JUDY.jpg 劇団の動画など、ありますよ?
ボス村松ドラマスペシャル「じ・だん」パラパラアニメ
遍歴の騎士ヤマオカ卿の酒気帯びでやんすダイジェスト
けつあごのゴメスダイジェスト
P型柔道一門PV
ミハエルとアイルトンとチュウカドンPV


2017年07月18日

インプロ

即興劇(インプロ)というジャンルが小劇場にはある。

脚本なしで、設定だけがあって、それに当為即妙の受け答えをしたものが勇者という形式である。

得意な役者と、そうでない役者がいる。

即興劇の参加者全員が能力上位であれば、まるで脚本が前からあったみたいな一つの世界が作られ、拍手喝采があがる。

そこまでいけば、お客さんにも、その即興劇が一つの作品として認識されるのだろう。



仕切る人間が上位なら、あとの演者は並でも、ある程度の時間を持たせられる見世物になる。

しかし作品とは認識されない。時間つぶしとして、有効だったぐらいに留まる。



今日、シアトロンで即興劇をやってきた。

敗れてきた。

その即興劇のなかで、全く機能していなかったわけではない。

スベリの人としてはそんなもんだった。。

くやしいか、くしやしくないか、と言ったら、くやしい。

俺にとって、上手い人に見えるように願って、今回のチャレンジに立った。


俺は強い言葉で、すぐシュートを打ちたがる。しかも、ゴールに入れる確信はなく、目の前にボールが転がってきたので、強キックをふかす。ボールはゴールのはるか上。

上手い人は、平易で次につながる言葉をつかって、パスをオープンスペースに転がす。


posted by ボス村松 at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月05日

ピクニック

ボス村松の竜退治が終わって、残った日本酒を飲んだ。萩の露、うまいな。

あまくて。

しかしラベルには超辛口と書いてある。

あれー。

しかし最初に口に含んだ時の最初のアタックみたいなの、刺激は確かに強い。

これか? 日本酒の辛口のいうところは。

俺の言う、甘いお酒が好きというのは、この甘い辛いに関係ないのかもしれない。

日本酒むずかしいな。



バイト先から求められている検便の採取に成功した。

危ないところだった。明日提出期限という、きわきわだった。

忘れないように、小指に輪ゴムをしていたのだけど、それは半日ほどで外れてどこかにいってしまった。

何気に大便器にすわり、先っちょぐらいを出した時に、あ!と気が付いた。

あぶないところだった。



今月16日、演劇フェスシアトロンに参加する「ボス村松のピクニック」の練習をした。

グレートニュームラマツとの二人芝居だ。15分から20分の芝居になると思う。

グレートが楽しそうだ。

DJグレートは本意ではなく、台詞を覚えて役を演じる、いわゆるお芝居やりたかったんだなと思った。


チケットはコチラから




posted by ボス村松 at 03:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月12日

役が決まった

配役が決まった。

俺の役はキングという役。往年の大物プロモーター、ドン・キングにオセロトーナメントの司会をくっつけたような役だ。
鮮やかに動いて喋って花まる学習会王子小劇場にショー空間を作るのが課せられたタスク。

スーツを着ても成り立つ役だけど、せっかくだからゴージャスで突飛な衣装を着たいなあ。

羽がついたモコモコのガウンに、ジャラジャラのネックレスに、指輪も3個ぐらいつけたい。

予算まわらなかったら、自腹で探しちゃおうか。

かようにモノに頼りたくなるぐらいに俺のスター性が問われていると感じる。

しかしこの役、初演時には細川が演じていた。

細川は当時の劇団内役者ランキングでは上位ではなく、そこから、そんなには話の肝を担う役でないことも伺える。

とはいえ、細川はこの役を上手く演じていた。

まずは、細川越えを目指したい。

そこに大物感とスター性を加えていくということで。

   ***

主役のサンボはグレートニュームラマツになった。

すっかり劇団の主役役者になってしまった。

ミハエルとアイルトンとチュウカドンで、いいじゃんと思って、まーくえっくすで停滞、今回の役決めの本読みで、また一歩上がってるーというのが俺の印象。

演劇用の発声をして、台詞が体と気持ちの真ん中からまっすぐに、前に進んでいくところに主役適正あり。

見習いたいものです。俺、できない。

今回の役決めの台詞の回し読みでは、演技の味付けに、案外気が利いているのを持ってきていて、演劇IQの向上も感じられた。

締まった表情をすると、精悍に見えるようになった。人前に立つことに慣れて来たのかな。

以上、持ち上げてみました。

今後の課題としては、でんぐり返しができる体を作ることだろう。

ごはんをたくさん食べて、どうするのがいいのかな、走るとか?

   ***

一方のニュームラマツの心情を思うと、おかしくってしょうがない。

役決めが発表された最初の稽古が昨日あった。

稽古場の鍵が開くのを待つ時間、稽古場前のロビーで、ニュームラマツはデスマスクみたいな顔をしてうずくまっていた。

バイトで疲れていたということだが、俺はそこに別のものを見た。

それはうがちすぎかもしれない。

稽古では明るくやる気に満ちた、いつものニュームラマツだった。

がんばれ。おもしろい。


posted by ボス村松 at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月08日

日本のラジオ「ムーア」観劇

芝居を見て、芝居をやりたくなるのは、ありがたい芝居だ。

ありがたい芝居だった。

俺もまた芝居やりたいなー。

日本のラジオ「ムーア」を観劇してきた。

観ているこちらを巻き込まない、でも、客席の向こう側で、キレイな形でまとまっている。

観劇というより、鑑賞。

エロマンガ、ショタ、猟奇殺人を題材にした芝居。

おぞましい現実とおぞましい現実を空想することの境目を語る気の利いた言葉たちが、丁寧な演技と丁寧な演出によって舞台上に浮かんでは消えていった。

美術館の一角に、「エロマンガと現実のインスタレーション」と題されて置かれていてもそんな感じ。そしてその美術館を訪れた私とその連れは、きっと、館内を一通り見終えて、お茶の席について、「あのさー」とどちらかが口を開く。仮に口を開いたのが俺だとして、

「俺、エロマンガと現実のインスタレーションが一番よかったな。ほら、一階の、人がいて動いてたやつ。おもしろかった」

すると、連れもこう言う。

「わたしもー」

脚本の言葉は、とても笑いのセンスにあふれていて軽快で、東中野のRAFTを美術館じゃなくて、芝居小屋にする演出もあるかもしれないな。笑いに注力する。

自分が役者だったら、自分が演出だったら、それができるとは言えないけど、そんな想像はした。

それは俺、役者で出演してみませんか、って声かけられたことが、前に一度あったからね。

月曜までやってるみたいだから、見に行くといいよ


posted by ボス村松 at 15:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月03日

歌の発表会とライジング・ティップトーを見た

今週はこれでおしまい。そう思っていた芝居見物がもう一本残っていた。

忘れてた。お嫁さんと予定していたデートと重なる。

お嫁さんとは、とあるボーカルスクールの発表会に顔を出すことにしていた。

13時の開演のお芝居を18時の回に移してもらい、両方を見ることができた。

ボーカルスクールの発表会を見て思ったのは、小劇場界隈の人間は歌がうまいんだな、ということ。

その発表会の歌い手さんより知り合い連の方が上手な人が多い気がする。

かく言う私も圧倒的な声量を誇り、カラオケ屋の店員さんに部屋に入ってこられて「度が過ぎていませんか?」と注意を受けたという実績を持つ。なんだぞれ。カラオケ屋こそ、どんな大声を張り上げてもいい場所じゃないんかい。

発表会の新宿から下北沢に移動してライジング・ティップットー「鬱まくら」を観劇。

おもしろい。

台詞がいい。気が利いている。

芝居全体の雰囲気はトリコロールケーキの無機質なナンセンスからギャグ味を引いた分、意味としっとり感を加えた感じ。

観劇中に「誰やねん、こいつ」とパンフを開くと、作演出の方は国の助成金で演劇を勉強しに行った人で、現代詩人としても活躍中とのこと。宇野重吉何たら賞をすでに獲得している、もはや権威側の人間だ。

どうりで。

恥ずかしながら、俺もセリフ回しが気の利いてるのを自負する脚本書きで、しかし、それって芝居の面白い面白くないにはあんまり影響しないのかな、と疑いを持っている人なのだった。でもこれ以外の書き方ができない。

今回この鬱まくらを見て思った。

やっぱり、セリフが気が利いていることは意味がある!

基準値を超えた質が基準値を超えた時間続けば、そこには得も言われぬ頭よさげフィールドが発生するぞ。

心を強くした。

ありがとう。ライジング・ティップトー!

終演後の挨拶で、出演していた知人が開口一番、俺に謝った。「ごめんなさい」

俺はちょっと高めの値段設定と呼んでおいた自分の出番がそれほどでもなかったことを謝っているのだと思い、「面白かった」と喜びを伝えると、彼女はウソーと言う。

彼女が呼んだ他の友人たちには軒並みこの芝居の評判はよくなかったらしい。

まーなー。話の整合性はあんまりない。大したドラマはおきない。

作家のセンスを愛でる芝居だ。分からん奴には分からんだろうなーということで、逆に「俺は分かったぜ」みたいなゲスな優越感が心に沸いた。この味がわからないとは。春菊はちょっと苦いのがいいんだよ。

・・・

ちょっと、ボス村松さん悦にはいっているところすいません。これは気の利いたセリフっていうのは、面白い面白くないに関してあんまり意味がないという結論ですよ。

・・・

なるほどね。しかし、わからん奴に合わせてレベルを落としていてはゲージツは開拓されていかないよ。そう、気が利いていれば、賞を取れるかもしれない。

・・・。

はたと、思い出して日本劇作家協会のHPを開く。

今年の協会の戯曲賞の一次審査が通った20作品(ぐらい)のタイトルが上がっていた。

応募した俺の作の名前は、そこになかった。

一昨年、俺の書いた「キャベティーナ」がこの戯曲賞の一次選考を通った。

今回応募した「じ・だん」は「キャベティーナ」より大分上手く書けた気がしていた。

また一次選考を通るんじゃないのか?もしかしたらその先もあるんじゃないのか。そんな期待をしてた。

いや、淡くだよ。淡く。どうせ無理に決まってると思ってたよ。

でももし、俺が賞を取って、コメフェスも優勝したら、その時は・・






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posted by ボス村松 at 14:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月18日

「小林達明ソロコントライブ」観劇

腕があっても野にくすぶっている人はいるんだね。

立体映画館の池崎さんに続いて、二人目、小劇場にいました。

小林達明さん。一人で70分。コントをやりきった。上手かった。面白かった。

自分で脚本を書いて演じて。よくそんなことできるな。練習も一人。

じっくりと見せる演技をしたり、キレ演技したり。

小林くんが所属する劇団で見る小林くんの演技は、小林くんのできることのほんの一部分だったと知った。

その劇団ダスティウォールズでは、いつも、小林くんは、コバヤシという役名で、同じキャラクターのバカを演じていた。

しかし、この一人コントライブの自在感はすごい。ラップも披露した。でも上手さが嫌味にならない。

ベースにとぼけた無表情を持っている人はそこが強み。

実は小林くんは、後藤のどかさんと縁の深い人物で、彼は彼女が出演した俺の芝居を何度か見に来てくれていて、しかし俺は彼にさほどの感興は与えられていなかった。

今、俺は若干の敗北感を持っている。もうちょっと彼のコントライブはつまんなくてもよかった。

しかし、ここまで書いておいて、正直小林くんはどうでもいいのだった。

面白かろうがつまんかろうが。もう、ほんとに。

刺身のつまみたいなものなのだった。

小林くんはのどかさんの縁の深い人ということで、のどかさんが受付ぐらいに座ってるかな、と思い見に行ったのだった。

彼女は音響担当らしくブースの中にいた。

ガラスごしに横顔がちらっと見えた。

彼女は俺に気づいて、えへへと笑って会釈した。

話はできなかった。

次は二人芝居を希望します。


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posted by ボス村松 at 18:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月21日

ひろたかくんを見てきた

我が鋼鉄村松常連の加藤ひろたかくんが、小劇場メジャー劇団、柿食う客の所属になってから半年ぐらいたつ。

彼がずっとあこがれていた劇団だったので、よかったねという話。

「うちに入れよ。うち今、ムラマツベスがいなくなって主役役者がいないんだよ」と鋼鉄村松がひろたか君に秋波を送っていたのは隠しておきたい秘密。

今回、ひろたか君が柿食う客の「フランダースの負け犬」という演目に出演するということで、花まる学習会王子小劇場に行ってきた。

しかし花まる学習会王子小劇場というのは面白い。ネーミングライツと小劇場を結びつける発想はなかったわ。

我が鋼鉄村松も神戸製鋼あたりに営業に行ってみようかしら。

柿食う客のお芝居自体、俺は見るのが初めて。

ほー、こういう芝居をする劇団だったんだーと知る。ケレン味たっぷりの大きな感情、大きな演技の芝居だった。ワンピースみたいだった。

ただ、この演目は作演出の中屋敷さんが19歳の時に書いた本の再演ということで、今はもっと違う芝居になっているのかもしれない。

柿食う客、という語感から、今日見たものよりは、もっと引いたところの視線の劇団を想像していた。

あこがれの劇団の中のひろたかくんは、知ったままのひろたかくんで、でも立ち上げメンバーに見えるぐらいに馴染んでいた。

ひろたかくんは、この劇団のあの演技を追いかけていたんだと、納得した。みんな目茶目茶器用でうまい。

ひろたかくんが俺の芝居に出ると、異質の上手い演技をする役者だった。

俺は上手い演技というのものの、見分け聞き分けができないので、うまい演技が並ぶと結構同じに見えてくる。しかし、一つの芝居に一人うまい演技の人がいる分にはそれはその人の色に見える。俺の芝居の役者ひろたかくんは一人だけ上手かった。俺が小劇場メジャーの作演さんなら、俺の芝居の方が柿食う客にいるより、ひろたかくんの上手さが映えると思うぜ、と言うところだが、今はただただ拍手を送りたい。

主役は同期入団の大村わたるさんに渡ったようだが、まだ一回目。ひろたかくんなら、きっと主役も取れるだろう。







posted by ボス村松 at 01:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月24日

「OBIRIN LABO project」鑑賞

浅倉さん(ロケットマンの少女役)に誘われて桜美林大学内のパフォーマンス公演を見に行った。

舞台上で起きる現象について人並み以上に興味のある私、ボス村松(当たり前だ)。パフォーマンスと言う、見慣れない切り口に、とても刺激を受けた。

7,8分の演目を、12のグループが持ち寄っての発表会。

二番目のソロアクト「153cmから見た世界」と四番目の群舞(?)「たゆたゆ」が大変よかった。

あと、浅倉さん出演の「1」のオチにも笑った。デュオの作品で、パフォーマンスの最後の最後、軽量低身長の浅倉さんはなかなかガタイのいい相棒のお腹に、腹巻みたいに巻きついている。相棒は舞台中央から舞台下手端に向かってズンズン歩く。暗転。と同時に、腹巻が落ちる。暗闇に落ちる直前の残照の中に、ドサっという音が残る。あと「今、浅倉さんは受身をとらなかったよな?」の思いも残る。

「153cmから見た世界」、153cmというのが、もういけない。のどかさんは確か153cmだったなあと泣けてくる。基本、この公演はジャズダンスが基調のパフォーマンス。音はおおむね背景に流しっぱなし。この153cmから見た世界は、随所にブレークが入り静寂の間がある。その静寂で、彼女は腕を真っ直ぐ水平に伸ばし、手の平をひたすらニギニギするのだ。それがモチーフとして繰り返される。何を象徴するかはわからないけど、何かではあるのだろう。全体的に悩んでる風なムーブが多かったので、このニギニギは「掴みたいけど、掴めない」なのかな? 

ほほー、パフォーマンスというのはなかなか楽しいものだなと思って、グッと気持ちが上がった。二番目以降の演目に期待して見ることができた。全部見た後、思い返して、コレと四番目の「たゆたゆ」がトップ2だった。

「たゆたゆ」は、ダンスというよりもパフォーマンス色が強い。10人弱の演者さんがとにかく舞台を駆け回って、集散離合を繰り返す。群れが何対何で別れるか。その時の体の向きはどっちを向いているか。アフタートークでされた論評で、小さな魚の群れがあっちいったりこっちいったりする姿に似てたというのがあった。言いえて妙。群集の没個性といった感じ。途中転調があって、あえてな感じのボーカル曲で熱心なふりしてみんなが踊る景色になる。あくまで熱心なフリして。通して知的な印象。意味ありげがちょうどよい感じでシャレオツだった。

12演目終わって、アフタートークの時間が設けられ、そこで作品のことがOBの方により語られた。

あれはどーゆー意味だったんだろーねー、みたいな感じで。

そこで、彼女の足は高く上がっていたとか、スピンがどうこうとか、ダンス技術の巧拙を問う話はなかった。

それにもまた、そーゆー文化なんだーと、感心した。

posted by ボス村松 at 17:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月02日

立体映画館「すばらしき哉、人生」観劇

デキル人2人が、自在に舞台を飛んだり跳ねたりして、芝居っていいなと30分間惚れ惚れした。

立体映画館の名の通り、やってることは、古きよき映画をはしょってふくらましてLIVE仕様に仕立て直して、公演とする。

今回の演目は「素晴らしき哉、人生」1946年のアメリカ映画。

落ちこぼれ天使が、自殺する男を救うお話。

ひょっとして、この手の話の雛形なのかな。

脚色主演の、池崎さんの軸足はギター弾きの歌歌い。客席を飲み込んで、自殺志願者を演じてた。ギター1本でライブハウスやらイベントやらにいっぱい出てるんだろうな。実戦にさらされた洗練。お肌とかツルツルでまだ20代にみえて、風格は歴戦のつわもの。

おちこぼれ天使を演じた山田佳奈さんは、透明な存在感で声がいい。それは知ってた。何本か彼女の出演作は見ていたし。でも、こんなに綺麗に動ける人とは知らなかった。無敵じゃーん。

お金のとれる芝居、まさしくそんな感じで、どっかの偉い人、早く見出してやってやれよ。
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2015年12月02日

アフリカ座「げき★えん2」観劇

俺の知り合いの中で、唯一の10代であるところの、じゅりぽん出演の芝居を観て来た。

アフリカ座の「げき★えん2」。

シアターグリーンのビッグツリーシアターで、わんさか人を使って、イケメンキャラ携帯アプリと連動して・・、ということでイケメン度高め味わい低めの芝居を想像していたら、意表をつかれた。

イケメン・美女は主役の二人だけで、あとは全部、味わい顔の小劇場役者によって演じられていた。

主役の二人も含めて出演者のお芝居の技量は高く、2時間お話を追った。

作・演出がなー。

たぶんこの人はすごい腕がある人だー。恐れ入った。

学園モノで、弱小部活動が正式な部に昇格するためには部員をもう一人増やさなければならない。そこに一人現れた転校生の美少女。

大変、二次元的なモチーフである。

しかし、見ている間、人間が二次元キャラを演じている違和感を感じなかった。

キャラキャラはしてるんだけど、役者さんによって演じてられている何かに、ちゃんと見えた。

役者さんの技量の高さもある。

ただ、トーンとなる感じの良さは、明らかに作・演出の感性に染められたものと思われた。

不幸自慢部(弱小部活動)の中から、誰か一人、美少女のお供につけなければいけないということで、部長は部唯一のイケメンを美少女につけるのだが、なぜ自身を選ばなかったか、その理由がよい。

「俺はやましい」

やましい、という言葉選択が奥ゆかしくてよい。響きがある。

あと部長が人からツッコまれるのではなく、自ら、美少女に対してやましいから辞退するという、ダンディズムがまた、奥ゆかしい。

不幸自慢部の部長と共に、芝居を引っ張る、演劇部の女帝と演劇部の部長もアッチの方向に突き抜けず、コッチに踏みとどまり奥ゆかしい。

「なんですって!まい泉のカツサンドを食べてしまったですって?!おいしかったの?あら、そう、じゃあいいわ」(女帝)とか

「ミュージカルは嫌だ」(演劇部部長)とか。

ギャグが、ビローン=ボヨーン的なものではなく、機知につながるものが多い。

ヒロインの転校生美少女は、自身が主宰する放課後美少女ミステリークラブを立ち上げるべく、不幸自慢部に共闘をもちかける。

そこで学園にミステリーを求めた不幸自慢部の面々は、校舎裏で、恐ろしい亡者の声を聞く。

あれは、侍か何かの亡霊だと思うんですよ・・

「校舎の裏側に行くと、どこか遠くから、拙者親方と申すは・・って聞こえてきて、いないですよね今時そんな拙者なんていう人・・(中略)・・最後は必ずういろうはいらっしゃりませぬか、で終わるんですよ。こわー」

これで、演劇部と不幸自慢部と美少女ミステリークラブがつながる。

音響効果として楽曲を結構流しっぱなしの芝居で、滑稽なシーンには滑稽なメロディをバックに流す。

俺の中ではダメ芝居のフラグの一つ。

話のネタだけでは埋まらないからおまえ音に頼るんだよな。でも、それには場を持たせる一定の効果があるにせよ、観客を笑いから遠ざけるぜ?

しかし、今回の芝居に限り、それがあまり邪魔に感じなかった。技だー。

とても勉強になった。

散々褒め上げておいて、しかし、チケット4500円は高い。

しかし、勉強料を含めると高くは無い。

結論はいつも同じ。エンターテイメントとして、芝居は基本、高すぎる。




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2015年10月12日

コヤマリズム

こやまり出演の実弾生活15を見てきた。

作演出、役者センターのインコさん(作・演出はリタ・ジェイ名義)の自在感と台詞覚え力に感銘をうける。

と、同時に、こやまりは、よい役者なんだあと再認識する。

普段喋りがおもしろいところが、そのまま、舞台上の呼吸になって現われている。コヤマリズムだ。

これができそうで、なかなかできないところ。

あと、ご存知のとおり、カワイイ。

この人に、「ボスー」と言われ、「おう」なんて答えている俺もなかなか捨てたものではない。

本当なら、今週は星野くんの芝居を見に行く週だったのだが、このコント公演にチラシの折り込みに行った際に、こやまりが楽屋から出てきてくれて「ボスー」と声をかけられた。

そりゃ、「見に来るよチケット一枚取り置いてもらえるかな」と言うしかない。

というわけで、星野くん、ごめんね。








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2015年08月16日

兎亭プロデュース「へだつや」観劇

近い、安い、斉藤さんが友達、ということで、兎亭で催される斉藤さん関連のお芝居にはよくお邪魔する。

新撰組の沖田が、病床の悪夢に翻弄される様子を、案外POPに描いた3人芝居。

脚本もしっかりしていて、役者も達者。斉藤さんの美青年ぶりは、ガラスの仮面の、青木麗を髣髴とさせた。いい表情を随所に見せていただいた。

ものすごくちゃんとした芝居だった。

ただちゃんとしてるというのは、停滞と似たところもある。

3人芝居はむずかしい。

どうしたってお話の展開に制約がかかる。

2人芝居はもっとむずかしいんだろう。

1人芝居は言わずもがな。

とても健闘した3人芝居だと思った。




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2015年07月28日

シアターノーチラス「水槽」観劇

まめ芝でご一緒した美人看護婦の知人に誘われて、新宿眼科画廊へ。

ギャラリーでの静かな会話劇。

かなり苦手な形式だ。

ギャラリー公演は客席も明るく役者さんとの距離も近い。

小劇場においてお客さんは一緒に芝居を作る共犯者みたいな側面があるが、ギャラリー公演はさらにその度数が上がる。

私は良いお客さんではない。すぐうつむくし。明るいのも近いのも困る。

あと、静かな会話劇が苦手なのは、人の噂と口論と昔話ばっかりしながら、ちょっと弱い理由で舞台を出たり入ったりばっかりしている印象があるから。

結果的に公演を振り返ると、このシアターノーチラスさんの公演は、それのどれにも当てはまっていた。

でも、新宿眼科画廊に入って、役者さんが最初の2、3言の台詞を交わすのを聞いたとき、私は「あ、この芝居多分おもしろいわ」と思った。

役者さんの発する声が静かにキレイなリズムを取っていて、その世界に魅了されるというのとは違うのだけれども、少し離れた遠い場所から役者さんたちのセッションを鑑賞した。

昔暴君・今車椅子であった父が亡くなっての1年後、父が亡くなった海沿いのレストランに今年も行く。その朝の妻と子らの情景一幕一場。子にはそれぞれの伴侶がいて、それぞれの上手くいかなさを抱えている。お話の軸としては、父が亡くなったのは事故とされているのだけれど、本当はこの中の誰かが手を下したのではないか、というミステリー。

でもこのミステリー仕立て、犯人は誰か?というのは、俺にはこの演技演出脚本の言葉遣いからは、大味で野暮ったいものに思われた。

そこだけ安い、みたいな。

ところが、それが最終盤、犯人の私がやりましたの告白のところで、犯人であるところの長女の夫が、押さえた演技の中でボロボロと涙を流したのには度肝を抜かれた。

劇的な演技の中で搾るように泣く役者は時々見るけど、こんなに静かに泣く役者さんは初めて見た。

とめどなく涙が頬から顎を通って、ボタボタ膝に落ちる。

大迫力だった。

彼の「わからない」という言葉はとても美しく説得力があった。

こんな芝居もあるんだなー。

おもしろかった。
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2015年04月17日

劇団だるめしあん「あの子の飴玉」観劇

今日はバイトで朝の荷物の配送で、運転手さんが寝坊したということで、20分遅れて品出しをスタート。これは時間内で終わらないだろう、しかし終わらせてみようとチャレンジしたがかなわず。10分ほど足が出た。

おつかれさん、ということで、ここ2日間禁酒していたのだが、ビールを買って帰って飲んだ。

銀河高原ビール。

うんめー。

なんか、普通だなと思っていたのは毎日飲んでいたからなんだな。

特別なものは特別な場所に置いておくのが肝要なんだなと教訓を得た。

3時間ほど寝て、バブルムラマツと鋼鉄村松の常連になりつつある加藤ひろたかと星野くんが出演し、サラリーマン村松が入団し所属となっている劇団だるめしあんの芝居を見た。

おもしろかった。

男女の性に対して、とてもイデオロギー色の強い芝居で、俺には腑に落ちる内容だった。

その主張のために選択された言葉も機知に富んでいて、自身の知性を演劇に還元できていて見ていて頼もしかった。

バブルもひろたか君も星野くんも、過不足ない演技をしていた。

脚本の上がりが遅かったという話も聞いていたので、よく戦っていた。

でも重用されていた感じではなかったな。

そんな話をお嫁さんにすると、知り合いの中でひろたか君を一番モノになりそうな演劇人と位置づけているお嫁さんは、見る目がないね!と憤慨した。

話がイケテル感じの男を真ん中に持ってくる話じゃなかったからね。


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2015年03月31日

ミセスフィクションズ「再生ミセスフィクションズ」観劇

再生ミセスフィクションズ。

再演を再生というおもしろい言い方で、やってみたというもの。

短編を、4本立ての90分。

チケットが全ステージ完売ということで、当日券で並ぶことにした。

入れるかなと思いながら、豚カツ屋でごはんをたべて、劇場に。

入れた。

シアターミラクルがパンパンもパンパン。立錐の余地もない。

といっても、シアターミラクル(キャパ80ぐらい)だからね?というのは間違った見方だ。

パンパンの喜びはドームだろうが、ミラクルだろうが、さほど違わないのでは?

きゃりーぱみゅぱみゅだって、自前でチラシ撒いて、ツイッターでつぶやいて、なんて感じで公演を自分だけでやったら、ミラクルをパンパンにできるかどうか。

できますか。そうですか。

でも、俺はきゃりーぱみゅぱみゅがミラクルでやったって見に行かないけど、ミセスフィクションズは行かなきゃかなと思う。

ちなみに私の次の公演「ボス村松の兄弟船エピソード1・2・3」もシアターミラクルで行うのだった。完売って何?


   ***

自分の狭い見識の中では、ミセスフィクションズが小劇場界隈で一番尊敬されている感じがする。

作劇の実力がほぼ1番(狭い見識の中で)にして、偉ぶらない。商売っ気がない。なんだその嫌味のなさは。

ひょっとすると、メンバーの中に油田を当てた人がいるのかもしれない。

現世的欲求は全て満たしているのかもしれない。

それならば分かる。

   ***

ここまで、礼賛をしておいて、実は俺にとってミセスフィクションズのお芝居は、少し息苦しい。

丁寧な筆致に、へーとか、ほーとか、なりつつ、見ていて、いいよ、もうちょっとチャッチャッとやってくんな、と意地悪な気持ちになることもある。

今回の再生ミセスフィクションズの2番目の演目「お父さんは若年性健忘症」

珠玉。

繊細で丁寧な筆致に、こんなキレイな形の芝居ってあるんだな、と惚れ惚れしてしまった。おもしろおかしい台詞に笑った。へー、とか、ほーではなく。

DVDで同劇団のヤンキーゴーホームを見たときと、同じ感興。

ミセスフィクションズはこれをやりやがる。

特に娘役の女優さんの演技に引き込まれ、ずっとスタンディングオベーションをしながら、芝居を見ていた。

それには、もうちょっと集中して芝居を見なさいという異論もあることだろうが、ずっと心の中で拍手してた。

女優なんてものは、笑いを取るのが苦手な、使い勝手の悪い役者の一形態みたいに思っているところが俺にはあるが、同時に、この世界を輝かせる根源的理由として、憧れる気持ちも持っている。女優さんが輝いている芝居はそれだけで、そこにあっていい。

彼女は風呂上りのパジャマを着ていて、ちょっとフテた感じ。カワイイを演じていないのがカワイク舞台に立っていた。

大変私の性癖に合致している。

紅天女を見た、大都芸能の創業社長の速水エースケ(だっけ)の気持ちに近いものだと思う。

マンガの話で恐縮ではあるが。




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posted by ボス村松 at 16:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月12日

兎ROCK「邂逅」観劇

いやあ、よかった。これぞ、演劇を見た、という15分だった。
大きな身振り手振りとくるくるとよく動く表情。
一般の人が、お芝居、演技、というと思い浮かべる、昔、学校の行事で見せられたスクールシアターのお芝居。
ヘタをすると野暮ったい。

一方で、よくできた自然さを持った演劇表現がある。実際にあるような体から発せられる実際にあるような声。
よくできた会話劇を見ると、興趣を感じるけどお腹がいっぱいにならないのは何ぞやと思っていたら、これだったのか。
俺は王道の、演技演技した演技の上等なものを見たかったのか。

兎ROCK「邂逅」は15分の短編。
星の王子様の1場面を切り取って、膨らませたものだ。

実際に人はそう動かないだろうという演劇文脈の体から、練習を経て作られた演劇文脈の発声が舞台上にはあった。
そこに役者の色気(一般に、気持ちと言われたりもする)が乗ってないと、ただの音声と振り付けに見えてしまうんだけど、見事に演者の二人は、「ガス灯をつける青年」と「星の王子様」を表現していた。
自分の持っている演劇の技を駆使して色気たっぷりに。

ライブのものは、演じる人と見る人の相互作用の色が、映画などの記録媒体のものよりも強いような気がするので、たまたま昨日の俺の体が、そういうものを欲していて、たまたまそれを得たという可能性はある。
たしかに、喉が渇いていたところに、水が染みるさわやかさの類の、感興だった。


今日1月12(日)15:30〜 もう一回やるので、みんな見に行くといいよ。1500円だし。江古田ONE'Sスタジオにて

俺ももう一回見に行こうかなと思ったんだけど、次客演する、アガリスクエンターテイメントの劇王の東京予選決勝が同じ時間にやってるのでそっちに行く。

あと、もう体が乾いていないので、あれ、昨日の方がよかったなと思うのも、もったいないので、昨日の邂逅を、いやーいいもの見た!と今後の糧にしておきたいというのもある。
posted by ボス村松 at 10:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月20日

肋骨蜜柑同好会「いきたしと思えども」観劇とか

肋骨蜜柑同好会の芝居を見てから、打ち合わせに行った。

打ち合わせは19時集合だと思ってたら、21時だった。

仕方がないのでマンガ喫茶に入った。

テルマエロマエの4巻から先を読んでいないので、それに手が伸びそうになったが、せっかくだから新しいものを読もうと決めていたので、斜め下にあった、僕は友達がすくないを読んだ。基本ボケとツッコミで話が進んでいくんだな。ライトノベルの技法ってそうなんだろうな。涼宮ハルヒもそうだったし、実弾生活の主宰さんの書いてた陰陽師のもそうだった。三つの作品に触れてみっつともそうなんだから、きっと、とあるナントカのインデックスとか、俺の妹がこんなにかわいいわけがない、もそうなんじゃないだろうか。なんか、近しさを感じた。すこし恥ずかしさを感じた。

打ち合わせのあとは、打ち合わせを踏まえての、劇団内での作戦会議の飲みをした。

それとは関係なく、後半はボス村松の兄弟船エピソード1・2・3の話に、ついで、演劇論になった。

おおむね俺のいうことが間違っていることがよくわかった。バブルの自信満々が憎らしい。彼は自分のやりたいことを確立していてそこにはもう迷いがないと、前に言っていた。実際に書けるかどうかが問題なのであって。迷いがないのは議論において強い。あと、バブル理屈っぽくて、そういう理論の構築がけっこう好きだ。

しかし、まちがえられるのも才能のうちだとなぐさめた。なにはともあれ、まちがえるだけのアイデアをもっていたということだ。

アイデアを持ってない人間はまちがえることすらできない。もっといえば、おれはまちがえたい。まちがえて、そのまちがえっぷりが、すげえとなりたい。どぶねずみみたいにうつくしくなりたいと歌う人もおった。おもしろいなんて、全然おもしろくねーんだよ。いやMr.FictionsのヤンキーゴーホームのDVDはおもしろくて、おもしろいんだが。どぶねずみみたいにうつくしくなりたいと歌った人は今でもカッコよくて、すげえんだけど、曲は聴かない。奥田民生もかっこいい。すげーんだけど、曲はきかない。ピンとくる曲を何曲か聞かせてもらった後、ずっとピンと来ない曲をうたってる。俺は面白い芝居を作りたい。お客さんに笑顔で返ってもらえたらすごいうれしい。でもお客さんなんて俺は怖くないぜ。俺のいうことはおおむねまちがっている。

肋骨蜜柑同好会の芝居は、だから私は演劇をする、というメタ演劇だった。

手を変え品を変え、演劇に意味無いよ。でも演劇をせざるをえん、といい続けていた。

これにも近しさを感じた。

演劇をやっているんだから、演劇に一番関心があって、だから演劇に関する思いから一番深い音がでてくる。

一番深い音を響かせたい。

わかる。

でもそれはまた、かっこ悪くもある。

初心者の自家中毒か、末期患者の繰言の匂いがする。

真ん中を歩くものは、演劇を演劇に捧げず、この世界の具体的なもの、あるいは抽象を表わすのに捧げる。

演劇なんて、世界の中ではとてもちっぽけな領域の話にすぎない。


肋骨蜜柑同好会のフジタ君はアフターイベントとして三題話に挑戦して、事故った事故ったと頭をかかえた。

帰りに自転車に乗りながら、難しいものだな、俺ならどうするかなとブツブツとやってみた。

お題は、ポリタンク、酢飯、粘土だった。

フジタ君のはエッセイ風で長かった。短く嘘の話として強引にくっつけていくのがよいのではないかというのが俺の作戦だった。

「ポリタンクの中に酢飯を入れましてね・・これが実においしい・・というわけではないのですが、酢飯がポリタンクの灯油くささをけして、いや消しきれないのだけれど、酢はあった方がいい。まだ灯油を食べやすい。灯油は体にいい。力が出る。灯油ですからね。燃えます。その活力をもって、・・太郎くんは、・・旅にでました。・・鬼が島に鬼退治です。太郎くんは、桃太郎だったのです。なんか犬とか仲間にして鬼を退治しました。しかし、その鬼は粘土細工だったのです。なぜだ、なぜ、僕は粘土と戦わなければならなかったんだ・・、! ・・それがボブのおぼ、すめし、だったのです」

ここで言うボブは本編の劇中で神サマみたいな精霊みたいな存在としてかたられていたのだけれども、それは実は観客だったのだと明かされる存在。

おぼ、すめし、(おぼしめし)が我ながらよく思いついたと感心してここに書いた。

しかし、全体的には面白くもなんともない。

難しいものだ。桂三枝が得意なんだそうだ。


posted by ボス村松 at 04:46| Comment(1) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月30日

トリコロールケーキ「クマグマ」観劇

寒気がして風邪をひいたと思ったが、悪くならずよくなりつつある。

そういえば、ここ2,3年風邪で休むことをしてないな。鋼鉄城が落城してお嫁さんと清潔なアパートに住んでいることによると思われる。

冬場に私を悩ましていた咳も出なくなった。

今日は横浜に行って、トリコロールケーキのお芝居「クマグマ」を見てきた。

とりちゃんがクマになったとき、お父さんがクマになったときのガオーの佇まいがこの劇団の真骨頂だなと思った。

前回下北沢で見た時は、シモネタ、有名人実名ネタを封じていたのだが、今回はその反動かシモネタ、有名人実名ネタが芝居の半分だった。

私はシモネタと有名人実名ネタは封じなくていいと思う。

のどかさんが演じる、大竹いまるが仕切る、踊るいまる御殿がラストバトルの場だった。

いまる御殿を仕切る、のどかさんの、さんまのマネがよく似てた。

ただ、ヒャーッハッハッの引き笑いがなかったのは惜しかった。

どんな芝居やねん。

クマグマは離婚するお父さんとお母さんと私。の話。

お父さんはクマに幼いころ育てられた。新鮮な鮭を見るとガオーとなる。

孤独な私にだけ見える、大竹いまるがお父さんとお母さんの仲直りに一肌脱ぐ。

そんなお話でした。


実家からカニが送られてきた。今からお嫁さんと食べる。
posted by ボス村松 at 21:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月02日

トリコロールケーキ「魂などの叫び/百歳の予感」観劇

通称トリコロ、正式名称、トリコロールケーキ。

彼女らは、森の発表会みたいなお芝居を目指している。

私が見た、直近の4,5作はその「森の発表会みたいな」というイデオロギーが全編を支配して、頭で感心する芝居だった。

確かに森の発表会のようである、と。こんな森の発表会みたいな芝居はなかなかないぞ、と。

して、森の発表会とは何ぞや。私は勝手に、脱・演技と解釈している。ちゃんと演技するって胡散臭いよね。俺もそう思う。演技ってどこまで行っても嘘じゃん?それを本当みたいにお客さんに思わせたいって恥ずかしくない? 熱演に、照れる。平常時の人の感性・テンションを保持しつつ、しかし、演劇する。それが、森の発表会。

事実、トリコロの舞台上では、かわいい女の子たちが、センスのいいナンセンス(こう書くと言葉の中に自己矛盾があるのだけれど)なセリフをウマヘタヘタな演技にのせて、順次、発声されていく。その言葉は共鳴し、絡まりあうことを拒む。それは、アコースティックに似せた打ち込みの電子音のようである。そこに、作演出を共同で担当する、鳥原さんと今田くん(共に大学の後輩)の作為と悪意とオリジナリティーを感じていた。

このトリコロールケーキの旗揚げ公演を私は見た。

旗揚げの時の、トリコロールケーキは、全然、森の発表会じゃなかった。

おもしろい芝居を作りたい、でも、作り方がとんとわからない。でもやりたいから、やってやる!! コントロールされていない言葉にコントロールされていない演技が飛び交い、その中に一人だけ、主宰の鳥原さんの覚めたウマウマヘタの演技が、場を仕切っていた。私の胸は、演劇への情熱に揺さぶられ、鳥原さんの演技に恋をした。劇場を後にする自転車を漕ぐペダルに力がこもったことを今も覚えている。ただ、おかしなことに、同じ日に同じ芝居を見たはずのイトヤンの評価は高くなかった。私は、穿った観劇者である。ただ、演劇に見たいものを見たときにしか面白いと感じない可能性はある。私は、ちょっとだけ破綻したちゃんとしたモノがあったとして、破綻とちゃんとと、どっちに目がいくかと言うと破綻に目がいくたちで、むしろ八方破れの破綻の中の均衡に、感興を得るタチである。旗揚げのトリコロには、八方破れの破綻の中の均衡があったように思う。

率直に言うと、「私が」、トリコロを見て笑える笑えないで言えば、初期の2作は笑えて、以降の作は笑えず。しかし、劇団は回を重ねるごとに、作家性が見える作品となっていく。動員も増えていく。評価も高い。しかし私の目にはネガティブな要素もあって、作品からは熱が消え、上質の猛獣使いであった鳥原さんはいなくなった。イデオロギーは登場人物を全て鳥原さんにした。森の発表会。

今回の公演の演目は、二本立て。「魂などの叫び」/「百歳の予感」

魂などの叫び、の「など」に、作演の2人の照れがちな姿勢が垣間見える。

百歳の予感、このタイトルは素晴らしい。作演の2人のセンスの良さ(もし、私に人のセンスを見分けるセンスがあるとするなら、だが)がハッキリと刻印されている。

この二本を見て、私が見た最近の4,5作とすこし色が変わったような気がした。

イデオロギー色が薄れ、すこし、普通の芝居に近づいた。

打ち込み色が消えた。

でも森の発表会だった。

劇団は(公演があればだいたい観にいく私にとって)ありがたい方向に進み始めた、のだと思う。




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2014年07月13日

宗教劇団ピャー「夏といえば!に捧げる演劇儀式〜愛と絶望の夢幻煉獄〜」観劇

よかった。

面白いどうこうよりも、まず、肌に合う、という感じ。

今回は、女優ばっかりの芝居だったのだけれど、役者さんの立ち姿が、ポンと、そこに立ってる感じがしていい。

見る人によっては、ウマヘタとか言いそうなんだけど、演技が上手いとか、キモイよな。意味無いよな。パンクロックってさ、そういうことなんじゃないの?

どんなお話かというと、話の筋は、特に重要ではないと思われる。

ベートーベンの第九のまるまるに、演技を乗っけて一本の芝居を作りました、というコンセプトのこのお芝居、

言葉が、演技が、この第九に、うまいこと乗っかってるか、というのが重要と見た。

うまく乗っかってました。言葉も、演技も。

第一楽章の、照明が一定リズムで明滅して、いろんな絵が現れるシーンが一番おもしろかった。

あと、第四楽章の歓喜の歌は、やっぱりいい歌だな、と。

舞台美術も大変すばらしい。

美大が出自の劇団は、やっぱりこういうところが一味違う。

役者から放たれる言葉の意味はあんまり吟味して聞かなかった。

音楽の歌詞みたいに、時々、気の利いたフレーズがあるとオヤ、とか、オオ、とか思ってた。

基本、第九に乗った寂しいとか、うんことか、おしっことかのセリフを聞きながら、考え事したり、パンフ読んだり、すごい自由に時間を過ごした。

大変、有意義な時間をすごした。

うん。

よかった。次も見に行く。
posted by ボス村松 at 16:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする