JUDY.jpg 劇団の動画など、ありますよ?
ボス村松ドラマスペシャル「じ・だん」パラパラアニメ
遍歴の騎士ヤマオカ卿の酒気帯びでやんすダイジェスト
けつあごのゴメスダイジェスト
P型柔道一門PV
ミハエルとアイルトンとチュウカドンPV


2017年11月13日

シン・ゴジラをみた

昨日、シン・ゴジラを見た。

映画館でもみたけど、やっぱり面白かった。

当たり前だけど、映画館の方が迫力があった。

でも二回目の今回の方が、話の筋立てがわかった。

シン・ゴジラの庵野監督は、エバンゲリオンの監督で、シン・ゴジラでやっぱりすごい人なんだなと思ったが、

庵野監督自身は僕なんかより嫁の方が、クリエイターとして才能があると言った文章を読んだことがある。

庵野監督の嫁は安野モヨコだ。働きマンの人だ。

庵野監督は、書けない書けないの人でTVアニメのエバンゲリオンを落書きにしちゃった人。

安野モヨコはマンガ家で、マンガ家は連載をしているので、基本書ける人だ。

小劇場の私も、連載という一点だけでもマンガ家ってすごいなと思う。

庵野監督の言うことも、もっともだと思っていた。

でも今回、安野モヨコの「安野」の漢字を知りたくて、検索をかけてみると、安野モヨコも書けなくなって、うつになって、しばらくお休みしていたという。

そらそうだよ。

きっと、それがふつうなんだ。

ずーっと、一線で週刊連載している、高橋留美子はどんな頭をしてるんだろう。
posted by ボス村松 at 15:37| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月06日

岡村ちゃん

実は、本はあんまり読んでない。

どっちかというと、むしろ音楽の方を聞いてるかもしれない。

ええ、俺の話なんですが、すんません。

俺は小劇場の脚本書きで、俺の書く脚本ではよく本がキーワードとして出てくる。

そして俺は文学的であることを標ぼうしている。

それとはうらはらに、実はもう、ずいぶん本を読んでないのだった。俺の文学は二十歳前後に読んだ記憶が主たるソースです。




逆に、俺の脚本では俺音楽なんて聞かないし洋楽なんてとてもとても、なる台詞が出てくる。

よく出てくる。

現状、逆になってるのかなあ。洋楽を聞かないのは、生きてるけどね。聞くのは邦楽。



本読むの俺、遅いから時間かかるねん。

あと、パソコンの前にばっかり座ってると、改めて本を開くのに、よいしょやねん。

YouTubeはワンクリックやねん。

YouTubeにわんさと、楽曲落ちとるねん。



この状態に拍車がかかる事態が発生した。

先週から、不均衡であった収入と支出を合わせるために、バイトを増やしたのだった。

カラオケ屋の夜勤を古崎くんに紹介してもらったのだった。

カラオケ屋では始終音楽がかかっている。

そこで聞いた山下達郎のリボーンに感銘をうけた。

魂の永遠と輪廻を題材にして、新しい言葉は1個もないのに、メロディにのせるとなんとスマートになることか。

「命の船」とか、「私たちはどこからきてどこへいくんだろう」とか、芝居で聞くとNGワードになりやすい、大きくて扱いが難しい言葉たち。

なんでもミネヤ雑貨店の奇跡なる映画の主題歌らしく、それは東野圭吾の小説の原作とのこと。

東野圭吾さんですか。

実は、読んだことがない。俺にとっては東野圭吾も最近の人。

読んでみようかな。ミネヤ雑貨店の奇跡。

その前に、川上弘美の大きな鳥にさらわれないようにと、谷川俊太郎の私はこうやって詩を書いてきたを読まないとな。

前者は1年、後者は半年、買ってから時間が経っている。

つまんないわけじゃない。むしろ、すてき。

前者の、「彼の笑顔は、遠い国に吹く風を思わせた」(うろ覚え)なんてフレーズはとても素敵だし、

後者の、「二十億光年の孤独(処女詩集、谷川俊太郎十代の作)は素晴らしい、と言われるのをようやく、どうもありがとうと思えるようになったのは、最近(80歳ぐらい)」というエッセイも面白かった。

読むよ。

読んでやるさ。

   ***

今日も今日とて、お絵かきしたり、脚本を書いたり書けなかったりして、パソコンの前に座っているのだが、

その時、前述のとおり慰みに渡り歩くYouTubeで、

表題の岡村ちゃんが、DAOKOとのデュエットとはいえ、アニメの主題歌を発表していることを知った。

岡村ちゃん。

岡村靖幸。

俺にとっては「きみは、だいすーき」の人。大学の先輩の奥野さんに似てる人。あと、川本真琴のプロデューサー。あと、在日ファンクの爆弾怖いの、岡村靖幸リミックスが最新データ。

しかし、俺の周りにはそれにとどまらない人がいて、それはお嫁さんと、ラストムラマツこと(だれやねん)中野繁樹≠中野英雄=藤堂さん=村松ケツプリオ、くん。二人は岡村ちゃん大好きっ子。。

なかなかの信奉者で、岡村靖幸の名を聞くと、俺はお嫁さんと中野くんの顔が浮かぶ。



お嫁さん、中野くん、聞いて!!

岡村ちゃんが、アニメの主題歌だってよ!!



岡村ちゃんは困った才能で、よく薬で捕まる。

歌が上手。ダンスが上手。若いころは痩せてて、今は50歳前後かな、デブった。

それが今、アニメの主題歌!

超現役じゃん!!

きっと、往年の岡村靖幸ファンが業界で力を持つ立場になって、そのまま彼が朽ちていくことを許さなかったのだろう。

アニメの主題歌の楽曲名は「ステップアップLOVE」 若い!! 50歳の楽曲のタイトルじゃない!!

楽曲を視聴する。

いやー、岡村ちゃん、デブ!

でも、歌超うめー。

ダンス超キレキレ。

かっこえーわ! 「だいすき」よりもカッコいい。


基本、何でも若い方がいい派の俺だけれど、岡村ちゃんは年とっても大丈夫でした。むしろおもしろい。おっさんなのに。あんなデブなのに。キレキレてなんやねん。

PVで、多分まだ10代であろう、DAOKOとチューまでしちゃってる。
posted by ボス村松 at 13:20| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月26日

モーニングを買った

モーニング掲載の、スーパーロンリー相田くんに、感銘をうけた。

コンビ二で立ち読みしていたのだが、敬意を表してモーニングを買った。

僕の変な彼女、以来だ。

世の中には、大変すばらしい表現と言うものがあるものだなあ。

俺より優れた作品が、世界から全部消えたら、俺は表現できっと飯を食えて大家になる。

でも、そんな世界で何を俺は楽しみにして生きていけばいいのだろう。

自分が及ばないすばらしい表現があるということは、悔しいがありがたいことだ。

ここのところYouTubeに落ちていたDAIALUCKという、女の子の声にも、すばらしいなあと膝を打ってヘビロテしている。

歌い方に、すこし、小島真由美の味がある。恋の極楽特急。

DAIALUCKは女の子だし、歌だし、あんまり自分と競合してないので、これはあんまり悔しくない。

これが岡崎体育だと、すこし悔しい。

この前の打ち上げで、カラオケに数年ぶりに行った。

みんな上手くてびっくりした。

鈴木くんに、若者文化に周回遅れのおじさん扱いをされた。

むべなるかであるが、YouTubeでときどき音楽を漁るので、そんなに全然知らないわけでもない。


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posted by ボス村松 at 19:06| Comment(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月03日

ゲスの極み乙女の乙女

今更というか、ゲスの極み乙女を聞いて、とても良いことがわかった。

俺の音楽脳は、染みるまでに年単位の時間が必要なのだ。

演奏してる!ていう躍動感がいいんだね。

あと、バンドの中にカワイコちゃんがいるんだよなあ、ぐらいの認識が、とんでもないレベルのカワイコじゃないか。

と言って、今お嫁さんのと見たら、そこまででもなかった。

お嫁さんと一緒に見たので、そこまでもなくてよかった
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2016年08月24日

オリンピック閉会式の引継ぎ動画を見た

ステキすぎて胸が痛い。大げさに言うと、軽く死にたくなる。目の前にレノボがなんとか動いていて(ボディが熱を持って熱い)、クリックすれば動画は好きに再生できるのに、決定的に届かない。

年を取ると、涙もろくなるって言うのはそうなのかもしれない。

林檎ちゃんの動画を見ると、ちょいちょいそういう気になるんだけど、今回は舞台がデカイ。

オリンピックだ。

第3のコース、椎名林檎、ジャパーンという塩梅だ。

林檎ちゃんが総合プロデュースをしたという、オリンピックの閉会式の引継ぎ式を見た。

何日か遅れで。動画で。

まあ、好き好き言うて、その程度なんだけれども、その引継ぎ式が良かった。

超カッコイイ。これ以上ないくらいクールに決めた。

用意のビデオクリップはお手のもので、余裕をもってトップでターン。

映像のラストを締めた、各種競技の選手がスタートを切る瞬間の絵には涙した。かっこよすぎて。

後半の会場でのマスゲームも、埋めよう埋めようとするんじゃなくて、空白が生きていた。

セレモニー会の、水墨画だね。枯淡があったように思う。応援の舞すばらしい。

あと国旗国歌論争が各方面で終結した模様。

オープニングのフィールドが一個の日の丸になるところ。気が利いている。

これにて国旗論争終結。

和声の君が代の美しいこと。

これにて国歌論争終結。

エンディング、一直線に整列した一団から、富士山とビル街が伸びていって一枚の絵が完成。ここにも唯一の色を差す、赤い日の丸が美しい。

粋とはシンプルなり。

文句なしの金メダルだったんじゃないの?ひょっとして世界新?

今回は世界への発信、VS世界ということでさしもの林檎ちゃんにとっても挑戦だったのではないだろうか。

林檎ちゃんなんて全然、俺と関係ない遠いところ人なのに、どうだ世界!これが俺の林檎ちゃんだ!という気になった。

いや、全く林檎ちゃんは俺のものではないのだけれども、アメリカ人よりはブラジル人よりはガーナ人よりは、俺は林檎ちゃんに近い。同じ言葉を話し、だいたい同じ情報をくぐって生きてきた、同じ日本人だから。

これがナショナリズムというものか。
posted by ボス村松 at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月28日

いまる

まったくのところ、俺は1を聞いて10を知ったようなことをよく言う。

パーフェクト超人、曲よし歌詞よし顔よしついでに立ち位置よし、現役最強のロックスターと俺が畏敬を込めて書く林檎ちゃんのことだって、実のところ俺はいくらも知っていない。

っていうか、曲聞いてない。

最初のアルバムの感動と、群青日和と、衰えぬ容姿と、時々伝え聞こえてくる活躍の印象でそう吹いているだけだった。

今年、3月、俺はミハエルとアイルトンとチュウカドンという芝居を作った。

そこで、音響効果で、ネタっぽく女性ボーカルを使おうと思い立ち、林檎ちゃんのギブスを使った。

独りよがりの役者の独白の後に林檎ちゃんの絶唱をつけて、劇的要素2倍、おバカ度も2倍の作戦。セリフをあげて示すと、「あたしの退屈を埋め尽くしてよ!隙間があるからそこに虚しさが入り込むのよ!」のセリフの後に、♪あいうおーなーびーうぃずゆーううー、と入るというもの。

なかなかうまくいきました。いろいろ二倍にできました。

それを接点として、YOUTUBEの動画で東京事変以降の楽曲に触れるようになったわけで。

いや、そうだったんだ。

林檎ちゃんはいくつもいくつも、最初のアルバムの曲みたいな、つい聞きいっちゃうような曲を作り続けてはったんだ。

名盤が一枚。あとはその8掛け7掛けの試行錯誤。

多くのロックスターに対する俺の印象はそう。

でも、林檎ちゃんは違ってたのか?

はたまた体質が変わって、今の俺の体質が、林檎ちゃんの楽曲とたまたまよく震えるようになったのか?

よーわからんが、林檎ちゃんすげーわ。というのが今日の結論でお願いします。

「ありあまる富」とか、あんな素直なメロディの上に、あんな気の利いたレトリックが乗っかってまあ。

曰く、

♪価値は生命に従って付いているー

意味的には、明石家さんまが娘につけた名前のところとおんなじ。

生きてるだけでまるもうけ

俺が、さんまの記者会見を見て、娘に「生きてるだけでまるもうけ」を縮めて「いまる」と付けました、を聞いたとき、俺はヤッチャッタヨーと思った。とてもやぼったいかんじ。俺はいまるとは名づけられたくない。いまる側としては余計なお世話であろうが。

一方、林檎ちゃんのは、その素直なメロディの上に乗って、とても感傷的でキレイな形をしている。


何を言うかではない。

どういうふうに、言うかなんだなーと思いを新たにした。

1を知って10を知るを言うついでに、これはニーチェにいうところの「すべての哲学は道徳の起源を持っている」というのと同じ。

ニーチェもさすがにいいことを言う。

ちなみに、もちろん、俺はニーチェなど読んだことなく、読んだのは竹田せいじ著「ニーチェ入門」のみ。








posted by ボス村松 at 19:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月27日

林檎ちゃん×イチロー

作った動画をYOUTUBEに上げるのに、YOUTUBE近辺をうろうろしてたら、林檎ちゃんとイチローの対談の動画に行き当たった。

林檎ちゃんの東京事変での楽曲「スーパースター」はイチローへの畏敬と、彼からもらう力をもらう気持ちを歌った名曲。

イチローすげー、イチローへの憧れを本物とするためには、私もイチローみたく戦うぞという歌詞が情感たっぷりのメロデイにのっかってる。

イチローはイチローで林檎ちゃんの才能に嫉妬すると言う。

林檎ちゃんは本物で、俺はちょっとニセモノっぽいんだってさ。

下界にはいまわるバイトの劇団さんにはもう、二人の姿をとらえることができない。

スーパースター(林檎ちゃん)のスーパースターつまりは、スーパースーパースター(イチロー)は、実はスーパースターの方をスーパーだと思っているとのこと。しかし、そうなると、スーパースターはスーパースーパースターの上をいく、スーパースーパースーパースターということになって、しかしそうはいってもこのスーパースーパースーパースターはスーパースーパースターのことをスーパースターと思っているから、スーパースーパースターはスーパースーパースーパースーパースターということになる。となると、スパースターはさらに上をいく、スーパースーパー・・・

天界のまぶしいキラキラに、二人の輪郭は溶けて消えた。

どうぞ、お好きにお勝手に、だ。
posted by ボス村松 at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月12日

牡蠣鍋スープ

どこかにすごい美味しい鍋スープがあるはずだ。

なぜというに、大学時代一度だけ試してみた、今はどこの会社の何とも分からない、海鮮ちゃんこスープで作った鍋がめちゃくちゃおいしかった記憶がるからだ。

大学時代っていつの話だよ。

昨日の豚骨醤油スープでの敗北で火がついた俺は、バイト終了後、早速鍋スープのコーナーを物色した。

よくよく見てみると、トマト鍋スープが無くなってるな。そうか、あれは定番ではなくスポット参戦のものだったんだな。

豆乳スープの異彩が目を引いたが、お嫁さんが以前、豆乳にピンとこないと言っていたのを思い出して止めた。これは最後の手段だ。

昨日は豚骨しょうゆだったので、今日は味噌だ!

ということで牡蠣鍋味噌スープとした。

牡蠣も買った。高いねー。500円。量すくないねー。俺の印象では肉が一番安い。野菜案外高い。魚なんてもっとお高くとまってる。

昨日は豚コマで失敗した。今日は豚バラだ。そう思って肉コーナーを物色すると、イタリア産(!)豚バラ肉しゃぶしゃぶ用100g160円で、398円というのがあった。買った。豚コマよりも100g22円高い・・何てことないね。

飲んで浸りたい事柄があったので、ワンカップ大関と最近お気に入りのもうちょっと高いカップ酒を買う。鍋を作りながら飲む時のアテに、シメサバも買った。

これはけっこう買ったぞ。2000円超えるな多分。

レジを通ると、4600円と言われる。

予想の倍!!

まじかよ!

しかし、俺も同じ場所でレジを毎日打つ身、レシートを見て吟味するお客さんの姿にヒヤッとする。

ウチのレジは返品作業が面倒くさいのだ。

俺は、何事もなかったように通り過ぎる。

4600円かー。そんなに買ったかなー。バイト代の半分吹き飛んだよー。

おまえよー、牡蠣鍋さんよー、スペシャルに美味くなかったら、承知しねーからな。

そして今、作って食べたところ、

材料は正確に記すと、まず牡蠣味噌鍋スープ。

あと、昨日の鍋の残りの白菜八分の一。

あと、昨日の鍋の残りのネギ一本。

白菜4分の1程度と、スープの裏のレシピ例に書いてあったので、白菜の不足分を補う小松菜、春菊、ともに二把。

昨日の残りの油揚げ。

豚バラ200グラム強。

牡蠣。

以上で作りました。

いやいや、うまい、まずいで言えば、別にまずかないんだけどね。

大学時代に食べた、あの海鮮ちゃんこスープで作った鍋に遠く及ばない。

残念でした。
posted by ボス村松 at 18:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月17日

アンナ・カヴァン「氷」感想文

とりとめがなくて、こっち側から面白さをすくいあげなければ、全部指の間からこぼれおちそうなところが、ブンガクっぽい。

半分以上指の間からだーっと落ちていったのだけれど、ゆえに残ったものが有り難く感じられる。

俺フィルターにひっかかったものだけが残ったわけで、うまみ成分の純度が高い。

翻訳調のすこしぎこちない文章が好きというのもある。舶来物をありがたがる気持ち。アメ車は手がかかるのがいいんだよ。



アンナ・カヴァン「氷」



世界が氷に閉ざされつつある終末の世界が舞台。

目鼻立ちのついている登場人物は3人だけ。「私」と「少女」と「長官」

一人称「私」が主人公。主人公らしくよく悩む。心が実に揺れる揺れる。しかしカーチェイスもするし、殴り合いには大概勝つ。

そこそこハードボイルド的タフガイでもある。村上春樹的一人称「僕」からスカした感じを抜いてもっとダメ人間にした感じ。

ヒロインである「少女」の被虐性に性的興奮を感じるが、それを恥じたりもする。実際痛めつけて性的興奮を得ていた過去もあったようなことは暗示されているが、本編中はそこまでのことはしない。

「離して!」という少女の腕を強く掴んで「黙れ」と言って、大人しくさせるぐらい。

ベッド脇でそういうこともしているので、あれ?この後は・・と、やっちゃってる可能性も感じられるには感じられるが。

で、その「少女」がヒロイン。やせぎすのアルピノ。銀髪。氷に閉ざされる世界を表象しているんだか何なんだか。

日本発世界系のアニメのような感じだけれども、こっちの話が先なんだから仕方がない。

少女と表記されているが、20才オーバーの設定で離婚暦もあり。

彼女自身が言葉で内面を語ることはほとんどなく、「私」の行動に対しての拒絶の反応か、恭順の反応しか描かれない。よって、滅び行く世界を背負っているやりすぎな悲劇性が清潔なラインにとどまっている。これが巨乳で自分の内面を語りだすと、エロゲーになると思われる。

この「氷」の話の構造は基本的に以下のものだ。

かつて「私」の傍にいて今はそこにいない「少女」を、「私」が追い掛け回す。

ほぼこれだけ。

となると、じゃあ「少女」は今どこにいるのかというと「長官」の傍にいる。

最初、「長官」は「私」の前に紋切り型の敵役として現れる。イケメン長身でスポーティで権力も持っている。少しうすっぺらい。

それが話が進むにつれて、うすっぺらくなくなる。しかし特に何か雨の中で子犬を拾った的エピソードが描かれたわけでもない。

ただ、「私」の方が「長官」に対して、「こいつめー」という態度をとるだけではなく、様々な態度をとりだして、その態度が「長官」のイケメン長身の顔に映る。

「私」は「長官」に媚を見せる。「私」は「長官」にシンパシーを感じる。「長官」は「私」だと言い出す。実際、「長官」の「少女」への対し方は、「私」の「少女」への対し方とまったくの同じであり、「少女」から受ける反応も同じ。拒絶か恭順だ。ただ、長官の方が絶大な力があるので、拒絶の力はより弱弱しくなり恭順の姿に絶望の色が濃い。



こんな話が、ただただ300ページぐらいあってからの、最後の方で「私」は「長官」から「少女」を取り戻す。

二人は同じ場所で時間を過ごし始めるが「少女」は一向につれない。ツンのみ。デレ全くなし。

「私」は「少女」をやっと取り戻したわけであるが、やっぱこれいらないと思い、彼女にさよならを告げて(おいおい)、もう一方のこの話の事件性である世界の終わり(その現象「氷」は少女の佇まいとリンクしているのだが)と対峙するために「長官」の下にに赴く。

「長官」はそんな「私」を、最初、私と君は魂の双子なのだよ的に歓待し共に世界の終末を憂うことに同意するが、この会談の帰結は、やっぱり対立に終わる。

「長官」は「私」を軽蔑し、叱責する。

何で「少女」を残してきたんだ。

そして宣言する。

「少女」を私は取り戻す。

「私」は「長官」の配下の憲兵たちに袋叩きにされるが、かろうじて逃れる。そして、全てのツッコミを無視して、もう一度「少女」に会わねばと思う。「長官」の手に落ちるより早く! 

読者ボス村松はこの時、いやもう、なんでやねん!ですよ。さっき少女を捨ててきたときと状況は一点を除いて何も変わっとらんがな、と。「長官」が「少女」に価値を認めた一点を除いて。

人が欲しいと言ったので、自分もやっぱり惜しくなった「私」は大立ち回りの末、装甲車を奪い、「少女」の元に戻る。

もちろん「少女」からは拒絶を受けるが、なんやかんや揉みあい口論しているうちに彼女から、

「窓の外を見ていたのは、あんたを待っていたの。なぜだか分からないけどあんたを待っていたの」(うろ覚え)

の言葉を引き出し、大感激。彼女を装甲車に乗せて、意味なしと分かっているが、もっと南へと赤道直下を目指す。

後ろには「氷」が迫っている。もちろん逃れることはできない。

ただ、今、この装甲車の中は温かい。傍らには「少女」がいる。

ポケットに入った拳銃の重みが頼もしい。(自殺を仄めかす。すこし陳腐か)

こう、俺は読みました。

ちなみに「長官」の最後の出番は「取り戻す」と宣言したところで、もう出てこない。ラスバトルなし。「いいよ、それは」の著者の声が聞こえてくる。このうっちゃり感が、全編にあふれ、作品を魅力的にしている。
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2015年08月09日

よみかけばっか

昨日はなかなか良い練習ができたのだが、朝起きると、のどが少し枯れていた。

やはりパニック物ということで、ギャーギャー言ってたせいだ。

考えなければならない。

ギャーとがなりたいところでも、綺麗な発声で。ノリに任せずに一歩引いたところで声のマネジメントをする、といったところだろうか。

ふらっと入ったコンビニに文芸春秋があって、例の又吉直樹の火花が全文掲載という。

数ページ立ち読みしたらおもしろかった。

少し気恥ずかしい気もしたが、購入した。

まだアンナカヴァンの氷も読み終わってないのに。そういや、東京自叙伝もまだ途中だな。

読みやすい読みにくいだと、ネットのスポーツの記事とかすげー読みやすい。

ブンガクの文章をたまに読むと読みにくい。

思い入れが読みにくくさせているのもあるだろうし、読みにくさがありがたい部分もある。

あと、多分、ネットのスポーツの記事を書いてる人の方が一日に文章を書いている絶対量が多くて、川の石が河口に近くなると丸くなるように、ただただ書いているうちに文章がまるくなっていくのかな、とも思う。
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2015年06月18日

大学の後輩の武田キャリアーから、この本を読んでみませんか?と一冊の本を渡された。

アんナ・カヴァンの「氷」だ。

武田キャリアーは、この本を読書会で読んだらしい。「よくわかんないって言われてるけど、僕には別に分かりやすくて、それはイケモっさん(俺のこと)の芝居で馴染みがあったからなんですよね」という。

版権がもうすぐ切れるから、イケモッさんが、舞台化したら、熱狂的なファンがついている本だから、お客さんは入るかもしれませんよ、とのこと。

序文を読んでみると、この作に近い作家に、ガルシア・マルケスやら村上春樹やらトマス・ピンチョンとかの名前がある。なんだよ、有名どころじゃん。

”少女”を探して世界を彷徨する”私”が主人公で、世界のどこにでも”少女”は現れて、しかし”少女”の傍らには、”私”と敵対する”長官”がいる。そんな話らしい。そういえば、俺もそんなような芝居を書いたこともあるな。っていうか、今回の、キタジマはこの作の”少女”っぽい。でも、これのノリは俺よりも村上春樹だろ。俺も村上春樹は好きで何冊も読んだ。でも系でいけば同じだけど、村上春樹よりも高橋源一郎の方がもっと好き。

村上春樹は何で、あんなに筋のない話を書いて、みんなに受け入れられているんだろう。スゲーな。読みやすさ・感じのよさだけで、1000ページよませてけつかる。俺の芝居は2時間持たないひとが、半分。いや、でも村上春樹だって、本を買った人全員最後まで読んでるのかな?案外半分だったりしないのかな。


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2015年05月15日

「僕の変な彼女」立ち読み

とても、よかった。

ヤンマガ(*モーニングでした・訂正)の読みきり漫画。

デビューを目指す漫画家さん用の賞を受賞して掲載されたというかんじなのかな。

すんません。立ち読みできての今なので、詳細はわかりません。次に目にしたときは買います。


死んだ元カノが、非エロな作画の股間の妖精となって蘇ってきて、僕とどうにかナニをして成仏するというお話。

大爆笑ではない。大感動でもない。

ただただ、感じがいい。美しい。いや、絵柄はというと別に美しくない。作者が編み出したウマヘタの絵柄。

トータルで整っている。ただただ、感じがいい。気が利いている。

東村アキコが絶賛らしい。

小憎らしい。

ボス村松も絶賛ですよ。

昨日の俺のブログの記事への、アンサーを早速、演劇の神サマは用意してくれたと見える。

大感動でも大爆笑でもなくても、気が利いてるっていうのは一つの価値だよね。

ただ、公演当日になるとお客さんの笑いから、出来をさぐる性分は死ぬまでなので、ウケは狙っていきましょう
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2015年02月10日

すれちがい宇宙(そら)

フレックスの会社勤めのお嫁さんが、7:00に部屋を出て出勤するようになったので、一日顔を見ない日が続いた。

夜っぴきの彼女は、前は8:30ごろ、俺がバイトから帰ってくるのを合図に起きて来ていたのだが。

ガンダムのめぐりあい宇宙にかけて、すれちがい宇宙とさせていただきました。

一日、YOUTUBEの動画にはまった日があって、アニメではガンダムユニコーンとマクロスとマクロスフロンティアの戦闘シーンを見た。

そんな勇ましい感じではない歌モノの曲を背景に戦闘するのミスマッチの妙は、やっぱりガンダムVの「めぐりあい」が最初なんだろうか。

ガンダムVのめぐりあいは落ちてなかったが。

リンミンメイの歌声に、バルキリーが変形する

血が騒ぐ。

あと、リンミンメイのシャワーシーンも見ることができました。あのときは中学生でした。TOLOVEるなんて無い時代でしたが、ルナ先生はいました。

大人になったら、こういうのは卒業しなければならないというのが、俺が子供の頃の感覚だったのだけれども、ここ最近は卒業しなくてもいい風潮になっている。いいのか悪いのか。私には少し恥じ入る気持ちはある。

ロボットに乗って人生を語りながら殺し合いして恋もからめてカッコイイ。

なんだそりゃ、と。

大人ならもっと、淡い白身の刺身を、冷酒でいただくように、うまみをすくいあげるのが粋。

なかなかそうはいかないのだけれども。
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2014年12月30日

ライ麦畑を読んだ

久しぶりに本を読んだ。

ライ麦畑だ。

本屋に村上春樹訳と、従来訳があって、従来訳を買った。

一回、読んだことはあった。

冒頭数ページを、両方、立ち詠んで、より自然な村上訳よりも、文章的な口語(?)の従来訳が持つ、ケレン味ある名調子に惹かれたのだった。

話は全然覚えていなかった。初めて読んだのと変わらなかった。

大変面白かった。

中身はなんも覚えてはいないのだが、初めて読んだときは、そんなにおもしろく感じなかったことだけは、覚えている。

これを読んで面白く感じられるほどの準備が、その時の俺にはなかったのだろう。

しかし、この本は、当時の全米の若者が熱狂して、発禁になった本なのだった。

俺は40を超えて、ようやく当時の全米の若者の成熟に追いつけたことになる。

俺の感性は老いてはいない、これからなのだ、といい方にとることにした。
posted by ボス村松 at 23:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月11日

弱虫ペダル、30冊一気読み

芝居が終わって、さて、自分の脚本を書こうかな。お昼ぐらいまではそう思ってたんだ。

ところがパソコンがフリーズした。

あらー、と思って、ちょっと手に取ったお嫁さんの蔵書であるところの弱虫ペダルをそこから30冊ほど読んでたら夜になった。

老い易く学成りがたし。

しかし、その弱虫ペダルであるが、追いついたり、追いつかれたりの不自然さがどうにも気になっていてちょっと読んでやめていたいたのだった。

しかし、そこはそんなんもの、マンガなんだしと割り切ったら、おもしろくなった。

ルールとしては、集団に追いついたら、そこに追いつくまでに使った足は一旦リセットされるということだろうか。

一回目のインターハイの真波と坂道の一騎打ちには問答無用で燃えた。

そしてそれを許す福富のふがいなさ、解説キャラへの転落はのどに刺さる棘となった。描かれていなかったが、なんか調子の悪い日だったんだな。仕方ないが。俺が大学に行ってたころ、深夜にやっていたツールドフランスを俺はけっこう、楽しみに見てたんだけど、そこでアシストに守られていたはずのエースが力をだせず、ずるずると落ちていく姿はちょいちょい見た。解説の人が、あーやっぱり、***選手上がってこれませんねーとか解説してた。思い出した。ミゲール・インデュラインがすげー強かったときだ。クライマーが、マリオ・パンターニだったか?

真波の、スイッチが入ったとき羽が生える設定は、大変かっこよろしく強げだったので、坂道の、ぐるぐる足を回すと足とタイヤが光りだす必殺技に破れるのは、残念だった。真波に勝って欲しかったな。

1回目のインターハイ後の、一回盛り上がった後でーの、もう一回因縁作りなおして新キャラ登場させての苦心しつつも丁寧な展開に感心した。新キャプテン手島は、合宿で負けるかと思った。はじめの一歩もそうだが、脇同士の戦いは、物語の予定調和から外れているので、どっちが勝つか分からず、読んでいて燃える戦いになる。名勝負多し。

箱学の筋肉の2年生は、インターハイで何でいつの間にリタイアしてたんだ?

お嫁さんは、販促のポスターに描かれた巻島に一目ぼれして、弱虫ペダルを集めだしたのだが、読んでいくうちに田所を好きになったそうです。お嫁さんから聞いた、世のキャラ人気も、巻島が一番らしい。俺としては三年生トリオのもう一人、エース金城に、もうちょっと配慮がほしかった。膝痛でリタイアさせるにせよ、痛みだしたから自転車を下りるとかではなく、こう、なんというか、膝が爆発してふっとぶとか、こう3年間の集大成の散り様を用意してあげてほしかった。エースなんだし。


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2014年01月12日

かぐや姫の物語をみてきた

私は映画を見る習慣がない。

そんな私が、かぐや姫の物語を見てきた。

直近に見た映画は、風立ちぬ、だ。

ジブリファンかよ。

そんなでもないはずなんだけど。

風たちぬ、は全然見たくなかったんだけど、お嫁さんに誘われて観に行ったのだった。

おもしろかった。

さて、かぐや姫の物語、

絵とか、人物とか、話の展開とか、トリッキーに感じられるところがあって、

おもしろく興味深く見られた。

しかし高畑監督の前作、となりの山田くん、に大変感動して大いなる期待を持って観に行った気持ちは

満足しなかった。

となりの山田くんは、すばらしかった。

全体の、とぼけた味が可愛くて可愛くて、可愛すぎてほとんど全編ウルウルしていて、

特にのぼるがキクチさんとちょっとイイ感じのことがあって大喜びする場面なんかにはもう、

キューンとなりすぎて、ボロボロと涙した。

可哀想で涙するとか、そういうものとは、数段上等の至福の体験だった。

ただ唯一、ラストシーンのケセラセラを歌いながら空を飛ぶ場面は、ファンタジー感が少々紋きりであざといように感じた。

俺にあそこだけ、リメイクさせてくれ。腹案はある。

かぐや姫、でも飛んでいた。

飛んでる間、おまえも飛ぶのかよ、と突っ込みの気持ちが心を支配した。

ジブリは飛ばなきゃ駄目という内規でもあるのだろうか。

かぐや姫は、竹から生まれた。

一年で、10歳ぐらいに成長した。

それを、変だな、の一言で周りの人が納得する世界観が面白かった。

昔話はそういうものだ、と言えばそれまでかもしれないのだが、私が長く昔話に触れていなかった。

今回の、かぐや姫の物語の構造は、

清浄の月、不浄の地球という設定がまずあって、

清浄の月に住んでいたかぐや姫が、不浄に心を奪われて、地球に転生する。

転生して翁に拾われ、山里で暮らした幼少時代は、楽しかったが、

都に出て、ただ求婚されて嫁ぐだけの、男の欲望の対象物になったとき、地球で生きることが楽しくなくなった。

その気持ちが月に知れて、月の使者がやってくる。←この月の使者の描写がとても面白かった

ととさま、かかさま、離れがたい。

せっかく地球に転生したのだから、もっと不浄にまみれた、

ガツンと実感あふれる生き方もあったはず。

幼少時代に初恋めいたものもあったのに。←ここで空を飛んだ

あそこで、もうちょっと踏み込んでいれば。

心残りだ。

しかし、羽衣を着せられた瞬間、地球での記憶をなくす。

かぐや姫、月に帰る。

記憶をなくしたはずなのに、その頬に一筋の涙。←演出に違和感を感じる。後述する。

というものだと思う。

かぐや姫という、昔話の箱に、現代性を入れて物語とするなら、

なるほど、コレだろうと納得の流れだ。

ただ、どうも、映画を見ていて、この現代性が鼻についた。

昔話という箱と齟齬があった。

わかりやすすぎたのではないか、と思う。

もっと、そっと心を掠める感じが、品があっていいのではないか。

思えば、風立ちぬは、その辺がいい感じだったのではないだろうか。

こう書いていて、文学性というのは、いい感じの分かりにくさの指数に思えてきた。

物語に意味を持たせるなら、

結論は大体出ている。

愛は大切、とか、生きるって大変、とか、死は誰にでも訪れる、とか。

分かりにくさによる空白が、読み手の想像力に重なったとき、

いい感じに心が震えて、ブンガクセーと人は呟くのではないか。

となると「分かりやすすぎる」「わかりにくすぎる」のポイントは人によって違うので、

文学性って難しい。

あと、もうひとつ。

最後の一筋の涙、のところで、かぐや姫は、地球を振り返って涙したのだけれど、

記憶をなくしているのだから、振り返らずに涙、が論理的にも正しくて、切ないとおもうのだけれど。

同じような感じで、もののけ姫も、

人にも獣にもなれない哀れな子なのだから、あんなに流暢に喋れない方が、

論理的にも正しくて、切ないと思うのだけれど。

ジブリファンかよ。

いや、そんなはずはないのだけれど。

   ***

このブログ書くのに2時間かかった。

あと、40分走った。スクワットもした。

脚本を書く時間が圧迫されている。

名人戦棋譜速報も見なきゃならんし。

羽生三冠7連勝!

いかんな。

それでも、自分の書いてる脚本は何とかかんとか30ページに到達。

いつもの長さで納まるとして、ちょうど折り返し地点。

もうちょっと、中盤の山場っぽく、派手なシーンにならんもんか。

たたみかけるような。

文学性高く?

   ***

劇団鋼鉄村松公演「キャベティーナ」

2014年 5/28〜6/1

絶賛宣伝中。

http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_main_id=39978


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2010年07月04日

森見登美彦「夜は短し歩けよ乙女」読了

ポップなアニメっぽい表紙に買いづらさを感じつつ、買う。

私は小説に、立派さを求めがちだ。ポップなアニメっぽい表紙は立派とは違う。

決してポップなアニメが嫌いなわけではない。ポップなアニメはポップなアニメでやるのがよかろうということ。マンガ大好き。多くのマンガに、週一でこんなのを書けるなんて!と畏敬の念を覚える。

文章を読むのが遅いのでせっかく小説を読むならタメになるものがいいという貧乏根性がある。

ではなんで、この本を買ったか。

この作家の別の単行本を立ち読んで、わあ、この文体好き。と思い、しかし、単行本は高いので、こっちの文庫本に流れた次第だ。

おはなしは、こう始まった。

「これは私のお話ではなく、彼女のお話である。
 役者に満ちたこの世界において、誰もが主役を張ろうと小狡く立ちまわるが、まったく意図せざるうちに彼女はその夜の主役であった。そのことに当の本人は気づかなかった。今もまだ気づいていまい」

いいねえ。

別に言ってることがいいとかじゃなくて、リズムが好ましい。

   ***

読み終わって感銘をうける。

たしかに、主役の黒髪の乙女は物語じゅうずっと歩きっぱなし。タイトルどおり、歩けよ乙女なのである。彼女に恋をして、追いかける先輩は徹頭徹尾それにすれ違いっぱなし。枠がしっかりスッキリしているのだ。

また、一つの出来事を、乙女視点と、先輩視点、それぞれの一人称で交互に書かれ、物語が進行していく工夫が面白い。工夫が面白いだけでなく、それが、実際上の面白さにつながっている。目先が変わるし、同じモノ同じ出来事に二種類の評がつくわけで、それが乖離していれば、おいおい、とツッコミ調のおかしみに通じ、一緒ならば、おお重なったと、ほのぼのする。恋の話なので。

困ったこともある。

この黒髪の乙女が、むやみやたらとカワイイのだ。私のロリコン心がわしづかみにされる。正直、ここまでカワイク描かれると、逆にこれは森見トミヒコという、とある作家の妄想なのであるなあ、と彼の姿が迫って来る。きっとムサイ男に違いない。マンガ、アニメであれば、キャラクターは絵になっているので、この絵の人、ということで収まってくれるのだが。もう一回転回して、それゆえにさらに切ないという見方もあるが。

とはいえ、声を出しておおいに笑った。

小説で声がでることはなかなかない。

たいしたものだ。

とにかく、具体的なイベントを次々と発生させて大騒動を描写する。本当にマンガ、アニメぐらいに人物が動く。動く。なんとなく、うる星やつらを思い出した。

物語中、黒髪の乙女、先輩が芝居を共演という機会があり、

それは恋人役。

先輩は芝居の台詞に自分の思いを乗せて、演じる。乙女も何かを感じ取りぽおっとなる、という、10000回ドラマで見たNGイベント(俺ルール)があった。しかしそれも、その場面を読んでから、あれ?そういえばと振り返って、NGシーンだったんじゃーんと思ったのだった。NGを気づかせない。

素材を扱う手つきが肌にあうのだろう。

いやあ、オモチロかった。
posted by ボス村松 at 02:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月25日

立ち読み

先日の立ち読みに味をしめて、本屋でまたパラパラとやる。

おとついの「悪と戦う」の隣に置いてあった、森見登美彦の新刊、「ペンギン*ハイウェイ」を3ページぐらい読む。いい。

早熟な小学生の独白で始まる。最後までそうなのかな?「ボクは昨日よりも前に進む。このままいくとどれほどの大人になるか怖いくらいである」(みたいな感じ) いい。

色のない情景描写から始められると、すぐ本を閉じてしまう。

人気の東野圭吾(よんだことない)はどんなものかと、何冊かひらいて、閉じてしまうのもそんな理由からだ。

森見トミヒコという人は他にどんなのを書いてるんだ?

文庫のところを探してみると、アニメっぽい絵柄の表紙に「恋せよ乙女、なんたらなんたら」とある。

少し舐めて開いてみる。

カワイコちゃんを礼賛する、「俺」(僕だったかな?)の独白が冒頭を飾る。「情けないわき役な俺。カワイイ彼女をどうか応援してやっていただきたい」(みたいな感じ) 潔い。カワイイ女の子を描きたかったと。じゃあ仕方ない。いい。

   ***

劇団ひとりの日記の文庫本もパラパラ

日記のフリをした小説なのかな?

オチのしっかりとついた短編になっている。

「無償の愛とは何だ」
   ↓
「石を愛してみることにした」
   ↓
「石と一緒にすごすうちに石の窪みやでっぱりが顔に見えてきた」
   ↓
「砂利の中に、その石を投げ、探し当てるという遊びを二人(ひとりと石)で興じた」
   ↓
「みなさんは、見わけなどつくものか、と思うことだろう。違う石を拾って、その石だと思っていても分からないじゃないか」
   ↓
「しかし、みなさんは家族の顔を疑うだろうか」
   ↓
「それぐらいに、石と私は心を交わしたのだ」
   ↓
「さらには、石はひと周り大きくなった気がする。成長してる?」

うまい。

   ***

みんな俺よりうまい。おいつけおいこせだ。

ネット将棋も何とか6級に定着したい。
posted by ボス村松 at 01:49| Comment(1) | TrackBack(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月23日

高橋源一郎「「悪」と戦う」読了

単行本が出てた。大好きな高橋源一郎の新刊だ。

パラパラと読んでみる。読みやすい。字がデカイ。これ、立ち読みで全部イケるんじゃね?

イケた。

   ***

誰かの書評にあった。

読んでびっくり、小説冒頭から数行でトップスピードに入った。技だ。みたいな。

ネットでその書評を探してみた。

見つけた。

それはこんな。


290頁の本ですけど、読み出して十数秒後には物語の中に引きずり込まれて、「あれよあれよ」という間に100頁まで一気読みしてしまいました。さすがにそこまで読んだところで本から顔を上げて、ようやく「ふう」と息をつきました。なんというドライブ感。高橋源一郎にしか書けないタイプの疾走感のある文章です。知り合いの編集者が「太宰治みたい」と読後の印象を語っていたけれど、たしかにその通り。どういう条件が整うと、作家はこれほどまでに「疾走感のある文章」を書けるのか。息継ぎのついでに、先を読むのを止めてそれについて考えました。小説はこんなふうに始まります。
「キイちゃんは一歳半になりました。でも、ことばが遅い。ことばの発達が遅れている。ああ、この言い方でいいんでしょうか。『ことばが遅い』とか『ことばの発達が遅れている』とか。でも、いいや。間違っていても。それより、キイちゃんのことばの発達のことが心配です。」
 高橋さんの文体のギヤは「ああ」で二速に入り、「でも」で三速に入り、「それより」で「トップギヤ」に入ります。三行でトップスピード。すごい。太宰の「死なうと思ってゐた」とか「子供より親が大事と思いたい」の「一行目からトップギヤ」というワールドレコードにはちょっと届きませんけど、現代作家たちの「ゼロヨン競争」があったら、間違いなく高橋源一郎がぶっちぎりのチャンピオンでしょう。


   ***

高橋源一郎の真っすぐ声が出てるときの地の文は素晴らしい。

軽さを演じているときの文章はちょっと滑ってるなあと思う時もある。「カギカッコ」が延々と続く会話、あと、女子高生饒舌体。

しかし饒舌がキマッタ時のカッチョ良さは比肩しうるものがないと思われる。「ゴーストバスターズ」の奥の細道で、SORAが、センセ、センセと叫んだあの数ページはボス村松読書史の頂点に挙げられる。

今回も様々な文体を混ぜつつ、抒情的な変な世界を立ち上げた。

俺の頭には立ち上がらないこともあるのだけれど、今回は立ち上がった。

話はあってないようなもんです。

言葉が遅れたキイちゃんの兄のランちゃん(3歳)が3,4か所パラレルワールドをめぐって、悪に勝ったんだか勝ってないんだか。

音楽は鳴っていたか。

鳴っていました。

でも、びしょ濡れの瞬間はなかったな。

100ページを超えての登場の、狂言回し役のマホさんが、最後、実はお姉ちゃんだったり、悪と一緒に無に落ちて行くわだったりは、読後5時間ぐらい経っての今、これを書いていて俺の心に座りが悪い。

   ***

高橋源一郎に、俺の芝居見てもらうにはどういう策をこらすべきか。

posted by ボス村松 at 02:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月16日

ワールドカップの副産物

ワールドカップをやっている。

日曜日の将棋の時間以外見なくなっていた、テレビを点けるようになった。

今深夜アニメをやっている。

かわいいなあ。なんか、けっこう画が動くぞ。

なるほど、これが、けいおん、というやつか。

おっぱいがでかくない。ふとももはむっちり。

もえー。

posted by ボス村松 at 01:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする