プリズンブレイクイメージ.jpg 新作情報
 「ボス村松のプリズンブレイク」
 2020.7.24(fri)-25(sat)
 @新宿シアター・ミラクル
 2500yen
  

2020年02月23日

シンクロ少女「ベター・コール・ショウジョ」観劇

おもしろかった。確かな力だ。地力がすごい。これが三役の力か。組んだ瞬間に分かるという奴だ。

ラストシーンが、映画やドラマでいうと、エンドロール後の付け足しみたいな位置にあって、それがどんでん返しになっている。

それが、もう、鮮やかで、してやられてしまった。

父がいて、姉妹がいる。母は他界している。そんな家族の話。

姉は結婚していて尻に敷いている旦那さんがいる。

妹は駆け出しの女優で、魅力的な恋人がいて、視界良好。ただ母の死に彼女は関わっていて、彼女の悪戯にびっくりして、母は心臓発作で死んだ。

この母の非業の死は、主に妹の罪の意識、悲しみとして語られるが、その実、姉にとっても父にとっても「妹が母を殺した」世界線の上で生きていくことは、そんなに簡単なことではない。

この母の死に、どう触れるか、はたまた触れないでいるかによって生まれる立ち振る舞いが、テーマや笑いを生む。皆、一様にチャーミングでぎこちない。テーマは「信頼」とチラシには謳われている。

芝居に限らず、テーマがある創作には、そのテーマの解決に向かうことを物語の推進力にしている創作と、テーマの周りの悲喜こもごもだけを描いて作家の視線が裏に隠れる創作があるように思う。

この芝居は前者であるように思われ、それは、物語に強い骨格を与える一方で、オシャレ度を少し下げる。

この芝居は前者のタイプであるように思って、俺は観劇していた。

前者、後者に優劣はない。

ただ、ラストのドンデン返しで、俺はひっくり返った。

作家さんの技が、批評家気取りの俺の目線の一個上を行って、俺は投げ飛ばされた。

俺が脚本を書いたり、芝居を作ったりする人間でなかったなら、諸手をあげて拍手したことだろう。

俺は脚本を書いたり、芝居を作ったりする人間なので、チクショーやられたあ、と拍手と共に悔しい思いをした。

満員の客席に嫉妬していたのもあると思う。

でも、本当にこれぐらい面白い芝居を作っていただけると、小劇場はおもしろいということになって、大変よいことだと思う。

シンクロ少女さんには、ありがとうございました。








posted by ボス村松 at 08:07| Comment(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月21日

お嫁さんを風姿花伝に派遣

からまわりえっちゃん@風姿花伝の金曜昼公演を見て、感嘆。

その夜公演に、若かりし頃、新感線もピスタチオも観劇していたお嫁さんを、派遣する。

チケット代は俺が持つからと言って。

俺が見たこの演劇体験は、新感線だったのか?ピスタチオだったのか?それとも、この劇団のオリジナルなのか?

お嫁さんと、そんな話をしてみたくなったのだった。

果たして、お嫁さんの答えは、新感線とピスタチオだったとのこと。

音の使い方は新感線、パワーマイムはピスタチオ。

でもその手法を使って、過剰に畳みかけてくる勢いにオリジナリティがあったらしい。

とにかく、出てくる役者出てくる役者、みんな上手かった。スペクタクルだったね。すばらしい。等々の賛辞がお嫁さんの口から続いた。

俺もそう思ってた。同意見だ。

役者が一秒あたりに使う演技要素が、俺が普段見る芝居の3倍ぐらいあったように思う。

中パンチ一発のところを、小キック→ステップバック→中パンチ、みたいな感じでコンボになっている。情報量が多い。

その一連の技が役者のナルシズムに沿っていて、テクニックだけじゃない、なめらかな色気を生んでいた。

芝居の作りとして場面転換が多すぎともお嫁さんは言ったが、俺はそここそが加点ポイントだった。

ミュージックビデオみたいで、テクニカルで、そこがカッコいい。

話がハッキリと捉えられなくなる分、抽象度が上がって、頭よく見える。

なんにせよ、喜んで見てもらえてよかった。

俺が芝居見に行ってみない?とメールしたとき、お嫁さんは残業中。

夜公演には行けないタイミングだったのだけれど、「旦那が芝居見て来いと言うものだから、ここで切り上げていい?」と同僚に願うと、同僚は「私も行く」と言って、二人で劇場に向かったのだった。

俺一人の観劇で都合二人、新たに劇場に足を運ばせたことになる。

面白い芝居を作るとそういうことも起こりうるということで、噂が噂を呼んで客席満杯というのも、空論ではないことがわかった。

作れるものなら、面白い芝居を作った方がよいようだ。


posted by ボス村松 at 09:28| Comment(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月20日

劇想からまわりえっちゃん「たまには卒アル読み返せ。ついでに見つけたコーラ味の消しゴムが仄かにまださ、臭いじゃん。そんな感じ!」観劇

いやー、すごかった。かっこよかった。

劇想からまわりえっちゃんの芝居を観て来た。

ロープレゲームに飛び込んだ少年の、自分探しの話。

100回見て、100回つまらなかった題材が、こんなにカッコよくなるなんて。

一点の隙しかない(声を張りまくりまくりの芝居だから主軸の役者の声が枯れてきている)卓越した技量を持った役者が、修練を重ねた動きで俺を圧倒した。形式の美しさに、役者のナルシズムがこもっている。それが俺にも伝わって俺もうっとり。バンドのギターがカッコいい!みたいな色気。林檎ちゃんイカスみたいな特別感(最大の賛辞)

筋として、秩序立てて繋がっていない断片みたいな台詞を、歯切れのよいシーンチェンジが芝居のスピードを加速させる。音響、照明が演技と一体となって、さながらよく出来たミュージックビデオのようだ。

そうなんだ。俺もミュージックビデオみたいな芝居を作りたいなと思って、でも雑で、果たせず、その先に行くにはどうやっていいか分からず、今は違う感じのことを志向している。

ここまでやんないとダメなんだ。

ここまでやると出来るんだ。

そんなことを思いながら、目の前の演劇に感嘆しつづけた。

大阪出自の劇団ということで、これは新感線の先にあるものなのかな。

俺、本物新感線て見たことなくて、本当はこれぐらいカッコよかったのかな?

俺が100回見た新感線のフォロワー芝居と認識していたのは、とても拙い劣化版だったのかしら。

殺陣を見て、すげーと口あんぐり。

新感線の芝居を今度、見てみよう。

チケ代たけーな。

見て、やっぱりこのアレは、からまわりえっちゃんの特別なオリジナリティだと思いたいものだ。

そうでなけりゃ、ここまで感嘆した俺が浮かばれない。






posted by ボス村松 at 17:50| Comment(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月01日

臨死体験

僕は、いつか死ぬ。その証拠に僕が子供のころ、おじさんだった人たちが、ここ数年にまあ、亡くなるわ亡くなる。津川雅彦とか。

同世代の人間だって、よくガンになる。

宮迫です。

でも、それは人の話だ。僕は彼とは違うし、僕のこの一瞬一回きりの時間が、彼の一瞬一回きりであろう彼の時間と同じにすることに意味はない。

そんなのはもったいない。

僕は誰ともちがう。

みんな死ぬからと言って、僕が死ぬとはかぎらない。

僕は誰も歩いてない道を、ただ一人きりで歩く孤高の存在だ。

そんな孤高を謳いながら、歩いて来たマイウェイ。

ところが最近、ご多分に漏れず、自分の体に痛い痒いを感じる時も出てきた。

まだギリ40代だけど、もうすぐ50だからな。

この僕の体もいつか、ではなく、そろそろ、朽ちて果ていく時分かと、背筋がひやりとする。

彼の死に私の死を思う。

おい、ただ一人あるくマイウェイはどこ行ったんだ。



数日前、舞台芸術創造機関SAIの地下アトリエ公演にして、ロングラン公演を観劇した。

受付を済ませて、階段を下り地下三階のアトリエに入る。

わー、これいい。

暗がりの中に、白塗りの男二人。

その二人の役者を囲んで、壁にはダンボール箱が立ち、床にはくしゃくしゃの新聞紙が床に敷き詰められている。

それが地下空間の舞台美術。

照明を抑えた暗がりの中で、ダンボールと新聞紙は、安っちいものではなく、陰影のついた立派なアアトとなっていた。

白塗りの二人が、ふいに声を出す。

それはおどろおどろしく、お化け屋敷系のアトラクションのようだ。

芝居が始まる。

演出の力を感じる。瞬間の絵がカッコいい。

地下演劇の密室空間を要所要所で陰影豊かな叙情のオブジェとする。

30分ぐらい経った頃か。



・・俺、お腹、痛い。



昨日からあった出そうで出なかった便意がカタストロフィの序曲を奏で始めた。

そしてさらに30分経過。芝居が序盤の人物紹介を終え、思いを交差させる最も役者冥利の中盤戦たけなわのころ、

俺は体のあちこちから、脂汗をながしていた。

やばいやばいきたきたきた、わあああああああああああああああああ、・・・・ふぅぅぅ。

やばいやばいきたきたきた、わあああああああああああああああああ、・・・・ふぅぅぅ。を繰り返す。

脳裏に食道がんで亡くなった僕のパパの姿が浮かぶ。

外国航路の船乗りで、タフガイで慣らしたパパ。死に臨む末期のベッドで、一度だけ苦しみに、僕に助けてくれと言った。

この僕のウンコしたいは、ウンコをすれば治まるのだろう。

でも、そう遠くはないいつか、一過性ではなく、決定的に治まらない苦痛が、この痛がりの肉体にきっとやってくる。

いやだなあ。

今現在の便意に苦しみながら、人類普遍のメメントモリに戦慄する俺は、やはり詩人の質なのかもしれない。

目を上げると、舞台上は楽曲に合わせて動きをつける台詞なしパートだ。

ここなら行けるかもしれない。

次、台詞なしパートに入ったら、この席を立ちあがろう。

あの扉を開けて、トイレに行こう。

そう決心した。

しかしほどなく、芝居は伏線回収のクライマックスに突入していく。

台詞なしパートは、もうないと悟った。俺も演出する。それは分かる。

しかし、この怒涛の展開の先に終演があることも分かる。

バブルの芝居だと、そう思わせておいてからドンデン、ドンデンで、目論見よりも3倍続くのだけれども、この芝居はどうだ?



そんな思いの中、舞台上はヒロインが、不在のヒーローを思う独白を入れる。

ヒーローが裏切りに合い、陰影の新聞紙の中に倒れる。

画の作りに、やっぱり力がある。絞った照明は勝利だなあ。

死に臨みながら、俺の頭は思考する。

でも、ドンデンはいらない。一発でサッパリと決めてくれ。




芝居はサッパリと一発で決まって、暗転し、役者が礼をして、どうもありがとうございました、となった。

役者が退出し、制作が最後のアナウンスを終えると同時に俺は席を立ち、トイレに駆け込んだ。

便座にすわり、僕は死から逃れた。

造形の芸術に、椅子というモチーフは定番なのだが、便器を意匠したものはない。

便器こそが、至高。祝福された実用。周りに天使をおどらせてもいい。

ぶしゃー。栓をしていた固いウンコの後に続く、水のようなウンコ。

これブログに書こう。

そんなことを思いながら、5分ほどトイレにこもった。



もう台詞なしパートはないと知る絶望と、


posted by ボス村松 at 18:55| Comment(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月16日

動物電気「ブランデー!恋を語ろう」観劇

前からある劇団で、愉快な笑いを提供してくれるらしい。小林健一なる役者さんが看板役者らしい。

これくらいの前知識だけで劇場に行った。

冒頭、旅館が火事というカキワリの前で「まだ本編じゃないですよー」という雰囲気の演技が始まる。

水をかぶったり、裸になったり。

この人かな?小林健一は。

看板役者の立ち位置は、周りが好き勝手やる中、シュッと立つ、受けの看板の人が多い印象が、小林さんは自分が変な、攻めの看板だった。他、小林さんの横に立って、全方位に全く力の入っていない、ツッコミ、注釈を入れる人がいて、いや、この人は作演出の人がやる佇まいだが、それにしてもここまでは、ないぞ。

会場の雰囲気はもう、本編前のこの場面で仕上がる。おおいに笑い声があがる。暖機運転完了。

    ***

カキワリが撤去されると、家のリビングを表した本格的なセットが現れ、一段階腰の据わった、演技が丁々発止と繰り広げられる。

話の筋は、マイホームを購入した夫婦(夫:国語教師、妻:歌の先生)の下に、学校の生徒、歌の生徒、土地の神様が現れ、誰それが誰それを好きがあって、土地の神様がそれに手を貸すものだからてんやわんや。でも最後は、夫婦仲良く、やっていきましょうというというもの。

正直お話のすじは、劇団の卓越した演技の応酬をのっけるための器で、別に、この話の筋でなくてもよいと思われた。

宇宙旅行の話でも、地獄の血の池の中でも、エンジンの故障や、血液型をネタに、同じようなてんやわんやが繰り広げられるのではないか。

一回しか見たことのない劇団だけれども、そんな思いをした。

将棋で言うと、手筋が確立されている。歩が2枚溜まったら飛車先の歩を突き捨てて、次ぎ歩して、垂らしておくといったような。

戦術、戦略にはやりすたりはあっても、手筋は普遍という、言い方もある。

小林健一は切れ味するどくというよりも、重い鉈の破壊力。彼の演じるストーカー男は、最後神妙に官憲のお縄にかかるのだけれど、その前に「何か面白いことやってから、逮捕されなさい」と、(あ、やっぱり作演出さんだった)脱力演技の正岡泰志に言われて、モノボケを中心とした一人芝居を10分ほどやって、お縄になった。笑った。やっぱり、人の裸はおもしろい。トボけた笑いには、目が細いのが得なんだよなー。欲しがっていない人のように見える。小林健一は目が細い。

ギャグのネタ元が、キン肉マンだったり、CMのティモテだったり、まったく2010年代にアップデートされていないのが、男らしい。

それでいて、俺の斜め後ろに座っていた、お父さんに連れられた10才のお子さんが、「めちゃおもしろかったー」と感慨のため息を観劇後ついていて、おお、時間を超えた! ビヨンドザタイム! とTMネットワークの、ガンダムの主題歌が俺の頭の中に流れた。
posted by ボス村松 at 19:59| Comment(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月07日

日本のラジオ「カケコミウッタエ」観劇

日本のラジオ←(劇団名)の「カケコミウッタエ」をで見た三鷹星のホールで見た。

きれいだった。感じ入った。

俺はこの日本のラジオの代表であり、作演出を担当する、屋代秀樹氏と知り合いだ。

という訳で、以下、ヤシロくん。

ヤシロくんは猟奇事件や精神を病んでいる人が好きで(本当)、爬虫類型宇宙人の陰謀を暴くために(一説によると)芝居をしている。

ところがヤシロくんの芝居に出てくる精神を病んでいる人は、舞台上で、精神病患者であるという記号であるに十分なヘンテコな言動をとっているにせよ、向こう側の人ように感じない。ヤシロくんが自分の不器用で、外界と上手くいかない部分を精神病患者に投影しているのか、テクニックでお客さんウケがいいように描いているのか、もともと精神病患者というのはそういったものなのか、可愛げがある。

今回の精神を病んだ人(主役の一方)は、特に賢かった。のみならず、周囲の人間もギャグを言って会場を沸かせるのだが、言葉の節々が賢い。

ミセスフィクションズ(←劇団名)の岡野くんが出演していて、この岡野くんの演技が、言い回しが、自分ち(ミセスフィクションズ)にいるみたいだった。ミセスフィクションズは、気の利いたことを言ってキレイにお客さんを笑わせる劇団。言葉の節々が品の良い感傷につながる。

今回の日本のラジオは、そっちに寄せてるのかしら。

主役コンビ、精神の病んだ人とツッコミを入れつつ振り回される人を中心に、芝居は進んでいく。

自己啓発セミナーで出会って、合コンでまた再会して、鍋したり、今度は自分らでボランティア団体みたいの作ったり、デモしたり。

芝居の最期の方で、あ、これ、キリストがモチーフになってるんだ、とようやく気付く。ミセスフィクションズじゃなかった。

それっぽいワードは、ヒントとして芝居に頻出していたのだ。

お金持ちの実家の父親(天の父)、鍋(晩餐)、デモ(布教)

しまった、もっと早く気づいてもよかったと思うと同時に、気づくまで90分ほど見聞きした話が、そこで腑に落ちた。どうりで、賢いわけだ。神様の教えなんだからね。

とはいえ、**をモチーフに**をするという芝居は、ともすれば、頭でっかちの企画倒れになる可能性もある。

今作は、役者陣の名演技が、コラージュみたいなシーンのつなぎ合わせを支えた。

あの演技を引き出すのは、どうやってやるんだろうという、名演出でもあった。

特に主役コンビの振り回され役の方の、フジタタイセイくんが出色の出来。上手を上手に留め置かない、肌感覚があった。


posted by ボス村松 at 11:06| Comment(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月16日

東京にこにこちゃん「ラブノイズ・イズ・ノット・デッド」観劇

東京にこにこちゃん(劇団名)の主宰の荻野くんとは、一度、短編のコンテストで争い、その後一回江古田の焼き鳥屋で昼飲みした仲だ。割に近くに住んでいる。

コンテストの楽屋で席を隣にした。それが最初だ。

共通の知人がいて、それを話の種に、荻野くんの方から話しかけてきた。

俺がお得意の(?)マイルドめの毒を吐くと彼もマイルドめの毒を返してきて、おお、コイツめとなった。

面白いこと言い競争の開始である。

これになると、俺はいつも2、3分でダウンするんだけれども、彼とはその5倍長く続いた。

主導権は俺が握っていたと思うが、彼に手のひらで遊ばされた可能性もある。

彼の作った短編「エレベーターガールの恋」はとても面白くて、コンテストで俺の「ボス村松の娘さんをワガハイにください」は彼の作に負けた。

負けた方が言うのは何だが、芝居の作りがちょっと似てた。

今回、誘われて、果たして長編はどんなものかと見に行った。

やっぱり、ちょっと似てると思った。

ラブホの従業員と、ラブホに雇われた「喘ぎ屋」が最後、ようやく巡り合って両想いになる話。

喘ぎ屋とは、あっはーんうっふーんということで、ラブホのお客さんを興奮させて店の回転を上げるお仕事。

なんやそれ!

そんな仕事あるか!

ちなみに俺の次回作「ボス村松の自転車泥棒」の冒頭の台詞は以下の通り。

   ***

人情刑事「俺は人情刑事。ノンキャリ刑事の上級職だ。殺人許可証を持った殺人刑事が3年間殺人なしで事件解決を続けると、これにジョブチェンできる。」

   ***

刑事にそんな職種はありません。

ラブホ従業員、デリヘル嬢、お客、どれをとってもキャラキャラしたヘンテコキャラなんだけど、品がいい。ギャグ味がナンセンスなので、現実から浮遊しているためであろうか。役者さんが皆、上手なうえに演技に真摯で台詞を間違えないためであろうか。

先輩従業員「でもさー、いっつも男の人と女の人が部屋に入っていくじゃない?なんで男の女のセットなんだろう?部屋で何してるのかなあ」

先輩従業員はラブホで働きながら、雄しべ雌しべレベルで、セックスを知らないのであった。

そんな人はいない。

この後彼は、デリヘル嬢にセックスの手ほどきを受け、彼女との結婚を語る。

演出は彼のバカさ加減よりも、イノセントな愛らしさに力点を置かれていた、・・ように思う。

女性恐怖症のマッサージ師(でも自分のマッサージで人が気持ちよさそうにしてると射精してしまう)の恋も、ほほえましかった。

今作、最大のケレン味であるところの「ハリウッド大作風オーケストラ楽曲を背に、登場人物が一人一言決意を語って、いなくなった喘ぎ屋のヒロインの代わりにラブホ各階に喘ぎに行く」場面に、そうそう、こういうの好きーと思った。

そして前述の通り、ラブホ従業員は、いなくなった喘ぎ屋を探し当て、抱き合って、大団円。

「ラブホ中が喘いでいても、その中から、僕は君の喘ぎ声を探し当ててみせる」(うろ覚え)

設定、へんてこ。要素、王道。の作劇アプローチですな。

終演、拍手。

荻野くんに面白かったよーと伝えて、自転車を駐輪場から道に引っ張る。

面白かったよーでは足りてない気がして、もう一言、泣いちゃったよ、と嘘をついて自転車に乗った。

泣きはしない。

posted by ボス村松 at 14:40| Comment(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月02日

もじゃもじゃ「マンボウ」観劇、他

DMの封入、発送作業おわたー。

透明のビニールにチラシと案内文を入れるのだけれど、ビニールのテープを折り込んで口に封をする正解のやり方がまだ見つからない。

これまで、延べ3000枚ぐらいは折ってるはずなんだけど。

正解知ってる人がいたら、教えて欲しい。

   ***

先週の土曜に芝居を二本見た。

草野くん出演の「喪服の似合うエレクトラ」とかれんさん照明の、もじゃもじゃ「マンボウ」

喪服の似合うエレクトラは、3部作一挙上演で四時間芝居。

第一部、立派な演技だ! 第二部、少し飽きた。

第三部、さすがの迫力! いや、この脚本は良く書けてるな相当な名作なんじゃないの?と思って後で調べたらノーベル文学賞だった。どおりで格調高いと思った。

若ハゲの草野君が美青年役を振られて、とうとうヅラをかぶることになったということで見に行った本作、草野君は丸坊主で美青年を演じてた。詐欺だ。ヅラでは何が悪かったのだろう?


もじゃもじゃ「マンボウ」

トモダチの家で自殺をほのめかす動画を収録する、迷惑な不思議ちゃんのお話し。

過剰さを極力排した淡々とした喋りが舞台上にあると、逆にその色が饒舌にその芝居のカラーを謳う。

時間軸が現在→一ヵ月前→一ヵ月と一日前→また現在にもどるという構成。

俺は、最初わけがわからなかった。

でも、実はこの会話はこういう前提があって話されたものでしたという、のが分かってくる。

実は、実は、実は、の連鎖。

そこにはミステリーを読み解くような感興があった。

不思議チャンに部屋を貸しているトモダチが、ポテチを5袋ほど開けて同時に食べる演出がある。

その事は彼女が選べない、決められない質であることを示している。

隠喩として上手い、気が利いている。

全編を通してそんなようなセンスに満ちていて、カッコいい。すこしゴメンナサイと謝りたくなる。

不思議チャンがアメリカに旅行したことを話す時に、「NYって本当にあったんだよ!ビル街の中に突然鬱蒼とした木々が現れたと思ったら、それがセントラルパークで! ・・云々」と語る。

意味としては「世界は自分の見えるところまでしかない」ということなのだけれど、「世界は自分のみえるところまでしかない」とただ言うよりも、とても豊かだ。ライ麦畑で、主人公が都会の公園に座る場面があるんだけど、それを思い出した。そこで主人公(ホールデン、だっけか?)が何をしたか覚えてないんだけど、なんか、思い出した。観劇で何かを掘り起こされるのは、楽しい経験だ。

センスのいい、無理目のカワイコちゃんみたいなお芝居。

でも、そのセンスはどこか遠くに行かずに、片足は人情話に残っていた。

自殺したっぽい姿を消した不思議チャンが、ディズニーランドの中継の端に見切れてた。

トモダチ二人は、彼女を探しに部屋を出る。ディズニーランドへ。

よい芝居を見たなあと思った。





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2018年08月19日

MSPインディーズ・シェイクスピアキャラバン 『フォーティンブラス』観劇

いやーよかった。元気もらった。

自分の芝居の練習中に面白い芝居を見ると、やっぱり俺もガンバロウという気持ちになる。

このフォーティーンブラスという芝居の内容自体が、バックステージもので、ハムレットの端役のフォーティーンブラス役に振られた役者のところに、フォーティーンブラスの父なる亡霊が現れて、大騒ぎ、のち、役者が腐らず与えられた端役を全うする気持ちを得るというもの。

俺がガンバロウと言う気になるのもひとしおだ。

この公演は、明治大学演劇関係者の有志の企画だ。

扉座の同作を、コンパクトめに脚色しての80分。

俺は遠い昔、大学時代にこの扉座のフォーティーンブラスのビデオを見て、おもしれーと観劇したのだった。

だから今回は、出演者の草野くんに誘われて、珍しくホクホクと劇場に向かったのだった。

みんな、上手だった。脚本によりそって、よどみなく前に進んでいく好演技だった。

俺を誘ってくれた、草野くんがまた、出色の出来。

少々型にはまった感じの演技をする癖があるように、これまで俺には見えていたのだけれど、肩の力が抜けてスッと一本、頭から足元に筋が通っていた。そこから、どんな演技が出てくるのか、こっちが役者の方に寄っていく佇まいだった。いうなれば、のどかさんみたいだった。

彼は我が劇団鋼鉄村松の来年4月公演の主役を張ることが決まっている。大変頼もしい限りだ。

会場は天井が低く、灯体が近いので、本数は少なくても効果がハマったときの迫力があった。照明よかった。

よかった。

俺も頑張る。負けないぞ。


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2018年02月27日

茶色のジャケット

アガリスクエンターテイメントの「卒業式、実行」を見て来た。

俺が客演した演目「紅白旗合戦」のパラレルの世界だ。

どちらも同じ高校が舞台で、どちらも卒業式に国旗国歌を掲揚歌唱するかで揉める。

そしていい塩梅のところに落ち着く。

パラレルと言うのは、登場人物が違う。

あと時期が違う。

「卒業式、実行」は舞台が卒業式当日のショーマストゴーオン、「紅白旗合戦」は当日のちょっと前の会議モノなのだ。

その中で同じポジションの役柄というものは存在する。

生徒会長、卒業式実行委員会委員長、校長先生、などなど。

そこに付け加えたいのが、やや飛び道具扱いの、生徒側に理解のある先生ポジション。

俺は「紅白旗合戦」で、その枠の社会科教師を演じさせてもらった。

懐かしい気持ちで公演を見ていると、紅白旗合戦で俺が着ていた衣装の茶色のジャケット、そいつが現れた。

俺がいなくなった中、ジャケットだけ参戦している。

着ているのは、同じポジションの美術教師役。

まじかよ!!

騎手乗り換えだ!!

どうしたって、彼と自分とを比較してしまう。

その美術教師役は、ちゃんと台詞を覚えていた。

なんてこった!!

そして、笑いのギアチェンジ役として大変芝居に利いた演技をしていた。

くっそー!!

茶色のジャケット、好走。連に絡む活躍!!

美術教師が笑いを生むたびに、俺は嫉妬した。

嫉妬して、へこんだ。

茶色のジャケットめ!! 裏切者!! 浮気な奴!! 

・・そんなような気持ちを、終演後、出演者のSくんに明かした。

するとSくんは、あの茶色のジャケットは、似てますけど前のジャケットと同じじゃないですよ、だって。



心が少し楽になった。




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2017年12月27日

かきあげ団「かきあげ団、海へ行く」観劇

一年ぐらい前から、ツイッターの俺のタイムラインにその名が現われるようになり、その自暴自棄みたいなつぶやきにシンパシーを感じていた、かきあげ団。

今回、「チケットがまるで売れていない。客席が放課後の教室で告白できるレベル」とのつぶやきを見て、これは男気を見せるところかと、俺は決して軽くはない腰を上げて、その芝居を観てきました。

さて、かきあげ団。団を称するのに反して、観たお芝居は、団長さん(芸名)と、団員くん(芸名)の男女二人芝居だった。

話の筋が特にあるわけではなく、会話の妙で楽しませるのはコント的。

舞台からはみ出ないで、舞台の中で収まりよくキレイにまとまっているのは芝居的。

団長さんがアホで、ほがらか。団員くんが、賢くてメンヘラ。

二人がお互いをくさしながら、時に、共感しながら、一時間しゃべった。

会場は新宿眼下画廊。

お芝居の設定はシンゴジラが出て眼下画廊は地下にあるから助かった、さあどうしようというもの。

団長さんはアホだから、なんでだか「海に行きたい。行こうよ」と団員くんを誘う。

団員くんは、いやですよと、至極まっとうな反応をする。

でも、最後には二人で鎌倉の海に行きました。

おしまい。

そんな感じ。

団長さんと団員くんの自在感がよかった。

あんなに堂々と、いっぱいの台詞を人前で回せたらさぞ楽しいだろうなと思った。

お客さんが多ければ、なおよかろう。

お客さんはなるほど、すくなかった。

団長さんと団員くん、男女二人ということで、二人はつきあっているのかな。つきあってないのかな。

付き合ってないほうがいいなと思った。

それで、団長さんが主導権を持って稽古とかしてるといいな。

団長さんなんだから。

逆に、団員くんが実は作演出で、団長さんと付き合っていて、稽古場をまわしていたら、ちょっとやらしいな。

団員くんは島崎和歌子のファンということで、うちのバブルといっしょだなと思った。

まあ、うちのバブルはヤリチンの恋多き男なので、団員くんほどの一途さはなく、バブルの恋の遍歴は、和歌子、眞鍋、モー娘。の二番目ぐらいに辞めた子、長澤、堀北、ガッキーさん(now)と数えれば枚挙にいとまがない。

和歌子LOVEに関しては、団員くんと並べると失礼かもしれない。


posted by ボス村松 at 17:56| Comment(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月12日

サムゴーギャットモンティブ「メンタルヘルスケア」観劇

おもしろかった。



以下、お話。もう公演も今日の夜の回を残すだけだから、書いてもいいよね。



「これ、僕のメンタル」って言って、手のひらの中にパソコンのマウスみたいな形状の光る物体を持つおじさんが主人公。

「よわってるんだ」とおじさん。

メンタルを小動物のように扱う。

そんなおじさんに、お医者さんや同僚や道すがらの人たちは、心配したりツッコんだり。

おじさんは、そんな弱っているメンタルを森に返すべく、森の奥深くに入っていくと、心配した奥さんが探しにくる。

奥さん美人。

一緒に帰ろうとするところに、突然、インディージョーンズが現れて、わやわやしているうちに、インディージョーンズのお宝とメンタルが混ざって、どれがメンタルかわからなくなる。

インディージョーンズはおじさんの大好きな映画。

インディージョーンズの世界(深い森)でおじさんは、インディーと冒険する・・というわけでもなく、おじさんはただただ戸惑う。

インディージョーンズの冒険は結構おじさんとは関係なく、そっちはそっちで進んでいって、おもしろおかしいテイスト。洋画吹き替え調。

だんだんと、インディージョーンズの世界(深い森)が実は、おじさんの心の中なのではないか?っぽい演出が入りつする。

奥さんはインディージョーンズとお芝居の最後の方で冒険する。

おじさんはそのとき、本筋とは関係ない感じで、変なことになってる(おおむね芝居中おじさんは変なんだが)

奥さんはインディージョーンズと遺跡の探検中、

「わたし、ここ来たことがある」と言い出す。「(おじさんと)最初にデートした映画館」

二人の初デートの時の回想とも、今、森の中で実際に起きている出来事とも、見てるこっちにはどっちでも思えるような、いい感じの雰囲気の中、二人はインディージョーンズ4を見る。

おじさんは、がっかりする。

インディージョーンズは1,2,3と傑作だったのだが、4は駄作だったのだ。

おじさんの人生とインディージョーンズ4がかぶる。

そんなおじさんに、おくさんは、「私、けっこうおもしろかったですよ。この映画好きです」という。

「私は、1も2も3も見たことがなくて、これが初めてのインディージョーンズだし」という。

この時点で、奥さんは実は半年前に亡くなっていて、それがきっかけでおじさんのメンタルが弱っているということを、

観客は知っている。相当グッとくる。奥さんは美人で演技も上手い。

インディージョーンズの冒険は、インディージョーンズの方で勝手にすすんでいて、ラストの盛り上がり部に至る。

裏切り、仲間の死、崩落していく遺跡。

おじさんは、崩落していく遺跡の中で、「この森で二人で暮らせないかな」と奥さんに言う。

おくさんは、「あなただけでも森を出ていかなきゃ」という。

インディージョーンズとおじさんは、トロッコで森を脱出。



お察しの通り、ファンタジー色が強くて、説明はぶいてそんなもん、と投げっぱなしのところが、(こういうとおこがましいが)俺の書く脚本に似てる。

ちなみに、俺の3月に上演する作は、「今日と言う一日を、昨日から明日へと運ぶトラックの一夜と、そのカーステレオから流れる深夜ラジオの話」

うん。似てる。

似ててイマイチの芝居を見ると、お客さんはこんな風に、俺の芝居をみてるのかなあ、と死にたくなる。

似ていてステキな芝居を見ると、憧れて、こんなの俺にはできないや、とへこむ。

実に損な性分の俺ではあるのだけれども、憧れによる、星に向かって歩き出す効果もあるので、トータルでは元気をもらった。

サムゴーギャットモンティブ「メンタルヘルスケア」は、オシャレでデートにも使える作品でした。

小劇場では、こんな芝居を見たい、という芝居を見た。演劇IQが高い。

ミセスフィクションズの、ヤッキーゴーホームと伯爵のおるすばんのDVDを見た時と同じ気持ちだ。

あと、ミセスフィクションズのお父さんは健忘症。


この芝居は、えんちえさんが出演ということで、誘われて見に行ったのだが、えんちえさんは、一番話にからまないぐらいの役柄だった。

でも、超絶上手かった。前回の鋼鉄村松のお芝居で、彼女と共演してこいつ上手いなーと思ってたけど、こんな上手かったのか。役者ぢからで、違いを見せつけていた。台詞回しはもすごけりゃ、この場面のこのガヤの時の表情がソレ??という驚きの瞬間もあった。ゆるみがない。彼女と共演して、よく俺、今、生きてるな。

サムゴーギャットモンティブ、何語でどんな意味があるのかも分からないけど、劇団名でもう、やりそうな匂いはしてましたよ。







posted by ボス村松 at 18:20| Comment(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月18日

インプロ

即興劇(インプロ)というジャンルが小劇場にはある。

脚本なしで、設定だけがあって、それに当為即妙の受け答えをしたものが勇者という形式である。

得意な役者と、そうでない役者がいる。

即興劇の参加者全員が能力上位であれば、まるで脚本が前からあったみたいな一つの世界が作られ、拍手喝采があがる。

そこまでいけば、お客さんにも、その即興劇が一つの作品として認識されるのだろう。



仕切る人間が上位なら、あとの演者は並でも、ある程度の時間を持たせられる見世物になる。

しかし作品とは認識されない。時間つぶしとして、有効だったぐらいに留まる。



今日、シアトロンで即興劇をやってきた。

敗れてきた。

その即興劇のなかで、全く機能していなかったわけではない。

スベリの人としてはそんなもんだった。。

くやしいか、くしやしくないか、と言ったら、くやしい。

俺にとって、上手い人に見えるように願って、今回のチャレンジに立った。


俺は強い言葉で、すぐシュートを打ちたがる。しかも、ゴールに入れる確信はなく、目の前にボールが転がってきたので、強キックをふかす。ボールはゴールのはるか上。

上手い人は、平易で次につながる言葉をつかって、パスをオープンスペースに転がす。


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2017年07月05日

ピクニック

ボス村松の竜退治が終わって、残った日本酒を飲んだ。萩の露、うまいな。

あまくて。

しかしラベルには超辛口と書いてある。

あれー。

しかし最初に口に含んだ時の最初のアタックみたいなの、刺激は確かに強い。

これか? 日本酒の辛口のいうところは。

俺の言う、甘いお酒が好きというのは、この甘い辛いに関係ないのかもしれない。

日本酒むずかしいな。



バイト先から求められている検便の採取に成功した。

危ないところだった。明日提出期限という、きわきわだった。

忘れないように、小指に輪ゴムをしていたのだけど、それは半日ほどで外れてどこかにいってしまった。

何気に大便器にすわり、先っちょぐらいを出した時に、あ!と気が付いた。

あぶないところだった。



今月16日、演劇フェスシアトロンに参加する「ボス村松のピクニック」の練習をした。

グレートニュームラマツとの二人芝居だ。15分から20分の芝居になると思う。

グレートが楽しそうだ。

DJグレートは本意ではなく、台詞を覚えて役を演じる、いわゆるお芝居やりたかったんだなと思った。


チケットはコチラから




posted by ボス村松 at 03:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月12日

役が決まった

配役が決まった。

俺の役はキングという役。往年の大物プロモーター、ドン・キングにオセロトーナメントの司会をくっつけたような役だ。
鮮やかに動いて喋って花まる学習会王子小劇場にショー空間を作るのが課せられたタスク。

スーツを着ても成り立つ役だけど、せっかくだからゴージャスで突飛な衣装を着たいなあ。

羽がついたモコモコのガウンに、ジャラジャラのネックレスに、指輪も3個ぐらいつけたい。

予算まわらなかったら、自腹で探しちゃおうか。

かようにモノに頼りたくなるぐらいに俺のスター性が問われていると感じる。

しかしこの役、初演時には細川が演じていた。

細川は当時の劇団内役者ランキングでは上位ではなく、そこから、そんなには話の肝を担う役でないことも伺える。

とはいえ、細川はこの役を上手く演じていた。

まずは、細川越えを目指したい。

そこに大物感とスター性を加えていくということで。

   ***

主役のサンボはグレートニュームラマツになった。

すっかり劇団の主役役者になってしまった。

ミハエルとアイルトンとチュウカドンで、いいじゃんと思って、まーくえっくすで停滞、今回の役決めの本読みで、また一歩上がってるーというのが俺の印象。

演劇用の発声をして、台詞が体と気持ちの真ん中からまっすぐに、前に進んでいくところに主役適正あり。

見習いたいものです。俺、できない。

今回の役決めの台詞の回し読みでは、演技の味付けに、案外気が利いているのを持ってきていて、演劇IQの向上も感じられた。

締まった表情をすると、精悍に見えるようになった。人前に立つことに慣れて来たのかな。

以上、持ち上げてみました。

今後の課題としては、でんぐり返しができる体を作ることだろう。

ごはんをたくさん食べて、どうするのがいいのかな、走るとか?

   ***

一方のニュームラマツの心情を思うと、おかしくってしょうがない。

役決めが発表された最初の稽古が昨日あった。

稽古場の鍵が開くのを待つ時間、稽古場前のロビーで、ニュームラマツはデスマスクみたいな顔をしてうずくまっていた。

バイトで疲れていたということだが、俺はそこに別のものを見た。

それはうがちすぎかもしれない。

稽古では明るくやる気に満ちた、いつものニュームラマツだった。

がんばれ。おもしろい。


posted by ボス村松 at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月08日

日本のラジオ「ムーア」観劇

芝居を見て、芝居をやりたくなるのは、ありがたい芝居だ。

ありがたい芝居だった。

俺もまた芝居やりたいなー。

日本のラジオ「ムーア」を観劇してきた。

観ているこちらを巻き込まない、でも、客席の向こう側で、キレイな形でまとまっている。

観劇というより、鑑賞。

エロマンガ、ショタ、猟奇殺人を題材にした芝居。

おぞましい現実とおぞましい現実を空想することの境目を語る気の利いた言葉たちが、丁寧な演技と丁寧な演出によって舞台上に浮かんでは消えていった。

美術館の一角に、「エロマンガと現実のインスタレーション」と題されて置かれていてもそんな感じ。そしてその美術館を訪れた私とその連れは、きっと、館内を一通り見終えて、お茶の席について、「あのさー」とどちらかが口を開く。仮に口を開いたのが俺だとして、

「俺、エロマンガと現実のインスタレーションが一番よかったな。ほら、一階の、人がいて動いてたやつ。おもしろかった」

すると、連れもこう言う。

「わたしもー」

脚本の言葉は、とても笑いのセンスにあふれていて軽快で、東中野のRAFTを美術館じゃなくて、芝居小屋にする演出もあるかもしれないな。笑いに注力する。

自分が役者だったら、自分が演出だったら、それができるとは言えないけど、そんな想像はした。

それは俺、役者で出演してみませんか、って声かけられたことが、前に一度あったからね。

月曜までやってるみたいだから、見に行くといいよ


posted by ボス村松 at 15:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月03日

歌の発表会とライジング・ティップトーを見た

今週はこれでおしまい。そう思っていた芝居見物がもう一本残っていた。

忘れてた。お嫁さんと予定していたデートと重なる。

お嫁さんとは、とあるボーカルスクールの発表会に顔を出すことにしていた。

13時の開演のお芝居を18時の回に移してもらい、両方を見ることができた。

ボーカルスクールの発表会を見て思ったのは、小劇場界隈の人間は歌がうまいんだな、ということ。

その発表会の歌い手さんより知り合い連の方が上手な人が多い気がする。

かく言う私も圧倒的な声量を誇り、カラオケ屋の店員さんに部屋に入ってこられて「度が過ぎていませんか?」と注意を受けたという実績を持つ。なんだぞれ。カラオケ屋こそ、どんな大声を張り上げてもいい場所じゃないんかい。

発表会の新宿から下北沢に移動してライジング・ティップットー「鬱まくら」を観劇。

おもしろい。

台詞がいい。気が利いている。

芝居全体の雰囲気はトリコロールケーキの無機質なナンセンスからギャグ味を引いた分、意味としっとり感を加えた感じ。

観劇中に「誰やねん、こいつ」とパンフを開くと、作演出の方は国の助成金で演劇を勉強しに行った人で、現代詩人としても活躍中とのこと。宇野重吉何たら賞をすでに獲得している、もはや権威側の人間だ。

どうりで。

恥ずかしながら、俺もセリフ回しが気の利いてるのを自負する脚本書きで、しかし、それって芝居の面白い面白くないにはあんまり影響しないのかな、と疑いを持っている人なのだった。でもこれ以外の書き方ができない。

今回この鬱まくらを見て思った。

やっぱり、セリフが気が利いていることは意味がある!

基準値を超えた質が基準値を超えた時間続けば、そこには得も言われぬ頭よさげフィールドが発生するぞ。

心を強くした。

ありがとう。ライジング・ティップトー!

終演後の挨拶で、出演していた知人が開口一番、俺に謝った。「ごめんなさい」

俺はちょっと高めの値段設定と呼んでおいた自分の出番がそれほどでもなかったことを謝っているのだと思い、「面白かった」と喜びを伝えると、彼女はウソーと言う。

彼女が呼んだ他の友人たちには軒並みこの芝居の評判はよくなかったらしい。

まーなー。話の整合性はあんまりない。大したドラマはおきない。

作家のセンスを愛でる芝居だ。分からん奴には分からんだろうなーということで、逆に「俺は分かったぜ」みたいなゲスな優越感が心に沸いた。この味がわからないとは。春菊はちょっと苦いのがいいんだよ。

・・・

ちょっと、ボス村松さん悦にはいっているところすいません。これは気の利いたセリフっていうのは、面白い面白くないに関してあんまり意味がないという結論ですよ。

・・・

なるほどね。しかし、わからん奴に合わせてレベルを落としていてはゲージツは開拓されていかないよ。そう、気が利いていれば、賞を取れるかもしれない。

・・・。

はたと、思い出して日本劇作家協会のHPを開く。

今年の協会の戯曲賞の一次審査が通った20作品(ぐらい)のタイトルが上がっていた。

応募した俺の作の名前は、そこになかった。

一昨年、俺の書いた「キャベティーナ」がこの戯曲賞の一次選考を通った。

今回応募した「じ・だん」は「キャベティーナ」より大分上手く書けた気がしていた。

また一次選考を通るんじゃないのか?もしかしたらその先もあるんじゃないのか。そんな期待をしてた。

いや、淡くだよ。淡く。どうせ無理に決まってると思ってたよ。

でももし、俺が賞を取って、コメフェスも優勝したら、その時は・・






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posted by ボス村松 at 14:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月18日

「小林達明ソロコントライブ」観劇

腕があっても野にくすぶっている人はいるんだね。

立体映画館の池崎さんに続いて、二人目、小劇場にいました。

小林達明さん。一人で70分。コントをやりきった。上手かった。面白かった。

自分で脚本を書いて演じて。よくそんなことできるな。練習も一人。

じっくりと見せる演技をしたり、キレ演技したり。

小林くんが所属する劇団で見る小林くんの演技は、小林くんのできることのほんの一部分だったと知った。

その劇団ダスティウォールズでは、いつも、小林くんは、コバヤシという役名で、同じキャラクターのバカを演じていた。

しかし、この一人コントライブの自在感はすごい。ラップも披露した。でも上手さが嫌味にならない。

ベースにとぼけた無表情を持っている人はそこが強み。

実は小林くんは、後藤のどかさんと縁の深い人物で、彼は彼女が出演した俺の芝居を何度か見に来てくれていて、しかし俺は彼にさほどの感興は与えられていなかった。

今、俺は若干の敗北感を持っている。もうちょっと彼のコントライブはつまんなくてもよかった。

しかし、ここまで書いておいて、正直小林くんはどうでもいいのだった。

面白かろうがつまんかろうが。もう、ほんとに。

刺身のつまみたいなものなのだった。

小林くんはのどかさんの縁の深い人ということで、のどかさんが受付ぐらいに座ってるかな、と思い見に行ったのだった。

彼女は音響担当らしくブースの中にいた。

ガラスごしに横顔がちらっと見えた。

彼女は俺に気づいて、えへへと笑って会釈した。

話はできなかった。

次は二人芝居を希望します。


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posted by ボス村松 at 18:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月21日

ひろたかくんを見てきた

我が鋼鉄村松常連の加藤ひろたかくんが、小劇場メジャー劇団、柿食う客の所属になってから半年ぐらいたつ。

彼がずっとあこがれていた劇団だったので、よかったねという話。

「うちに入れよ。うち今、ムラマツベスがいなくなって主役役者がいないんだよ」と鋼鉄村松がひろたか君に秋波を送っていたのは隠しておきたい秘密。

今回、ひろたか君が柿食う客の「フランダースの負け犬」という演目に出演するということで、花まる学習会王子小劇場に行ってきた。

しかし花まる学習会王子小劇場というのは面白い。ネーミングライツと小劇場を結びつける発想はなかったわ。

我が鋼鉄村松も神戸製鋼あたりに営業に行ってみようかしら。

柿食う客のお芝居自体、俺は見るのが初めて。

ほー、こういう芝居をする劇団だったんだーと知る。ケレン味たっぷりの大きな感情、大きな演技の芝居だった。ワンピースみたいだった。

ただ、この演目は作演出の中屋敷さんが19歳の時に書いた本の再演ということで、今はもっと違う芝居になっているのかもしれない。

柿食う客、という語感から、今日見たものよりは、もっと引いたところの視線の劇団を想像していた。

あこがれの劇団の中のひろたかくんは、知ったままのひろたかくんで、でも立ち上げメンバーに見えるぐらいに馴染んでいた。

ひろたかくんは、この劇団のあの演技を追いかけていたんだと、納得した。みんな目茶目茶器用でうまい。

ひろたかくんが俺の芝居に出ると、異質の上手い演技をする役者だった。

俺は上手い演技というのものの、見分け聞き分けができないので、うまい演技が並ぶと結構同じに見えてくる。しかし、一つの芝居に一人うまい演技の人がいる分にはそれはその人の色に見える。俺の芝居の役者ひろたかくんは一人だけ上手かった。俺が小劇場メジャーの作演さんなら、俺の芝居の方が柿食う客にいるより、ひろたかくんの上手さが映えると思うぜ、と言うところだが、今はただただ拍手を送りたい。

主役は同期入団の大村わたるさんに渡ったようだが、まだ一回目。ひろたかくんなら、きっと主役も取れるだろう。







posted by ボス村松 at 01:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月24日

「OBIRIN LABO project」鑑賞

浅倉さん(ロケットマンの少女役)に誘われて桜美林大学内のパフォーマンス公演を見に行った。

舞台上で起きる現象について人並み以上に興味のある私、ボス村松(当たり前だ)。パフォーマンスと言う、見慣れない切り口に、とても刺激を受けた。

7,8分の演目を、12のグループが持ち寄っての発表会。

二番目のソロアクト「153cmから見た世界」と四番目の群舞(?)「たゆたゆ」が大変よかった。

あと、浅倉さん出演の「1」のオチにも笑った。デュオの作品で、パフォーマンスの最後の最後、軽量低身長の浅倉さんはなかなかガタイのいい相棒のお腹に、腹巻みたいに巻きついている。相棒は舞台中央から舞台下手端に向かってズンズン歩く。暗転。と同時に、腹巻が落ちる。暗闇に落ちる直前の残照の中に、ドサっという音が残る。あと「今、浅倉さんは受身をとらなかったよな?」の思いも残る。

「153cmから見た世界」、153cmというのが、もういけない。のどかさんは確か153cmだったなあと泣けてくる。基本、この公演はジャズダンスが基調のパフォーマンス。音はおおむね背景に流しっぱなし。この153cmから見た世界は、随所にブレークが入り静寂の間がある。その静寂で、彼女は腕を真っ直ぐ水平に伸ばし、手の平をひたすらニギニギするのだ。それがモチーフとして繰り返される。何を象徴するかはわからないけど、何かではあるのだろう。全体的に悩んでる風なムーブが多かったので、このニギニギは「掴みたいけど、掴めない」なのかな? 

ほほー、パフォーマンスというのはなかなか楽しいものだなと思って、グッと気持ちが上がった。二番目以降の演目に期待して見ることができた。全部見た後、思い返して、コレと四番目の「たゆたゆ」がトップ2だった。

「たゆたゆ」は、ダンスというよりもパフォーマンス色が強い。10人弱の演者さんがとにかく舞台を駆け回って、集散離合を繰り返す。群れが何対何で別れるか。その時の体の向きはどっちを向いているか。アフタートークでされた論評で、小さな魚の群れがあっちいったりこっちいったりする姿に似てたというのがあった。言いえて妙。群集の没個性といった感じ。途中転調があって、あえてな感じのボーカル曲で熱心なふりしてみんなが踊る景色になる。あくまで熱心なフリして。通して知的な印象。意味ありげがちょうどよい感じでシャレオツだった。

12演目終わって、アフタートークの時間が設けられ、そこで作品のことがOBの方により語られた。

あれはどーゆー意味だったんだろーねー、みたいな感じで。

そこで、彼女の足は高く上がっていたとか、スピンがどうこうとか、ダンス技術の巧拙を問う話はなかった。

それにもまた、そーゆー文化なんだーと、感心した。

posted by ボス村松 at 17:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする