにいいことを言う。

ちなみに、もちろん、俺はニーチェなど読んだことなく、読んだのは竹田せいじ著「ニーチェ入門」のみ。








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2016年04月27日

林檎ちゃん×イチロー

作った動画をYOUTUBEに上げるのに、YOUTUBE近辺をうろうろしてたら、林檎ちゃんとイチローの対談の動画に行き当たった。

林檎ちゃんの東京事変での楽曲「スーパースター」はイチローへの畏敬と、彼からもらう力をもらう気持ちを歌った名曲。

イチローすげー、イチローへの憧れを本物とするためには、私もイチローみたく戦うぞという歌詞が情感たっぷりのメロデイにのっかってる。

イチローはイチローで林檎ちゃんの才能に嫉妬すると言う。

林檎ちゃんは本物で、俺はちょっとニセモノっぽいんだってさ。

下界にはいまわるバイトの劇団さんにはもう、二人の姿をとらえることができない。

スーパースター(林檎ちゃん)のスーパースターつまりは、スーパースーパースター(イチロー)は、実はスーパースターの方をスーパーだと思っているとのこと。しかし、そうなると、スーパースターはスーパースーパースターの上をいく、スーパースーパースーパースターということになって、しかしそうはいってもこのスーパースーパースーパースターはスーパースーパースターのことをスーパースターと思っているから、スーパースーパースターはスーパースーパースーパースーパースターということになる。となると、スパースターはさらに上をいく、スーパースーパー・・・

天界のまぶしいキラキラに、二人の輪郭は溶けて消えた。

どうぞ、お好きにお勝手に、だ。
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2015年11月12日

牡蠣鍋スープ

どこかにすごい美味しい鍋スープがあるはずだ。

なぜというに、大学時代一度だけ試してみた、今はどこの会社の何とも分からない、海鮮ちゃんこスープで作った鍋がめちゃくちゃおいしかった記憶がるからだ。

大学時代っていつの話だよ。

昨日の豚骨醤油スープでの敗北で火がついた俺は、バイト終了後、早速鍋スープのコーナーを物色した。

よくよく見てみると、トマト鍋スープが無くなってるな。そうか、あれは定番ではなくスポット参戦のものだったんだな。

豆乳スープの異彩が目を引いたが、お嫁さんが以前、豆乳にピンとこないと言っていたのを思い出して止めた。これは最後の手段だ。

昨日は豚骨しょうゆだったので、今日は味噌だ!

ということで牡蠣鍋味噌スープとした。

牡蠣も買った。高いねー。500円。量すくないねー。俺の印象では肉が一番安い。野菜案外高い。魚なんてもっとお高くとまってる。

昨日は豚コマで失敗した。今日は豚バラだ。そう思って肉コーナーを物色すると、イタリア産(!)豚バラ肉しゃぶしゃぶ用100g160円で、398円というのがあった。買った。豚コマよりも100g22円高い・・何てことないね。

飲んで浸りたい事柄があったので、ワンカップ大関と最近お気に入りのもうちょっと高いカップ酒を買う。鍋を作りながら飲む時のアテに、シメサバも買った。

これはけっこう買ったぞ。2000円超えるな多分。

レジを通ると、4600円と言われる。

予想の倍!!

まじかよ!

しかし、俺も同じ場所でレジを毎日打つ身、レシートを見て吟味するお客さんの姿にヒヤッとする。

ウチのレジは返品作業が面倒くさいのだ。

俺は、何事もなかったように通り過ぎる。

4600円かー。そんなに買ったかなー。バイト代の半分吹き飛んだよー。

おまえよー、牡蠣鍋さんよー、スペシャルに美味くなかったら、承知しねーからな。

そして今、作って食べたところ、

材料は正確に記すと、まず牡蠣味噌鍋スープ。

あと、昨日の鍋の残りの白菜八分の一。

あと、昨日の鍋の残りのネギ一本。

白菜4分の1程度と、スープの裏のレシピ例に書いてあったので、白菜の不足分を補う小松菜、春菊、ともに二把。

昨日の残りの油揚げ。

豚バラ200グラム強。

牡蠣。

以上で作りました。

いやいや、うまい、まずいで言えば、別にまずかないんだけどね。

大学時代に食べた、あの海鮮ちゃんこスープで作った鍋に遠く及ばない。

残念でした。
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2015年09月17日

アンナ・カヴァン「氷」感想文

とりとめがなくて、こっち側から面白さをすくいあげなければ、全部指の間からこぼれおちそうなところが、ブンガクっぽい。

半分以上指の間からだーっと落ちていったのだけれど、ゆえに残ったものが有り難く感じられる。

俺フィルターにひっかかったものだけが残ったわけで、うまみ成分の純度が高い。

翻訳調のすこしぎこちない文章が好きというのもある。舶来物をありがたがる気持ち。アメ車は手がかかるのがいいんだよ。



アンナ・カヴァン「氷」



世界が氷に閉ざされつつある終末の世界が舞台。

目鼻立ちのついている登場人物は3人だけ。「私」と「少女」と「長官」

一人称「私」が主人公。主人公らしくよく悩む。心が実に揺れる揺れる。しかしカーチェイスもするし、殴り合いには大概勝つ。

そこそこハードボイルド的タフガイでもある。村上春樹的一人称「僕」からスカした感じを抜いてもっとダメ人間にした感じ。

ヒロインである「少女」の被虐性に性的興奮を感じるが、それを恥じたりもする。実際痛めつけて性的興奮を得ていた過去もあったようなことは暗示されているが、本編中はそこまでのことはしない。

「離して!」という少女の腕を強く掴んで「黙れ」と言って、大人しくさせるぐらい。

ベッド脇でそういうこともしているので、あれ?この後は・・と、やっちゃってる可能性も感じられるには感じられるが。

で、その「少女」がヒロイン。やせぎすのアルピノ。銀髪。氷に閉ざされる世界を表象しているんだか何なんだか。

日本発世界系のアニメのような感じだけれども、こっちの話が先なんだから仕方がない。

少女と表記されているが、20才オーバーの設定で離婚暦もあり。

彼女自身が言葉で内面を語ることはほとんどなく、「私」の行動に対しての拒絶の反応か、恭順の反応しか描かれない。よって、滅び行く世界を背負っているやりすぎな悲劇性が清潔なラインにとどまっている。これが巨乳で自分の内面を語りだすと、エロゲーになると思われる。

この「氷」の話の構造は基本的に以下のものだ。

かつて「私」の傍にいて今はそこにいない「少女」を、「私」が追い掛け回す。

ほぼこれだけ。

となると、じゃあ「少女」は今どこにいるのかというと「長官」の傍にいる。

最初、「長官」は「私」の前に紋切り型の敵役として現れる。イケメン長身でスポーティで権力も持っている。少しうすっぺらい。

それが話が進むにつれて、うすっぺらくなくなる。しかし特に何か雨の中で子犬を拾った的エピソードが描かれたわけでもない。

ただ、「私」の方が「長官」に対して、「こいつめー」という態度をとるだけではなく、様々な態度をとりだして、その態度が「長官」のイケメン長身の顔に映る。

「私」は「長官」に媚を見せる。「私」は「長官」にシンパシーを感じる。「長官」は「私」だと言い出す。実際、「長官」の「少女」への対し方は、「私」の「少女」への対し方とまったくの同じであり、「少女」から受ける反応も同じ。拒絶か恭順だ。ただ、長官の方が絶大な力があるので、拒絶の力はより弱弱しくなり恭順の姿に絶望の色が濃い。



こんな話が、ただただ300ページぐらいあってからの、最後の方で「私」は「長官」から「少女」を取り戻す。

二人は同じ場所で時間を過ごし始めるが「少女」は一向につれない。ツンのみ。デレ全くなし。

「私」は「少女」をやっと取り戻したわけであるが、やっぱこれいらないと思い、彼女にさよならを告げて(おいおい)、もう一方のこの話の事件性である世界の終わり(その現象「氷」は少女の佇まいとリンクしているのだが)と対峙するために「長官」の下にに赴く。

「長官」はそんな「私」を、最初、私と君は魂の双子なのだよ的に歓待し共に世界の終末を憂うことに同意するが、この会談の帰結は、やっぱり対立に終わる。

「長官」は「私」を軽蔑し、叱責する。

何で「少女」を残してきたんだ。

そして宣言する。

「少女」を私は取り戻す。

「私」は「長官」の配下の憲兵たちに袋叩きにされるが、かろうじて逃れる。そして、全てのツッコミを無視して、もう一度「少女」に会わねばと思う。「長官」の手に落ちるより早く! 

読者ボス村松はこの時、いやもう、なんでやねん!ですよ。さっき少女を捨ててきたときと状況は一点を除いて何も変わっとらんがな、と。「長官」が「少女」に価値を認めた一点を除いて。

人が欲しいと言ったので、自分もやっぱり惜しくなった「私」は大立ち回りの末、装甲車を奪い、「少女」の元に戻る。

もちろん「少女」からは拒絶を受けるが、なんやかんや揉みあい口論しているうちに彼女から、

「窓の外を見ていたのは、あんたを待っていたの。なぜだか分からないけどあんたを待っていたの」(うろ覚え)

の言葉を引き出し、大感激。彼女を装甲車に乗せて、意味なしと分かっているが、もっと南へと赤道直下を目指す。

後ろには「氷」が迫っている。もちろん逃れることはできない。

ただ、今、この装甲車の中は温かい。傍らには「少女」がいる。

ポケットに入った拳銃の重みが頼もしい。(自殺を仄めかす。すこし陳腐か)

こう、俺は読みました。

ちなみに「長官」の最後の出番は「取り戻す」と宣言したところで、もう出てこない。ラスバトルなし。「いいよ、それは」の著者の声が聞こえてくる。このうっちゃり感が、全編にあふれ、作品を魅力的にしている。
posted by ボス村松 at 16:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月09日

よみかけばっか

昨日はなかなか良い練習ができたのだが、朝起きると、のどが少し枯れていた。

やはりパニック物ということで、ギャーギャー言ってたせいだ。

考えなければならない。

ギャーとがなりたいところでも、綺麗な発声で。ノリに任せずに一歩引いたところで声のマネジメントをする、といったところだろうか。

ふらっと入ったコンビニに文芸春秋があって、例の又吉直樹の火花が全文掲載という。

数ページ立ち読みしたらおもしろかった。

少し気恥ずかしい気もしたが、購入した。

まだアンナカヴァンの氷も読み終わってないのに。そういや、東京自叙伝もまだ途中だな。

読みやすい読みにくいだと、ネットのスポーツの記事とかすげー読みやすい。

ブンガクの文章をたまに読むと読みにくい。

思い入れが読みにくくさせているのもあるだろうし、読みにくさがありがたい部分もある。

あと、多分、ネットのスポーツの記事を書いてる人の方が一日に文章を書いている絶対量が多くて、川の石が河口に近くなると丸くなるように、ただただ書いているうちに文章がまるくなっていくのかな、とも思う。
posted by ボス村松 at 16:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月18日

大学の後輩の武田キャリアーから、この本を読んでみませんか?と一冊の本を渡された。

アんナ・カヴァンの「氷」だ。

武田キャリアーは、この本を読書会で読んだらしい。「よくわかんないって言われてるけど、僕には別に分かりやすくて、それはイケモっさん(俺のこと)の芝居で馴染みがあったからなんですよね」という。

版権がもうすぐ切れるから、イケモッさんが、舞台化したら、熱狂的なファンがついている本だから、お客さんは入るかもしれませんよ、とのこと。

序文を読んでみると、この作に近い作家に、ガルシア・マルケスやら村上春樹やらトマス・ピンチョンとかの名前がある。なんだよ、有名どころじゃん。

”少女”を探して世界を彷徨する”私”が主人公で、世界のどこにでも”少女”は現れて、しかし”少女”の傍らには、”私”と敵対する”長官”がいる。そんな話らしい。そういえば、俺もそんなような芝居を書いたこともあるな。っていうか、今回の、キタジマはこの作の”少女”っぽい。でも、これのノリは俺よりも村上春樹だろ。俺も村上春樹は好きで何冊も読んだ。でも系でいけば同じだけど、村上春樹よりも高橋源一郎の方がもっと好き。

村上春樹は何で、あんなに筋のない話を書いて、みんなに受け入れられているんだろう。スゲーな。読みやすさ・感じのよさだけで、1000ページよませてけつかる。俺の芝居は2時間持たないひとが、半分。いや、でも村上春樹だって、本を買った人全員最後まで読んでるのかな?案外半分だったりしないのかな。


posted by ボス村松 at 10:56| Comment(3) | TrackBack(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月15日

「僕の変な彼女」立ち読み

とても、よかった。

ヤンマガ(*モーニングでした・訂正)の読みきり漫画。

デビューを目指す漫画家さん用の賞を受賞して掲載されたというかんじなのかな。

すんません。立ち読みできての今なので、詳細はわかりません。次に目にしたときは買います。


死んだ元カノが、非エロな作画の股間の妖精となって蘇ってきて、僕とどうにかナニをして成仏するというお話。

大爆笑ではない。大感動でもない。

ただただ、感じがいい。美しい。いや、絵柄はというと別に美しくない。作者が編み出したウマヘタの絵柄。

トータルで整っている。ただただ、感じがいい。気が利いている。

東村アキコが絶賛らしい。

小憎らしい。

ボス村松も絶賛ですよ。

昨日の俺のブログの記事への、アンサーを早速、演劇の神サマは用意してくれたと見える。

大感動でも大爆笑でもなくても、気が利いてるっていうのは一つの価値だよね。

ただ、公演当日になるとお客さんの笑いから、出来をさぐる性分は死ぬまでなので、ウケは狙っていきましょう
posted by ボス村松 at 09:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月10日

すれちがい宇宙(そら)

フレックスの会社勤めのお嫁さんが、7:00に部屋を出て出勤するようになったので、一日顔を見ない日が続いた。

夜っぴきの彼女は、前は8:30ごろ、俺がバイトから帰ってくるのを合図に起きて来ていたのだが。

ガンダムのめぐりあい宇宙にかけて、すれちがい宇宙とさせていただきました。

一日、YOUTUBEの動画にはまった日があって、アニメではガンダムユニコーンとマクロスとマクロスフロンティアの戦闘シーンを見た。

そんな勇ましい感じではない歌モノの曲を背景に戦闘するのミスマッチの妙は、やっぱりガンダムVの「めぐりあい」が最初なんだろうか。

ガンダムVのめぐりあいは落ちてなかったが。

リンミンメイの歌声に、バルキリーが変形する

血が騒ぐ。

あと、リンミンメイのシャワーシーンも見ることができました。あのときは中学生でした。TOLOVEるなんて無い時代でしたが、ルナ先生はいました。

大人になったら、こういうのは卒業しなければならないというのが、俺が子供の頃の感覚だったのだけれども、ここ最近は卒業しなくてもいい風潮になっている。いいのか悪いのか。私には少し恥じ入る気持ちはある。

ロボットに乗って人生を語りながら殺し合いして恋もからめてカッコイイ。

なんだそりゃ、と。

大人ならもっと、淡い白身の刺身を、冷酒でいただくように、うまみをすくいあげるのが粋。

なかなかそうはいかないのだけれども。
posted by ボス村松 at 10:59| Comment(1) | TrackBack(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月30日

ライ麦畑を読んだ

久しぶりに本を読んだ。

ライ麦畑だ。

本屋に村上春樹訳と、従来訳があって、従来訳を買った。

一回、読んだことはあった。

冒頭数ページを、両方、立ち詠んで、より自然な村上訳よりも、文章的な口語(?)の従来訳が持つ、ケレン味ある名調子に惹かれたのだった。

話は全然覚えていなかった。初めて読んだのと変わらなかった。

大変面白かった。

中身はなんも覚えてはいないのだが、初めて読んだときは、そんなにおもしろく感じなかったことだけは、覚えている。

これを読んで面白く感じられるほどの準備が、その時の俺にはなかったのだろう。

しかし、この本は、当時の全米の若者が熱狂して、発禁になった本なのだった。

俺は40を超えて、ようやく当時の全米の若者の成熟に追いつけたことになる。

俺の感性は老いてはいない、これからなのだ、といい方にとることにした。
posted by ボス村松 at 23:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする