二日間、脚本とにらめっこして臨んだ稽古場。
練習の成果は、まずまず出せた。
稽古場で相手役を前にして、台詞が出やすいリズムの体になっていた。
これでいこう、と思った。
リズムで喋ると意味がないがしろになると言われるが、リズムがないと、そもそもの台詞が出てこない。
この日の稽古場も、稽古後に居残れる場所だったので、演出家さんや他の役者さんたちと意見の交換をした。
そこで、今日の俺は、まだ足りていないということが判明した。
足りてるんじゃないかなと、ひそかに期待していたのだが、そうではなかった。
内心、これでいこう、と思ったのが、これでいっては、ダメなのだった。
あー。
軍の親玉を演じるに当たって、もっと硬質な雰囲気が欲しいとのこと。
俺なりに意識したエドハリスが、全く足りていなかったようだ。
ちらっと、ボスは何をやってもボスでしかない、みたいな言葉も聞こえた。
まあ、基本そう思ってやっているから、正解です。
はたから見てそう見えているんだから、間違いない。
自分的には、だいぶエドハリスを入れたつもりだったんだけどなー。
ボス村松と違うのをやれ、ですか。
だから、それがエドハリス。
もう、スパイスとしてエドハリスを入れるんじゃなくて、エドハリスになれという演出であると理解した。
「私はエドハリス」
今ボス村松さんは、北島マヤばりに、目が白くなりましたよ。
台詞回しも、やっぱりシンゴジラレベルの、「立て板に水」感がほしいようだ。
厳しいことを言う。
俺、昭和の8ビット機やで?
確かに最初に「シンゴジラみたいに」とは言われていたけど、それよりは、まず、その場の心情優先で組み立ててよいという話があった。
そこで俺は、一旦シンゴジラをリセットしたんだけど、やっぱり最終地点はシンゴジラなんだってさ。
そらそうだ。
「シンゴジラはなしで」という話は聞いてないもんな。
放っておいたら、人は楽な方に行くね。
でも、俺はいきなりシンゴジラをやらないよ。
返し稽古で、うまくいく時もあるかもしれないけど、その時、絶対頭の中は、ワーニングが鳴り響く真っ赤な状態だ。
これ、よくない。
これ、つみあがらないやつ。
実のところ、これまで俺は、常に、頭の中に警報を鳴らしながら役者をやっていた。
台詞を覚えられていた(覚えずともテキトーに演技ができていた)最初の2年ほどは別として、覚えられなくなってからの30年間は、ずっと真っ赤で、ここまできました。
そら天下とれないわ。在野だわ。
ワーニングが鳴らないところで、つみあげていく。
今回こそ、それをやる。
そろりそろりと、アクセルを踏んで、スピードを上げていく。
最終的に速度がでなくて、演出さんに諦められたら、その時は、その時です。
演出家さんも、ダメなら、別のを考えると言っていた。
無い袖は振れん。
そんなきもちで。