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2015年07月28日

シアターノーチラス「水槽」観劇

まめ芝でご一緒した美人看護婦の知人に誘われて、新宿眼科画廊へ。

ギャラリーでの静かな会話劇。

かなり苦手な形式だ。

ギャラリー公演は客席も明るく役者さんとの距離も近い。

小劇場においてお客さんは一緒に芝居を作る共犯者みたいな側面があるが、ギャラリー公演はさらにその度数が上がる。

私は良いお客さんではない。すぐうつむくし。明るいのも近いのも困る。

あと、静かな会話劇が苦手なのは、人の噂と口論と昔話ばっかりしながら、ちょっと弱い理由で舞台を出たり入ったりばっかりしている印象があるから。

結果的に公演を振り返ると、このシアターノーチラスさんの公演は、それのどれにも当てはまっていた。

でも、新宿眼科画廊に入って、役者さんが最初の2、3言の台詞を交わすのを聞いたとき、私は「あ、この芝居多分おもしろいわ」と思った。

役者さんの発する声が静かにキレイなリズムを取っていて、その世界に魅了されるというのとは違うのだけれども、少し離れた遠い場所から役者さんたちのセッションを鑑賞した。

昔暴君・今車椅子であった父が亡くなっての1年後、父が亡くなった海沿いのレストランに今年も行く。その朝の妻と子らの情景一幕一場。子にはそれぞれの伴侶がいて、それぞれの上手くいかなさを抱えている。お話の軸としては、父が亡くなったのは事故とされているのだけれど、本当はこの中の誰かが手を下したのではないか、というミステリー。

でもこのミステリー仕立て、犯人は誰か?というのは、俺にはこの演技演出脚本の言葉遣いからは、大味で野暮ったいものに思われた。

そこだけ安い、みたいな。

ところが、それが最終盤、犯人の私がやりましたの告白のところで、犯人であるところの長女の夫が、押さえた演技の中でボロボロと涙を流したのには度肝を抜かれた。

劇的な演技の中で搾るように泣く役者は時々見るけど、こんなに静かに泣く役者さんは初めて見た。

とめどなく涙が頬から顎を通って、ボタボタ膝に落ちる。

大迫力だった。

彼の「わからない」という言葉はとても美しく説得力があった。

こんな芝居もあるんだなー。

おもしろかった。
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2015年04月17日

劇団だるめしあん「あの子の飴玉」観劇

今日はバイトで朝の荷物の配送で、運転手さんが寝坊したということで、20分遅れて品出しをスタート。これは時間内で終わらないだろう、しかし終わらせてみようとチャレンジしたがかなわず。10分ほど足が出た。

おつかれさん、ということで、ここ2日間禁酒していたのだが、ビールを買って帰って飲んだ。

銀河高原ビール。

うんめー。

なんか、普通だなと思っていたのは毎日飲んでいたからなんだな。

特別なものは特別な場所に置いておくのが肝要なんだなと教訓を得た。

3時間ほど寝て、バブルムラマツと鋼鉄村松の常連になりつつある加藤ひろたかと星野くんが出演し、サラリーマン村松が入団し所属となっている劇団だるめしあんの芝居を見た。

おもしろかった。

男女の性に対して、とてもイデオロギー色の強い芝居で、俺には腑に落ちる内容だった。

その主張のために選択された言葉も機知に富んでいて、自身の知性を演劇に還元できていて見ていて頼もしかった。

バブルもひろたか君も星野くんも、過不足ない演技をしていた。

脚本の上がりが遅かったという話も聞いていたので、よく戦っていた。

でも重用されていた感じではなかったな。

そんな話をお嫁さんにすると、知り合いの中でひろたか君を一番モノになりそうな演劇人と位置づけているお嫁さんは、見る目がないね!と憤慨した。

話がイケテル感じの男を真ん中に持ってくる話じゃなかったからね。


posted by ボス村松 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月31日

ミセスフィクションズ「再生ミセスフィクションズ」観劇

再生ミセスフィクションズ。

再演を再生というおもしろい言い方で、やってみたというもの。

短編を、4本立ての90分。

チケットが全ステージ完売ということで、当日券で並ぶことにした。

入れるかなと思いながら、豚カツ屋でごはんをたべて、劇場に。

入れた。

シアターミラクルがパンパンもパンパン。立錐の余地もない。

といっても、シアターミラクル(キャパ80ぐらい)だからね?というのは間違った見方だ。

パンパンの喜びはドームだろうが、ミラクルだろうが、さほど違わないのでは?

きゃりーぱみゅぱみゅだって、自前でチラシ撒いて、ツイッターでつぶやいて、なんて感じで公演を自分だけでやったら、ミラクルをパンパンにできるかどうか。

できますか。そうですか。

でも、俺はきゃりーぱみゅぱみゅがミラクルでやったって見に行かないけど、ミセスフィクションズは行かなきゃかなと思う。

ちなみに私の次の公演「ボス村松の兄弟船エピソード1・2・3」もシアターミラクルで行うのだった。完売って何?


   ***

自分の狭い見識の中では、ミセスフィクションズが小劇場界隈で一番尊敬されている感じがする。

作劇の実力がほぼ1番(狭い見識の中で)にして、偉ぶらない。商売っ気がない。なんだその嫌味のなさは。

ひょっとすると、メンバーの中に油田を当てた人がいるのかもしれない。

現世的欲求は全て満たしているのかもしれない。

それならば分かる。

   ***

ここまで、礼賛をしておいて、実は俺にとってミセスフィクションズのお芝居は、少し息苦しい。

丁寧な筆致に、へーとか、ほーとか、なりつつ、見ていて、いいよ、もうちょっとチャッチャッとやってくんな、と意地悪な気持ちになることもある。

今回の再生ミセスフィクションズの2番目の演目「お父さんは若年性健忘症」

珠玉。

繊細で丁寧な筆致に、こんなキレイな形の芝居ってあるんだな、と惚れ惚れしてしまった。おもしろおかしい台詞に笑った。へー、とか、ほーではなく。

DVDで同劇団のヤンキーゴーホームを見たときと、同じ感興。

ミセスフィクションズはこれをやりやがる。

特に娘役の女優さんの演技に引き込まれ、ずっとスタンディングオベーションをしながら、芝居を見ていた。

それには、もうちょっと集中して芝居を見なさいという異論もあることだろうが、ずっと心の中で拍手してた。

女優なんてものは、笑いを取るのが苦手な、使い勝手の悪い役者の一形態みたいに思っているところが俺にはあるが、同時に、この世界を輝かせる根源的理由として、憧れる気持ちも持っている。女優さんが輝いている芝居はそれだけで、そこにあっていい。

彼女は風呂上りのパジャマを着ていて、ちょっとフテた感じ。カワイイを演じていないのがカワイク舞台に立っていた。

大変私の性癖に合致している。

紅天女を見た、大都芸能の創業社長の速水エースケ(だっけ)の気持ちに近いものだと思う。

マンガの話で恐縮ではあるが。




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posted by ボス村松 at 16:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月12日

兎ROCK「邂逅」観劇

いやあ、よかった。これぞ、演劇を見た、という15分だった。
大きな身振り手振りとくるくるとよく動く表情。
一般の人が、お芝居、演技、というと思い浮かべる、昔、学校の行事で見せられたスクールシアターのお芝居。
ヘタをすると野暮ったい。

一方で、よくできた自然さを持った演劇表現がある。実際にあるような体から発せられる実際にあるような声。
よくできた会話劇を見ると、興趣を感じるけどお腹がいっぱいにならないのは何ぞやと思っていたら、これだったのか。
俺は王道の、演技演技した演技の上等なものを見たかったのか。

兎ROCK「邂逅」は15分の短編。
星の王子様の1場面を切り取って、膨らませたものだ。

実際に人はそう動かないだろうという演劇文脈の体から、練習を経て作られた演劇文脈の発声が舞台上にはあった。
そこに役者の色気(一般に、気持ちと言われたりもする)が乗ってないと、ただの音声と振り付けに見えてしまうんだけど、見事に演者の二人は、「ガス灯をつける青年」と「星の王子様」を表現していた。
自分の持っている演劇の技を駆使して色気たっぷりに。

ライブのものは、演じる人と見る人の相互作用の色が、映画などの記録媒体のものよりも強いような気がするので、たまたま昨日の俺の体が、そういうものを欲していて、たまたまそれを得たという可能性はある。
たしかに、喉が渇いていたところに、水が染みるさわやかさの類の、感興だった。


今日1月12(日)15:30〜 もう一回やるので、みんな見に行くといいよ。1500円だし。江古田ONE'Sスタジオにて

俺ももう一回見に行こうかなと思ったんだけど、次客演する、アガリスクエンターテイメントの劇王の東京予選決勝が同じ時間にやってるのでそっちに行く。

あと、もう体が乾いていないので、あれ、昨日の方がよかったなと思うのも、もったいないので、昨日の邂逅を、いやーいいもの見た!と今後の糧にしておきたいというのもある。
posted by ボス村松 at 10:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月20日

肋骨蜜柑同好会「いきたしと思えども」観劇とか

肋骨蜜柑同好会の芝居を見てから、打ち合わせに行った。

打ち合わせは19時集合だと思ってたら、21時だった。

仕方がないのでマンガ喫茶に入った。

テルマエロマエの4巻から先を読んでいないので、それに手が伸びそうになったが、せっかくだから新しいものを読もうと決めていたので、斜め下にあった、僕は友達がすくないを読んだ。基本ボケとツッコミで話が進んでいくんだな。ライトノベルの技法ってそうなんだろうな。涼宮ハルヒもそうだったし、実弾生活の主宰さんの書いてた陰陽師のもそうだった。三つの作品に触れてみっつともそうなんだから、きっと、とあるナントカのインデックスとか、俺の妹がこんなにかわいいわけがない、もそうなんじゃないだろうか。なんか、近しさを感じた。すこし恥ずかしさを感じた。

打ち合わせのあとは、打ち合わせを踏まえての、劇団内での作戦会議の飲みをした。

それとは関係なく、後半はボス村松の兄弟船エピソード1・2・3の話に、ついで、演劇論になった。

おおむね俺のいうことが間違っていることがよくわかった。バブルの自信満々が憎らしい。彼は自分のやりたいことを確立していてそこにはもう迷いがないと、前に言っていた。実際に書けるかどうかが問題なのであって。迷いがないのは議論において強い。あと、バブル理屈っぽくて、そういう理論の構築がけっこう好きだ。

しかし、まちがえられるのも才能のうちだとなぐさめた。なにはともあれ、まちがえるだけのアイデアをもっていたということだ。

アイデアを持ってない人間はまちがえることすらできない。もっといえば、おれはまちがえたい。まちがえて、そのまちがえっぷりが、すげえとなりたい。どぶねずみみたいにうつくしくなりたいと歌う人もおった。おもしろいなんて、全然おもしろくねーんだよ。いやMr.FictionsのヤンキーゴーホームのDVDはおもしろくて、おもしろいんだが。どぶねずみみたいにうつくしくなりたいと歌った人は今でもカッコよくて、すげえんだけど、曲は聴かない。奥田民生もかっこいい。すげーんだけど、曲はきかない。ピンとくる曲を何曲か聞かせてもらった後、ずっとピンと来ない曲をうたってる。俺は面白い芝居を作りたい。お客さんに笑顔で返ってもらえたらすごいうれしい。でもお客さんなんて俺は怖くないぜ。俺のいうことはおおむねまちがっている。

肋骨蜜柑同好会の芝居は、だから私は演劇をする、というメタ演劇だった。

手を変え品を変え、演劇に意味無いよ。でも演劇をせざるをえん、といい続けていた。

これにも近しさを感じた。

演劇をやっているんだから、演劇に一番関心があって、だから演劇に関する思いから一番深い音がでてくる。

一番深い音を響かせたい。

わかる。

でもそれはまた、かっこ悪くもある。

初心者の自家中毒か、末期患者の繰言の匂いがする。

真ん中を歩くものは、演劇を演劇に捧げず、この世界の具体的なもの、あるいは抽象を表わすのに捧げる。

演劇なんて、世界の中ではとてもちっぽけな領域の話にすぎない。


肋骨蜜柑同好会のフジタ君はアフターイベントとして三題話に挑戦して、事故った事故ったと頭をかかえた。

帰りに自転車に乗りながら、難しいものだな、俺ならどうするかなとブツブツとやってみた。

お題は、ポリタンク、酢飯、粘土だった。

フジタ君のはエッセイ風で長かった。短く嘘の話として強引にくっつけていくのがよいのではないかというのが俺の作戦だった。

「ポリタンクの中に酢飯を入れましてね・・これが実においしい・・というわけではないのですが、酢飯がポリタンクの灯油くささをけして、いや消しきれないのだけれど、酢はあった方がいい。まだ灯油を食べやすい。灯油は体にいい。力が出る。灯油ですからね。燃えます。その活力をもって、・・太郎くんは、・・旅にでました。・・鬼が島に鬼退治です。太郎くんは、桃太郎だったのです。なんか犬とか仲間にして鬼を退治しました。しかし、その鬼は粘土細工だったのです。なぜだ、なぜ、僕は粘土と戦わなければならなかったんだ・・、! ・・それがボブのおぼ、すめし、だったのです」

ここで言うボブは本編の劇中で神サマみたいな精霊みたいな存在としてかたられていたのだけれども、それは実は観客だったのだと明かされる存在。

おぼ、すめし、(おぼしめし)が我ながらよく思いついたと感心してここに書いた。

しかし、全体的には面白くもなんともない。

難しいものだ。桂三枝が得意なんだそうだ。


posted by ボス村松 at 04:46| Comment(1) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月30日

トリコロールケーキ「クマグマ」観劇

寒気がして風邪をひいたと思ったが、悪くならずよくなりつつある。

そういえば、ここ2,3年風邪で休むことをしてないな。鋼鉄城が落城してお嫁さんと清潔なアパートに住んでいることによると思われる。

冬場に私を悩ましていた咳も出なくなった。

今日は横浜に行って、トリコロールケーキのお芝居「クマグマ」を見てきた。

とりちゃんがクマになったとき、お父さんがクマになったときのガオーの佇まいがこの劇団の真骨頂だなと思った。

前回下北沢で見た時は、シモネタ、有名人実名ネタを封じていたのだが、今回はその反動かシモネタ、有名人実名ネタが芝居の半分だった。

私はシモネタと有名人実名ネタは封じなくていいと思う。

のどかさんが演じる、大竹いまるが仕切る、踊るいまる御殿がラストバトルの場だった。

いまる御殿を仕切る、のどかさんの、さんまのマネがよく似てた。

ただ、ヒャーッハッハッの引き笑いがなかったのは惜しかった。

どんな芝居やねん。

クマグマは離婚するお父さんとお母さんと私。の話。

お父さんはクマに幼いころ育てられた。新鮮な鮭を見るとガオーとなる。

孤独な私にだけ見える、大竹いまるがお父さんとお母さんの仲直りに一肌脱ぐ。

そんなお話でした。


実家からカニが送られてきた。今からお嫁さんと食べる。
posted by ボス村松 at 21:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月02日

トリコロールケーキ「魂などの叫び/百歳の予感」観劇

通称トリコロ、正式名称、トリコロールケーキ。

彼女らは、森の発表会みたいなお芝居を目指している。

私が見た、直近の4,5作はその「森の発表会みたいな」というイデオロギーが全編を支配して、頭で感心する芝居だった。

確かに森の発表会のようである、と。こんな森の発表会みたいな芝居はなかなかないぞ、と。

して、森の発表会とは何ぞや。私は勝手に、脱・演技と解釈している。ちゃんと演技するって胡散臭いよね。俺もそう思う。演技ってどこまで行っても嘘じゃん?それを本当みたいにお客さんに思わせたいって恥ずかしくない? 熱演に、照れる。平常時の人の感性・テンションを保持しつつ、しかし、演劇する。それが、森の発表会。

事実、トリコロの舞台上では、かわいい女の子たちが、センスのいいナンセンス(こう書くと言葉の中に自己矛盾があるのだけれど)なセリフをウマヘタヘタな演技にのせて、順次、発声されていく。その言葉は共鳴し、絡まりあうことを拒む。それは、アコースティックに似せた打ち込みの電子音のようである。そこに、作演出を共同で担当する、鳥原さんと今田くん(共に大学の後輩)の作為と悪意とオリジナリティーを感じていた。

このトリコロールケーキの旗揚げ公演を私は見た。

旗揚げの時の、トリコロールケーキは、全然、森の発表会じゃなかった。

おもしろい芝居を作りたい、でも、作り方がとんとわからない。でもやりたいから、やってやる!! コントロールされていない言葉にコントロールされていない演技が飛び交い、その中に一人だけ、主宰の鳥原さんの覚めたウマウマヘタの演技が、場を仕切っていた。私の胸は、演劇への情熱に揺さぶられ、鳥原さんの演技に恋をした。劇場を後にする自転車を漕ぐペダルに力がこもったことを今も覚えている。ただ、おかしなことに、同じ日に同じ芝居を見たはずのイトヤンの評価は高くなかった。私は、穿った観劇者である。ただ、演劇に見たいものを見たときにしか面白いと感じない可能性はある。私は、ちょっとだけ破綻したちゃんとしたモノがあったとして、破綻とちゃんとと、どっちに目がいくかと言うと破綻に目がいくたちで、むしろ八方破れの破綻の中の均衡に、感興を得るタチである。旗揚げのトリコロには、八方破れの破綻の中の均衡があったように思う。

率直に言うと、「私が」、トリコロを見て笑える笑えないで言えば、初期の2作は笑えて、以降の作は笑えず。しかし、劇団は回を重ねるごとに、作家性が見える作品となっていく。動員も増えていく。評価も高い。しかし私の目にはネガティブな要素もあって、作品からは熱が消え、上質の猛獣使いであった鳥原さんはいなくなった。イデオロギーは登場人物を全て鳥原さんにした。森の発表会。

今回の公演の演目は、二本立て。「魂などの叫び」/「百歳の予感」

魂などの叫び、の「など」に、作演の2人の照れがちな姿勢が垣間見える。

百歳の予感、このタイトルは素晴らしい。作演の2人のセンスの良さ(もし、私に人のセンスを見分けるセンスがあるとするなら、だが)がハッキリと刻印されている。

この二本を見て、私が見た最近の4,5作とすこし色が変わったような気がした。

イデオロギー色が薄れ、すこし、普通の芝居に近づいた。

打ち込み色が消えた。

でも森の発表会だった。

劇団は(公演があればだいたい観にいく私にとって)ありがたい方向に進み始めた、のだと思う。




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2014年07月13日

宗教劇団ピャー「夏といえば!に捧げる演劇儀式〜愛と絶望の夢幻煉獄〜」観劇

よかった。

面白いどうこうよりも、まず、肌に合う、という感じ。

今回は、女優ばっかりの芝居だったのだけれど、役者さんの立ち姿が、ポンと、そこに立ってる感じがしていい。

見る人によっては、ウマヘタとか言いそうなんだけど、演技が上手いとか、キモイよな。意味無いよな。パンクロックってさ、そういうことなんじゃないの?

どんなお話かというと、話の筋は、特に重要ではないと思われる。

ベートーベンの第九のまるまるに、演技を乗っけて一本の芝居を作りました、というコンセプトのこのお芝居、

言葉が、演技が、この第九に、うまいこと乗っかってるか、というのが重要と見た。

うまく乗っかってました。言葉も、演技も。

第一楽章の、照明が一定リズムで明滅して、いろんな絵が現れるシーンが一番おもしろかった。

あと、第四楽章の歓喜の歌は、やっぱりいい歌だな、と。

舞台美術も大変すばらしい。

美大が出自の劇団は、やっぱりこういうところが一味違う。

役者から放たれる言葉の意味はあんまり吟味して聞かなかった。

音楽の歌詞みたいに、時々、気の利いたフレーズがあるとオヤ、とか、オオ、とか思ってた。

基本、第九に乗った寂しいとか、うんことか、おしっことかのセリフを聞きながら、考え事したり、パンフ読んだり、すごい自由に時間を過ごした。

大変、有意義な時間をすごした。

うん。

よかった。次も見に行く。
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2014年07月02日

日本のラジオ「ツヤマジケン」観劇

おもしろかった。

演劇という表現法と対峙して、こうしたら面白いんじゃね?というのが見える芝居は、それだけで50ポイント持っている。

その試みが、いい方に転んでいればなおよい。

このツヤマジケンは、いい方に転んでいて、よかった。

素舞台どころか、暗幕もない舞台。むき出しの壁、放っぽらかしになっている劇場の備品。

照明も使わず、客電のみ。音響効果もなし。

あるのは会話だけ。

これは安上がりだな!チケ代は2000円切った1900円。なるほど!

そして、多分、作演出の屋代さんは、これが上手いこといったから、次も同じような感じで、とはやらない気がする。

フロンティアスピリットを持った人と見受けた。

わからんけど。

そんな、匂いを勝手に嗅ぎ取った。

芝居の内容は・・


   以下、ネタバレ注意


10人の演劇部の女子高生が、いろんなお喋り(主に百合っぽい好き嫌い)を舞台に出たり入ったりしながら繰り広げて、

途中から死んだりケガしたりして、でも最後、主人公格の二人の女の子が、手をつないで死んだんだか何なんだかよくわからないが、何かしっとりとしたいい感じで、劇場から出て行って終わった。

この女子高生たちの生き死にが、歴史上の津山事件と絡む必然性はよくわからなかったが、

その女子高生たちの会話が、巧みで、気が利いていてエンターテイメントだった。

その演技も脚本も。

ただ中盤の人が死に始めるところで、その死への展開の持って行き方と、そこで使われる言葉の案外な安さに違和感を感じたが。

それまでは、台詞の端々に、美意識に吟味された上での言葉であることを感じていたもので。

ああ、この作家さんは、言葉が好きなんだなあと。

その違和感は、勝手に私が感じ取ったもので、それが瑕疵であったとしても、決定的なものではなかった。

もちろん、私にとって。

これは審査員の講評ではなく、何者でもない私の観劇の感想文だからね。

私は作演出の屋代さんとは面識があって、あのヌボーとした風体の上に乗っかっている脳みそから、この女子高生たちが出てきたかと思うと、何と言うか、作演出というのは業の深いものだなあ、と意を新たにした。

自分も作演出をするので、もちろん、他人のことを言えた義理ではない。

おもしろかった。

おもしろい芝居はよい。

芝居をやりたくなる。
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2011年03月08日

兎団「カフェビアンカ」観劇

恋人を亡くし、その死を受け入れられず150年黄泉の国を放浪する天才画家が発信するSOS電波を、150年後の少女がキャッチして始まる大冒険。画家は、恋人が幸せのうちに死んだと知って、その死を受け入れ終了。


無数の引用、アイデアを緩く強引に結び付け、おふざけの中、随所に野田秀樹的饒舌で盛り上げていく。

絵の具の三原色、赤青黄。赤(情熱)と、青(哀惜)を、黄色(酒とタバコのヤニ。酒場の混沌) で割ったら黒になる。それは反射光の偽りの色なのさ。

直接光である光の三原色、赤と青と緑を混ぜると白くなる。白(ビアンコ)が1番難しい。ああ、君、僕に緑の純粋(ちと苦しいか)をくれないかい?

風景画家とされていた彼の絵は、死んだ恋人を描いたこの一枚の白の人物画の背景を描いていたのだ!

おふざけの趣味が肌に合わず、殆どの時間、下を向いていた。それは長く演劇に関わっていると体に抗体が出来てアレルゲンを排除しようとする演劇花粉症。ほんと申し訳ありません。病気なんです。それにも係わらずラスト近辺はほんのり感動しちゃったりして。星よっつ
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2010年07月09日

クジラシステム「派手なパンツのモチベーション」鑑賞

10分ぐらい長めのコントの連作と、映像のミックス。

クジラシステムのオープニング映像(くじらが3匹ぐるぐる回るやつ)がカッチョいい。

最後のスタッフロールを見て、作家のユトリさんの自作と理解する。

センスの鋭敏な人なんだなあ、と感じ入る。

開拓者の気概を感じる。

客席もよく笑っていた。うらやましい。カワイイ会場整理の子も笑ってた。かわいかった。

俺自身はうがった客なので、へー、ほー。と感心したり批判しながら見ていたが、

映像で、朝倉くんが♪おーそーれみーよーと歌いながら、ボーリングでガーターを出したところで大笑いする。

俺は、ちゃんとしてない感じが好きなんだろうな。俺。星よっつ

posted by ボス村松 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月21日

演劇イベントを見に行った。

お題があって、そのお題を盛り込んでの15分芝居を作った5団体が、面白さを競う!

というイベントがあった。

ムラマツベスが、その5団体の中の一つ、643ノゲッツー(劇団名)に請われて傭兵として出演。

643ノゲッツーはコリッチ(演劇ポータルサイト)の注目劇団に常時名を連ねる格上劇団であるが、

立ち上げの頃から知っていて、演出家の東くんは、私に合うと、優しい言葉を掛けてくれる。「おもしろかったですよ」「芝居続けて下さい」「ボスも(このイベントに)出たらいいのに」など。実はかつて私も643に出演したことがある。

   ***

芝居見た感想みたいなもの

   ***

1「ライオンパーマ」 

王道を行くコント仕立ての15分。高級クラブに入ったサラリーマン風な男、変なボーイさんに翻弄される。上手。お客さんも笑ってた。俺は笑えず。演劇に染まりすぎているゆえの、俺のの感性のズレであろう。

3「モエプロ」 

2次元の萌えと3次元の演劇の融合を謳う。ヤバイ匂いがプンプンするぜ!オタクっぽい青年が部屋の中に一人。突然、内閣少子化対策委員を名乗る美女が部屋に上がり込んできて、青年を押し倒す。対策委員のアプローチに、本当は誰が好きか、自分が今何をすべきか悟った青年は、幼馴染のおねえさんに告白。抱擁。

俺のキャパを越えた台詞、演技に半分ぐらい下を向いていたのだけれど、耳に入って来る台詞の王道萌えの力強さ、顔を上げた時の、ド直球の素直になれない二人に大笑いする。計算高く狙ってやっているのが1、こういうのしか作れない3といった比率と見た。そう、野生だ。演劇には野生が必要なんだ。勉強になる。

4 「643ノゲッツー」 キャンプに来た若者5人。朝起きたら一人死んでる。やべー。どうする。あ、人が来た!隠せ隠せ!あれ?この死体今ちょっと笑ったよね?面白いことすれば、死体生き返るんじゃね?と一発芸大会。

お題に、「雨が降る」、というのと、「「夢みたい」という台詞を入れなさい」というものがあった。その扱いがツボだった。雨が降る、を、「あ、雨だ」と上を見上げておしまい。話に何もからめない。おい!!最後、死体が生き返って、夢みたいとみんなで合唱。それは確かに、夢みたいだろう。説得力があった。一発芸が笑えないところは説得力なかった。この劇団の根底に感じられる捨て鉢な佇まいは好き。

ムラマツベスは台詞10個ぐらいだった。良くも悪くもちゃんとした演技をしていた。
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2009年11月09日

八割世界「昼間流星群」観劇

流れ星の名所に、奇跡の男がやってきた。
男は、星に3回願いをかけて、その願いをかなえたことのある男なのだ。

お金をクレと願って、5千円拾ったプチ奇跡なのだった。

それを見栄をはって、5000億という嘘をつき、嘘をつきとおすために嘘に嘘を重ねてのドタバタ劇。@中野ポケット。

主催の鈴木君と知り合った頃は、ウチと同格の劇団ちゃんだったのが、随分と立派になりました。
本も役者も、格段に腕が上がって、その分、天然自然の破壊力が落ちて、うがった観客である私には、つまらなくなったなあ、と感じられていたのだが、今回、もうあと何かで、本当に面白い劇団になっちゃうかもしれないと、思った。劇団の旗揚げメンバーであり、願いをかなえたことのある男を演じた小林守くんであるが、昔、私は彼の天然自然の力マックス時の演技を見て、大笑いしたことが幾度かある。その時私は演技するということの勇気をもらった。やっぱバンザイ突撃だよな!と(間違ってる可能性大)。今回彼は、安定した技術の下にその天然自然の力をみせつつあるように見えた。星よっつ

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2009年09月27日

立体親切「大親切祭」観劇

まず、言いたいのは、観劇後、私は良いものを見たと思ったということだ。
いくつかの力のある情景が、あった。私はそれに感銘をうけた。
しかし、2時間芝居の中、1時間半私は俯いていた。
見るの辛かったからだ。

   ***

現場仕事を終えて、会場のタイニイアリスへ。

定刻までに辿り着けず、受付で、壁の向こう側に流れる大音量の音楽を聞く。

冒頭、ガツンと登場人物を多数登場させ、世界観を見せた後、物語が物語られる演出なのだろうと推察する。

いや、推察はいいから、定刻通りに小屋につけよ。

うん。でも残業がさー。

小屋に入る。

白い衣裳を着た女性が、少年に、全てを訳知り風に語っている。

少年を聞き手に、この白い衣裳の女性の回想が、物語られるということか。

席に腰を据えてから、10秒で私はうつむく(早すぎ)。舞台の上を見ていられない。私は長く芝居をやって、芝居の好き嫌いが激しくなってしまっている。芝居の空気作りは、役者だけではなく、観客もその一端を担うのでこれは申し訳ない。うつむく私が演技する役者の目に入らなければいいのだが、と思う。でも見ていてツライものは見たくない。

ボケとツッコミを多用して話を転がす芝居である。ボケが全く面白くない。役者が、ではなく、そもそもの脚本の言葉がダメなのだろう。本の出来をひっくり返すのも役者なのだが、それにはパワー不足。上手げな役者はいる。でも上手いだけではどうにもならない。

うつむいたまま聞いた話によると、デカイ話である。インチキな設定の中で一生懸命生きる人たちが描かれている。彼らは愛とか正しさとか死とかの抽象を背負っている。

物語の骨子として選択されたモチーフには好きなものが多かった。

・親切(博愛)VS愛(あなたが好き)
・自立した女性
・100年の血脈
・歩み寄る努力
・人間とは可能性の中で常に最悪の選択をする生き物である
・将棋

とても有効に繋がりあっていない、書き散らかされたと見える過剰なボケとツッコミ、抽象は、開始から一時間半経ったとき、私のハートにハードなパンチを入れた。この時、この芝居のパンク魂は10万芝居パンクパワーを越え、俺からダウンを奪ったのだった。

と金ちゃんが登場したのである。


tokinntyann.bmp


と金ちゃんは(以降ちゃんと読まなくていいです)、

機械天使とエコ悪魔の対立により、

機械天使の側に立った宇宙人(ナノレベルの大きさの宇宙人で人類の体を乗っ取る)の斡旋により

機械化されることになった奨励会3段の将棋指し(機械の体で俺を強くしてください)が、

翻意して、

好きな女の子を(付き合ってる女は別にいる)、

それが現実のものとなれば俺の力が出るという理由で、

機械天使に改造させた、

将棋アイドルなのだ。



あと、ラストシーンが秀逸(以降ちゃんと読まなくていいです)


男と女が寄り添って、変わり果てた地球を見る。地球は、ナノレベルの大きさの宇宙人の乗り物となった量産型の人間に埋め尽くされている。量産型の人間の、雛形は、男のかつての友人である。二人は量産型人間の管理人。



男は100年の血脈の末裔で、若い頃は、継母に反発して家を飛び出して、劇団に入ったはいいが、公演をブッチして家に戻った男。女はそんな男に一目ぼれして、ブッチしたチケットノルマの肩代わりをして、男と結婚した。男のプロポーズの言葉は、好きじゃないけどそこは歩み寄りたいと思っている。

二人には息子がいる。実家に置いてきて管理人をやっている。息子は結婚後、女がレイプされたときに出来た種違い。ちなみに冒頭の少年はこの息子。

   えーと、

   要素多すぎです

それでも寄り添う二人はほのかに幸せそうである。
ヘンテコだけど、なんだか、力のある画。

俺が作ってみたい画。

posted by ボス村松 at 23:06| Comment(2) | TrackBack(1) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月27日

ZIPANG Stage「だいさんの男」観劇

次のうちの公演に出てくれる女の子ちゃんの出演作ということで、見に行く。
おお、女の子ちゃんはヒロインじゃないか。萬劇場1週間3000円の芝居のヒロインゲットとは、なかなか格上の女の子ちゃんである。女の子さんと呼ぶべきか。

一幕物。

健全>不健全
かしこい<おバカ
おしゃれ<野暮ったい
声大きい>声小さい

カフェが舞台。カフェで禁断のプロポーズを禁断の恋人にした刑事。しかし、カフェのお客は張り込み中の同業者だったからさあ、大変。刑事はその禁断をごまかすために、同業者の、恋人の視線の中、ウソを交えつつ綱渡りの立ち回り。そうこうしているうちに、張り込まれ中の犯人らしき男がノコノコとやってきて・・。

知り合いの芝居を見に行って、ウソにウソを重ねたり誤解が誤解を生んだりする一幕物に、大変よく出会う。
正直、コレはもういいです。
ただ、今回のこの話では殺人事件の真犯人とその手法に、ほほうと膝を打つ。
役者さんの、お客に全部を伝えようとするド直球の演技に元気をいただく。
やたらとクルクル回る演技をつけられた若い刑事がいたのだが、こういう演出もあるのだと、自分も演出するときもあるので、視野が少し広くなった。
観劇後は、私は7月に自分とこの公演を控えているのでありますが、俺も真っ直ぐな演技をしよう、と芝居の練習がしたくなりました。星よっつ。
posted by ボス村松 at 02:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月25日

大地真央「月の輝く夜に」観劇

”オーラを見に行こう”

オーロラではありません。ましてやあのスピリチュアルさんが言う前世的なものでもありません。スターと非スターの間に存在するあれです。

大地真央を見に行ってきます。だいちまお、と打って、変換して、抱いちまおになったのには驚きました。宝塚の人は芸名を自分でつけるという話を聞いたことがあります。偶然、抱いちまおなのか、意思がこもって抱いちまおなのか。無理っす。どうしたって抱かせていただきます、になる。高嶺の花という言葉を形にしたら彼女になるに違いない。凡百の男を見下ろして咲く。僕を下衆と詰って唾を吐きかけてください。ザ・舞台女優、大地真央。昔、自分とこの劇団のHPで、自分とこの役者紹介をパワプロ風に紹介していたことがあったが、参考として大地真央を、打率四割超のオールAのキャラクターに仕立てた。特殊能力は松平健が好き。今は嫌い。

実は彼女が動いて、演技をしているところを見たことがない。記憶があるのは、♪花の命はけっこう長いと歌っていた、日生のCMぐらい。戦わずして、勝つ。それが大地真央。そんなあこがれを私に植え付けたところに、彼女の長きにわたる勝利と、そして今回の敗北が運命づけられていたのでしょう。

登場するだけで、舞台に光が満ち、大輪の花が咲きみだれ、触るものは全て黄金になる。パントマイムで空中椅子どころが、エア足組みをして、指の上に小鳥を乗せる。大地真央ならやるにちがいない。そう思って、ル テアトル銀座に行ったのです。

そうです。

そんな人間いるわきゃあないんです。ガラスの仮面の読み過ぎです。想像は簡単に現実を超えて飛翔する。対して現実には翼がない。

俺の勝ちです(何で?)

ル テアトル銀座の20列目ぐらいから見た彼女は、ちっちゃかった。美人そうな人がプラスチックみたいな芝居をしていた。キレイでつるつるしてるんだけど、ツユがからまない。セリフもちょっと噛んだりして、生きて故郷(くに)に帰ったらコイツと、ぐはっテーッドテーッド! 舞台の上はいつもどおりの戦場でした。出した大道具小道具をどう引っ込めるかも大問題。あと、セリフ回しがねー、何かおばちゃんくさいのなー。

オーラはその個人にまとわりついて離れない個人属性ではなく、ある特定条件がそろうと、ポンとその場にあるように見える、場の属性でした。星みっつ。

posted by ボス村松 at 04:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月04日

サラリーマン村松主演映画「いいおとな」観賞

何でもサラリーマン村松が主演した自主映画が、フェスティバルの入選作になったということでその上映会に行って来た。

小屋に入って驚いた。客が俺一人。まじかよ。もっとがんばれフェスティバル委員会(それがあるのかは知らんが)

フィルムの中のサラリーマン村松は、所属劇団が解散になったあとも、何となく役者を続けてしまっているダメ男を演じる。

なんだよーその設定。誰の話してんだよー。

そしてサラリーマン村松以下、出て来る役はみんな映画芝居関係者で、出て来る奴出て来る奴、ダメ人間。自らのゲージツを語るときには、まず枕詞的に、売れることは難しいにしてもさー、などと言い訳が入る。うーれなーさそー。

コレ俺の話だー

ダメさ加減が弾ける感じではなくダウナー系の微妙さで(これは本編内でも言及されている)、未練、女々しさ、諦観、言い訳、何れも心辺りのある身近なダメ。

特に、解散した劇団の元座長はウツシミを見るようだった。いやいや、俺はそんなひどくないぞ。

サラリーマン村松は整った薄い顔なので、アップの画面によくたえた。肌も綺麗ね。よくウチの劇団の演出で指摘される口をモゴモゴさせる癖は、そのままに。これはご愛嬌

ギックリ腰で痛めた腰をさすりつつ、サラリーマン村松演じる流される系ダメ人間が、軽薄ダメ人間を情念系ダメ人間の部屋に連れていく場面に哀愁が感じられた。秀逸。
「とりあえず、一言謝ってあげてよ」とサラリーマン村松。
「最初からあの人とは合わないと思ったんすよねー」と軽薄ダメ人間
「僕が紹介したんだから僕にも責任あるし。いくよ」
「俺、ここで待ってた方がよくないすか」
「えー」
腰をさすりさすり。

1時間45分の力作でした。ちなみにフェスティバルの優勝作品は、ゾンビになる自主映画監督の話。そーなんだよね。自分の1番興味あることを書くと、「僕は歌を歌う」という歌になっちゃうんだよなー。難しいところ。俺の好きな高橋源一郎も小説についての小説しかかけないからそんなもんな気もする。

その映像もチラっと見た。ロビーに座って上演前の待ち時間中、受付のモニターからラストシーンを垣間見たのだった。さすが優勝作品という力のあるものだった。ゾンビで行くぜ!と決意を固め、ゾンビになった自主映画監督がムーディーな音楽の下でクソ生意気な女の子ちゃんの内臓を喰らうのだった。
posted by ボス村松 at 18:48| Comment(1) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月27日

リンゼイケンプダンスカンパニー「エリザベス一世」観劇

誰か、あのじいさん(リンゼイケンプさん)を止めろ!

もう一月ぐらいたった話だがリンゼイケンプダンスカンパニーのエリザベス1世という演目を見てきたのだった。13000円が8000円で見られるんですよ、とダンス好きの彼女に誘われてのことだった。八千円か!しかし、世界の頂(定価13000円からくるイメージ)を見ておくのは勉強とも思った。

で、シアターコクーンに見に行ったわけだ。

リンゼイケンプ本人(じいさん)がエリザベス1世を演じる。

「私の中にエリザベス1世がいる」と彼は言っている。

なんか、危険な香り。

あと作演と舞台美術と照明も、じいさんの手によるもの。一人の人間に果たしてそんないっぱい手がまわるものでしょうか。



観劇後、シアターコクーンのエントランスで、このパフォーマンスに私を誘った私の彼女は、まず、こう口を開いた。

「ごめん」

次いでこの言葉をつなげました。

「チケット代はいいよ」

私は彼女の殊勝な態度に満足し「いや、世界の頂が定価13000円でこんなになっちゃうというのは、なんか励まされるよ」と言って、8000円を彼女に手渡し、さあ何食いに行こうかと言えました。自分もまた舞台を作る側ゆえのほの暗い充足感だった。

ああ、どこまでいっても出した小道具を片付けるのは、大変なんだなあ!

役者がこそっと持って、はけたり、もういいや、てなもんで、役とか演技から離れて堂々と衣装つけたままほうきで掃いたりしてたよ。

あと、13000円でも舞台上で着替える時って袖とか変にひっかかってスムーズにいかないもんなんだなあ、とか。

ダンスの足も揃ってなけりゃ、エリザベス1世はなんもしない。ただ、周囲の出来事にオロオロしてその時々の恋人役と抱き合ってチューするのみ。なんか事件があって、ムチュー。何を俺に見せたいんだ。後にリンゼイケンプはソッチ系の人と聞いて、自分のやりたいことやるという、業の深さ、生き様は見えてたのかもしれぬ。


リンゼイケンプの周囲に今あんたの芝居はヒドイコトになってますよと言う人はいないのだろうか。いや、いたとしてもそこで自分を貫けるメンタリティーを持っているからこそ、世界の頂に立てたのだろうか。ただ、今は老いただけで。


7、8人の役者でいろんな役を回してデカイ話を表現するよく見る小劇場形式。コクーンの舞台の上はスカスカ。世界の頂にゴージャスを期待するのが安直なのか。


でも、カーテンコールで隣の客は腰を浮かせて拍手してた。さすがに会場全体の拍手にボリュームはなかったが、役者が一回はけて、また出て来る、またはけて、まだ拍手は続いててまた出て来るお約束は、踏襲。サクッと帰らせてくれ。星一つ半。


芝居を見て不平たらたらが目立つこのブログだが、先週見たグローブ座のサド侯爵夫人は素晴らしかった
posted by ボス村松 at 04:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月17日

東京凡人座「ロマンシングガーデン」観劇

花火見物の大学生のカップルが、打ち上げの轟音の中、なんでかちっちゃくなっちゃって、
それで、虫の世界の住人になってしまった!

虫の世界ではまず、ショウジョウバエのコバヤシと、キリギリスのジェームス(だっけ)とこんにちは。このコバヤシが相当の性格俳優の芸達者だ。「ウンコだよウンコウンコ。ウンコ大好き」みたいな感じ。伝わっただろ。これで。

すると、原っぱを支配する蜂の一族がやってきて、大学生カップルの女の方をさらっていく。彼女を取り戻すんだ、男の方!キリギリスとショウジョウバエも力を貸すぜ。

一方、蜂の一族も、参謀のゴキブリがどうにも野心家の反骨の相アリアリなので、組織に不穏さを内在させているのだった。しかし、このゴキブリ、役はゴキブリだが、顔はカエルだ。そうですね、私の友人、鈴木雄太くんがゴキブリ役なのでした。ラスト近辺はゴキブリVS他のキャスト全部の図式で、鈴木君の独断場になる。ゴキブリ唯一の心の友、ダニのダニエル(だっけ)の死に絶望を深くする鈴木君のの悲痛な叫びは秀逸だった。バカバカしくもグッときた。結局、ゴキブリは物語上の全ての罪を背負ってプチっと踏みつぶされる。さほど悲劇的ではない調子で。

とにかくいろいろあったわけですが、カップルは元の大きさに戻ることができて、二人がチューしておしまい。わかってらっしゃる。チューしておしまいは素晴らしい。突き抜けて王道だ。

   ***

おバカな設定で、主に笑いを狙いつつも、登場人物の一生懸命生きる様を描こうとした作品、であろうか。そうですね、私の作る芝居と親戚筋ですね。ゆえに、同族嫌悪と、自分にないものへの憧れの間にゆれて、星みっつ半。私よりも笑いの質が今風で、あと、おれのよりも、、、ウケてたなあ。俺はそんなわらわなかったんだけどね!で、私のの方がおバカながらもインテリジェンスがあると思われる。



ウチも来週芝居やるよ。
私の劇団、劇団鋼鉄村松のHP
http://www008.upp.so-net.ne.jp/koutetsu/

posted by ボス村松 at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月02日

はらぺこペンギン「ふたり」観劇

うれしいとき。チケットの予約が入ったとき。

それが、近しい友人からの見に行くよ、というものではなく、思わぬ方向からのメールだったりするとなおうれしい。

今朝、私のケータイに芝居やってます見に来てくださいのメールがあった。Mさんからだ。Mさんとはワークショップで数年前に見知ってから、お互いに、

「芝居やります見に来てください」「芝居やります見に来てください」

と、メールのやり取りする仲だ。そしてお互い見に行かない。今回、見に行くことにした。俺が行くってメールしたら、うれしいだろうなあと想像してみると、善行する自分というのも悪くないと思ったのだった。自分の喜ぶことを相手にしてあげよう運動。実のところ、はらぺこペンギンという劇団にも興味があった。小劇場界の隅っこで下を向いて活動している私の視界にも、チラチラ入ってくる劇団名だ。


実験公演ということで、20分程度の二人芝居が四本立てだった。演出家さんの学生時代の友人が亡くなって、それに感じることがあったということで、どの二人芝居にも病気や死が真ん中にあった。

1本目。全然ダメだったんだけど最近浮上しつつある小説家、の嫁がガンに罹ったんだけど入院は先送り。嫁は宮崎の巨人のキャンプに行くという。小説家はやめろという。野球ネタが満載。この脚本が執筆されたのはきっと、2月のキャンプのころだったのだろうが、現在は開幕していて巨人が開幕5連敗中なのが切ない。野球音痴の夫は、妻に、開幕戦のチケットを渡して、きっと治る。一緒に見に行こうと言って
「このチケット1塁側、ヤクルトの応援席の真ん中だよ」というのがオチ。しかし真のオチは巨人の今日も負けての開幕5連敗、という現実。どうにもならない。切ない。とにかく打てない。小さな奇跡が起きました。


2本目。夢の中で、小学生の時の友人が出てきて、僕の分まで生きろという、コント風。ドラゴンボールネタ満載。作演出の人登場。ああ、こういう演技をする作演の人がいて、こういう劇団のカラーになるのか、という府に落ちるパフォーマンス。

3本目。巨人軍のトレーナー(ホモ)と故障だらけの選手の、コント。これはコント風ではなくコント然としたコント。ホモネタだしね。私にメールをくれたMさんが登場。絶望する選手を励ますホモトレーナーだがそれに、「全身に断裂したことのない筋肉がないんですよ!」と選手がキレたのが愉快だった。

4本目。2本目の夢の中で生きろと言われた男が、もう一回、生きろと言われる。生きられる奴が生きようとしないのを見ると腹が立つと言われる。そんなに暑苦しくないシチュエーションで、本人に直接言うていでもなく。それから一呼吸おいて、舞台は病院のロビーに設定され、それぞれの登場人物がそれぞれと、少しだけ触れ合って、すれ違っていく。生きろと励まされた男は、生きようと思う。


ルデコというギャラリーでの公演。
お客さんは10人ぐらい。役者が近い。
奇人変人ではない、普通の人、という佇まいの登場人物が、上手にボケやツッコミ、あと、何気なさを披露した。私の好みでいけば、Mさんの演技が、何気なさの中に、役者っぽいケレン味があって好きだった。星みっつ。



私の劇団も7月に芝居をやります。
何も言わずに、劇団HPに飛んでくれる人募集中
http://www008.upp.so-net.ne.jp/koutetsu/

posted by ボス村松 at 22:04| Comment(1) | TrackBack(0) | 観劇の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする